欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

内的な対話と情緒 誤った推論

自宅に居る。朝から生暖かい暖気に触れている。どうにも新鮮でない。外気にはまた触れていない。今日も終日在宅か。いや、それで済むのなら良い方か。

午前には体力の消耗を感じた。内的に費やすのがぎりぎりで、全く余裕がなかった。ただ過ごすだけで辛いのは危険だ。

 

だったら昼食を挟んだ今も静養すべきか。フローの更新を途切らせたくないだけだろう。そのために情緒が高ぶるのなら、こうやって記すべきではないのか。MBTIの書籍によれば、内的な対話に情緒反応が加わった場合、ストレス反応や動揺を掻き立てるらしい。

誰しもタイプに関わらず、みな対話をする。ストレッサーに遭遇すると、まずは自分との対話が起こる。その独りの対話でもタイプが関係してくる。NF(直観と感情)タイプであれば、現況と理想との調整を図ろうとし続ける。この状態に情緒反応が加わると苦しくなる。

その後の記述では、ストレスは生物学的に実際に起こることであり、「それは有益な結果に導くよう活用すれば良い」とのこと。その基本方針は、"普段やり慣れていることとは違うことをすること"だそう。

タイプによって効果的なストレスの対処法があるようで、それも記されていた。そのなかで普段やり慣れていないのは、情緒のマネジメントと、他者とのコンタクトだ。

 

それらは「外向感覚を使え」ということだ。普段やり慣れていないこととは、無意識的に用いている機能を意識すること。主にいま気づいていることを説明し、率先して感覚的な情報に焦点を当てること。世の中や人の心、自分は前段階で生死の真実を知ること。現実の情報を得ることだ。

それぞれの心的機能を協働させれば、究極的には克服できなかった問題にも打ち克つことができる。成長とは、自分に備わっている力を信頼しながら、変化に適応したり、適応していくすべてことだそう。タイプの発達は、外界に適応する過程の一部として始まる。

劣等機能(外向感覚)の補償的な働きか、あるいは主機能(内向直観)の暴走があるのだと思う。事実を捉える働きができず、可能性や抽象的な情報を得ようとしすぎている。

劣等機能が補償的に働けば、たった一つの事実から誤った推論をしてしまう。それは今がそうだと思う。少ない事実から可能性を考えすぎている。これが不安の大元にあるのではないか。そしてそれが強い情緒反応を生んでいる。

この事から考えられるのは、次の診察でドクターからフィードバックを得るべきということ。どれくらい死ぬ可能性があるのか、どこに生死の際があるのか。それを明確な事実として知らない限り、ストレスに対する情緒反応が過敏になってしまう。それが胃の働きの低下をもたらすのだろう。

午前は体力の低下を痛感した。それは明確だったはずで、それがこれからどうなっていくかというところ。

朝食をあまり食べられなかった分、昼食はそれなりに食べられた。朝はフラットに迎えられたものの、胃がむかついて食べられなかった。それは極端ではなかったものの、体重が減るような摂取だった。

そのぶん昼は空腹で迎えられる。朝によく食べられなかった分、消化がすぐに終わったのは幸いだった。食べ始めると気分は悪くなく、早期膨満もあまりなかった。ご飯一膳とおかず半分、味噌汁も多少は食べる。ここ数日では良い状態だった。

ただ問題なのは、夕食がどうなるかというところ。そこで快く腹が膨らまないと、体重は増えていかない。元気も満ちない。昨日の夕べはよく食べられたものの、それがなかったために体重が減った。ほんの一週間前から一キログラムは痩せた。それが堪らなかった。

家族は帰省した姉を含め、皆がよく食事を摂っていた。不定愁訴持ちには見えない世界だ。家族の料理は鮮やかだった。自分はどうだったか覚えていない。

食べ始めるとすぐにきつくなったのは覚えている。がちがちに衰えた胃袋は、落ちてきた物を収納する力がない。中くらいの太さの筒のようなもので、そこにしか収まらない。それでは体重維持が出来ない。生命維持の世界に入ってしまう。

 

その姉が帰省した午後。夕べにまとまった雪が降り、両親は朝から雪をかいていた。自分はそれに参加できず、内的に費やすのも辛かった。

その状態にいることは、誰にも伝えていない。伝えても成せることはない。だから言わない。でも、家族のケアはもちろん、専門的な介入が必要なくらいなのだろう。

命に関わる病気ではないのに、そうなってしまう運命にある。トラウマサバイバーとして不自由を抱える身だ。

いや、それで済むのなら良い。命の際さえ抜けられたら良い。その程度でもそれなりに生きられたら、後は小さな人生を歩めば良い。不自由のある人生。とにかく生存を磐石にできたら良い。

 

そのためにすべきことは、次の診察でプロの知見を得ること。どこまでが真に生の淵であり、そのために出来ることはないのかということ。体重と無理と、薬の力だ。それらと真剣に向き合わないといけない。

可能性を捨てないこと。まだ何かがあるかもしれない。色々と試し、何とか脱却の糸口を掴みたい。

前述の過程が人生の糧になれば良い。MBTIの書籍には、「人生を通じて起きることそしてもがくことすべてが、いずれ自分にとってかけがえのないものとなり、それを洗練されたやり方で簡単にこなせるようになる」とも記されていた。

二十代では恐ろしく感じることも、四十代では有利に働くために用いられるかもしれない。対人恐怖をもたらす機能も、それを使いこなせれば人生の資源となる。

 

やるべきことは見つかった。ここが山場であれば良い。その向こうで楽の世界が待っていれば良い。そうでないとこのまま続いてしまう。そうなれば、いつか本当に朽ちるかもしれない。

これも良くない推論か。とにかく次の診察までだ。

 

また明日。

 

参考書籍: