HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

唯一の糸口 崖の底と淵

自宅に居る。三が日も終わり、正月の雰囲気も薄くなってきた。父は仕事始めで出掛け、姉はまだこちらへ居る。もう少し滞在するようだ。

そしてこの自分は、不定愁訴から回復しきれていない。外にも出られず、快適な満腹が持続しない。体重が安定しないと歩けないだろう。

 

昨日の昼は最良の摂取が出来、夕べも最良の摂取が出来た。食後の収まりも良く、寝るまでに少し食べられそうだった。最良の量を軽く思えるくらいだった。

そのように振り返えられるのは、とても好調だった証だ。間食が許されそうな腹だった。その良い腹で床に就き、翌朝の調子を確信していた。そこから上昇軌道に乗せようと思っていた。

 

でも、明け方に吐気を催す夢で目覚めた。恐らくはたまにあることで、げっぷが溜まっていたのだろう。そういう時はたまにあれど、よりによって悪い時に発生した。おまけに朝方であり、吐気がかなり強かった。それは初めてのことだった。

起きて食前の漢方を飲むと、これまた調子の悪さを感じられた。明らかに悪い状態で、よくは食べられなさそうだった。

そして実際によく食べられない。それは極端ではなかったものの、三口から四口は食べられなかった。賢明に無理はしなかったものの、これでは堪らないと思った。

 

そして散歩へ出られない。これで何日連続だろう。終日家で過ごすしかない日々。このくらいの調子に落ち込みやすい。それは胃の持久力のなさによるものだ。

それは最近に少しあったものの、すぐに霧散してしまった。その理由が分からない。コンプレックスの発現が強くなったのか、あるいは運がひたすら悪いのか。

胃がフラットなのに腹が空かない、その状態や不調の時に無理をする、水やスポーツドリンクを飲むだけできつくなる、これらの訳の分からない不定愁訴がある。本当に快く食べられない限り、安定した摂取は出来ない。

その快適に収められる時はある。その時にはそれがはっきりと分かる。それを連続させる必要がある。そうしないと食欲は安定せず、胃も膨らまない。つまり消化と吸収が悪くなり、身体が肥えない。体重も全く増えない。

 

ひとまずは時の流れで良くなるしかない。そして理知の力で安定させる。そこで無理を減らしたい。ノイローゼであってもそれなりに食欲は湧く。湧かない時もあるけれど、そこで無理をしないことが大切。それに懸かっている。そうすれば、考察の上では安定していくはず。

でも、そうはならないのだろう。コンプレックスは強烈に発現する。すべきことといえば、問題を本質から変えていくこと。コンプレックスの発現を止めるには、ノイローゼであることから脱すること。欠乏を満たさない限り、コンプレックスも食欲不振も何ともならない。

 

とにかく死にたくない。それが直近でも強かった。不調コンプレックスが湧き、とにかく痩せないようにしてしまう。死の淵に近付くのがとにかく嫌だった。

その思考がなくならない限り、無理もなくならない。でも、それを叶えるには体重が増えないといけない。その現実はある。だから口から物を摂らざるを得ない。解決するには一つの糸口しかなく、そこに全力で懸けてしまう。

何故こうもコンプレックスが生まれたのか。一つは母が最初の入院をさせた時、「病院に行かないと死ぬかもしれないよ」と青筋を立てたからだ。その意味はその時には分からなかったものの、後になって分かるようになった。

重度の栄養不良であり、いつ何が起こるかは分からない。本格的に闘病することになってようやく気付いた。そしてその闘病のなか、かなりの深刻な状態になった時がある。その時のある種の臨死体験が焼き付いた。

いま思えば、そうなる前に何とか介入してはもらえなかったのか。それが出来ないくらいの病像だったのか?確かにコンプレックスを認めるのは難しかったはず。自分が説明しないといけなかった。でも、とにかく何とか出来なかったのか。それが堪らない。

 

生き長らえたのは何の意味があるのだろう。芸に昇華させて魂の旋律を残していくべきか、それとも自己実現をして世界に唯一の人間になるか。

生きて生き地獄に導かれた気がしてならない。ノイローゼを癒す過程は、理屈の上では簡単だ。でも、それが出来そうにない。一生このままであり、徐々に朽ちて尽きるのだろうかと思う。

それくらいの複雑な支障とネックがある。このまま廃人として生きていくのか、あるいは朽ちて果てるのか。

 

少し好調になったとしても、そこで間断を許さず好調コンプレックスが湧く。それは在りたい正の日々を得ようとする動き。才能を活かし、まともに生きていたいと願う心理だ。そのまともさを日々で感じられないと、フラストレーションによって無理をしてしまう。

好調に辿り着いても終わらない。這ってつくばって崖に上がっても、立ち上がって歩けはしない。強風に煽られ、すぐに足元が崩れる。そこで何とか力を入れ、手の力だけで崖の先に掴まっている。いつ力が尽きるのか、崖が崩れ去ってしまうのか分からない。自分は何も決定できない。

やはり日々の満足が必要か。それがないと根無し草であり、どうにも身体を盲目的に頼ってしまう。

身体の存続を保つ数字と、心身のバランスを保つ感情。これらをどうにか手に入れないと、身体に由々しきことが起こり続ける。

それさえあればまともに歩け、歩き続けるなかで人間を学べる。現実をを生きることが出来、人生を生きる力も身に付いていくだろう。

 

また明日。

 

参考書籍: