欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

安定の記憶 生存の可能性

自宅に居る。今日も白い雲に覆われていて、無機質な光に覆われている。午前は雪が降っていたものの、今は止んでいる。歩かない理由としてはちょうど良い。あいにくの天気だけれど、不定愁訴であれば好都合だ。

 

夕べは腹が快く膨らまなかった。その前の昼で胃はフラットになったはずなのに、何故だか食べられなかった。多分、夕食の前に水を飲んだからだ。スポーツドリンクで腹が一杯になった後、余計なものを胃に落としてしまう。

それくらいで負荷を抱える状態だ。間食なんて到底摂れない。嗚呼、一食でなるべく摂らないといけないのに、全くもって胃が膨らまない。

入浴後のスポーツドリンクで辛くならなかったのは幸い。そのお陰で苦しくなく眠れた。 翌朝はあまり胃が荒れておらず、起き上がる前の時点で食べられそうに感じた。その感触通りで、朝食はほぼ最良の量を食べられる。

 

でも、その後が問題だった。まず便が出ない。前日の昼に下したため、何も溜まっていなかったのだろうか。そして晴れてもいなかったため、歩くこともない。身体には力が満ちていたものの、母に雪かきをさせるのが悪くて止めた。 その二つがなければよかった。それがいつものこのだ。

昼は完全によく食べられない。一膳を食べきれず、まともに胃が膨らむことがなかった。そこでようやく便通があったものの、時すでに遅かった。これではまた痩せてしまう。

年金の申請の書類では、「体重が何十キログラム前後です」と記したものの、その数字を何ヵ月も超えていない。小柄な痩せている女性よりも痩せている。

身長は平均の丈があるのだから、生の淵に立たされるくらいだろう。 その危険がある。だから怖くて堪らない。だから余裕がほしい。とにかく死にたくない。

 

また調子を戻すのが大変だ。あと一週はかかると見込むべき。それくらいのスケジュールで復調させるべきだ。 

改めて学んだのは、快く胃を膨らませないと肥えないということ。とにかく無理を減らさないといけない。それがあれば、大体は少食の範囲に近づくだろう。

食欲がある時にも無理をせず、きつい時にも無理をしないこと。その当たり前のケアをしないといけない。

 

食欲を減らさないこと。腹へ負荷をかけなければ良い。出来るのなら、欲求の満足を充実させ、生存の可能性を高めたい。

それはつまり、ストレスの低減でもある。そうしないと食欲は安定して湧かない。 それがあればトラウマの再現を避けなくても良い。存続の可能性が高まっているからだ。生きていく上でのリスクは減っている。

だから無理もなくなる。そうなれば、好不調の際の無理もなくなるはず。内部信号に基づいて好きに摂取するという、当たり前のセルフケアが出来るようになる。

 

そう考えると、考えても無駄だ。それらを得ないと始まらない。でも、それが出来るような状況ではない。

このまま失敗の轍を周り続け、同じことを繰り返すのだろう。一喜一憂に倣い、時の運に流されるだけ。たまに良くなり、たまに悪くなる。 その流れにおいて、生きるか死ぬかは分からない。それが堪らない。その水準を何とか脱したい。

運動の効果も微妙で、理知のケアもすぐに吹き飛ぶ。上向いてもすぐに無理をしてしまう。気楽さが足りないのか、こうやって頭を使いすぎているのか。安定的に上向いていた時の状態が分からない。 それも時の運だったのか。

時間が経てば良くなるのだろう。振り返ったらそれはすぐでも、その最中にいれば長く思う。早く上向いてほしい。病院も近付いていて、そうなってしまうと溜まらなく思う。

 

また明日。

 

参考書籍: