HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

磐石な安全 過剰な無理

自宅に居る。最近では珍しく胃が重い。荒れているというか、むかつきと気持ち悪さがある。昼食の残留物があるかもしれない。

食べ物の画像を見た時、それを気持ち良く腹に収められないと感じた。それは悪い証だ。昼食の直後にもそう思っていて、これでは夕食が思いやられる。大晦日の食べ物を気持ちよく見れなかった。

昨日の夕べはよく食べられる。胃はフラットだったと思う。ご飯をまともに一膳盛り、肉を中くらい、味噌汁もそれなりにつまむ。悪くなく食べられた。

ただ、入浴後にスポーツドリンクを飲んだ後、少し気持ち悪く腹に溜まった。いつもはそうならないものの、何故だかそうなった。夕食が負荷になったのかは定かでない。

そのきつさが今朝に繋がったと思う。胃は爽快でなく、よく食べられなさそうだった。二日連続の同じような状態。そこで上手く理知は働かせられ、ちょうど良く食べられたと思う。

 

でも、今度は昼に腹が空かなかった。午前の内的な作業の後、少し気分の悪さを感じた。たまにこういう時はあれど、あまり良いことではなかったはず。そして散歩で寒風に吹かれたりした。それらの心当たりがありつつ、昼食もよく食べられなさそうだった。

ちょうど炊飯器には一合が炊かれていて、この半分が一膳だと思った。それを確認するよい機会だと思い、それを盛った。その時に多少の量を課してしまったと思う。「このくらいは食べておきたい」と、はやる気持ちがあった。かなりまともに盛っていて、数口は余計だったと思う。

そして味噌汁とおかずもそれなりに食べる。よく食べられたものも、これでは食べすぎだった。よくは食べられない状態だったし、それを自覚していた。それは食べている途中でもだった。そこで義務的に頑張ってしまった。

食べ終わって胃のむかつきがあるし、げっぷがすんなり出ない。半端なそれはよく出てくる。これは食べすぎの証。またやってしまった。夕食を快く収められる気がしない。

 

とうとうコンプレックスを湧かせてしまった。どちらかというと不調コンプレックスか。体調を何とか底上げしたいということ。安全を磐石にしようとしていた。胃の持久力の気配があり、確かな好調を保とうとした。無理はいつ顔を出すか分からない。

食欲が常に湧かないのがネック。それは健康な人でもそうなのだろうか。だとすれば、当たり前のケアをすればきつくはならない。不調の際に無理をしなければよい。過剰に無理をして食べすぎないこと。そうすれば、次の食事はよく食べられるだろう。

それが出来ないといけない。健康な人はそれがあり、無理のしすぎによる不調には見舞われない。だから調子に波はあっても、極端に食べられなくはならない。その要素は大きいだろう。

 

それにしても身体がみすぼらしい。骨と皮に微妙な脂肪の膜がある程度。体力がどの程度あるかは分からない。もしかすると、それなりにはあるのかもしれない。でも、とにかく脂肪量の余裕は持ちたい。少し食べられなくなれば、相当な体力の低下がある。それを回避したい。

外胚葉型の消化力、吸収力か、それともギフティッドの過大なエネルギー消費か。飢餓状態に当たるとしても、それが極端ではないはず。歩くことは出来たり、散歩にも出られる。だから、最低限の身体の原資はある。

 

一汁一菜の人や、一日一食の人だっているはず。自分も食事量は少ないものの、同じくらいでも痩身で済む人はいるはず。それが納得いかない。それを手に入れたくて堪らない。

痩せで済む場合は五十kg程あるだろう。それには到底届かない。食事をまともに摂らなくてもその水準にある人はいる。それが解せない。

胃の不定愁訴は体重を落とすだろうし、それはなくさないといけない。でも、もう少し余裕はもたらされないものか。それを思う。過剰な痩せからは何とか抜け出したい。

晦日でも変わらずこうだ。不定愁訴に季節も休みもない。過ごしやすい頃であっても、世の中が華やいだとしても変わらない。それが堪らない。自分以外の家族は皆で食事をする。それが出来ない異常さ。

その理解を求めようにも難しい。何と言えば良いか分からない。皆は腹が空かない感覚など分からない。その持ち合わせがない限り、説明しても共感はされない。

 

年の瀬の雰囲気はテレビの中くらいだ。それ以外ではあまり感じない。年末の感じもありつつ、それを感じなくもある。

変わらず過ごすのみ。来年の自分が振り返ったら、変わらずしんどかっただけだと思うのだろう。それは去年も同じ。

 

また来年。

 

参考書籍: