HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

真剣な格闘 自然な破滅

今日も変わらず自宅に居る。二階の部屋はストーブで暖まっている。昼食をそれなりに食べつつ、その後にまた便通があって、スポーツドリンクを飲んで今に至る。腹塩梅はどうなのだろう。

夕食はよく食べられるだろうか。昼は負荷となっておらず、スポーツドリンクも飲みすぎていない。だからフラットに迎えられたら良い。でも、そうはならなかったりもする。

 

ここ何食かにおいて、連続して負債を抱えていない。無理をしておらず、よく食べられている方だ。

おおかた胃の状態は戻っただろう。後はそれを安定させ、体重を増やしていくこと。死を直観しすぎるのは良くなくても、体重による余裕は存在する。だからとにかく安全を得たい。

そうならないと全てが始まらない。体力もなく、風邪を引いたら事切れる可能性がある。所属と愛を得るまでの刺激にも耐えられない。とにかく安全を感じ、暇とフラストレーションを感じられないといけない。

夕べは一膳を食べ、肉は一食分の三分の二を食べる。味噌汁は多少つまむ程度。よく食べられた方ではあるだろう。でも、腹はあまり膨らんでいなかった。フラットな状態ではあったものの、半膳分を食べ終えた時、その時点で腹の嫌な感じがした。

ちょっとした不快感だ。早期膨満というよりも、腹にそれなりに溜まった感じだった。その時に胃が膨らめば良いものの、そこで動きがないからいけない。

食べる前のしぼんだ胃は動かず、がちがちの胃袋に溜まってしまう。元々の状態の低さはあれど、胃の動きがあればもっと食べられた。それがあれば、真の最低限度に達するはず。

 

そして入浴前の計測をすると、体重は全く増えていなかった。調子はだいぶ戻ったものの、体重は昨日と変わらなかった。ぎりぎりの状態を抜け出していない。腰回りを触っていると、多くが削げ出ていた。

大台から一キログラム下回っている。危険な領域のままだ。その恐ろしさがある。つい前にはもう一キロは肉が付いていた。何故こうなってしまったのか。

 

問題は今日の計測だ。それがどうなるかによって変わる。次の通院が三日後にあるため、どうドクターに話をするかが変わる。不調として不調を伝えるのか、不調だったものが上向いたとするのか。その考えを巡らせている。

不調なら不調を伝えれば良い。まず導入でそうすれば、話が不調にまつわるものになる。そこで死の恐怖や無理を伝え、機能性ディスペプシアの薬も尋ねてみれば良い。あるいは何かの策が生まれるかもしれない。それはそれで悪くない。

調子が少し上向けば、それを伝えたくなるのだろう。とにかくドクターに不調を言いたくない。これはトラウマサバイバーとして仕方ない。でも。そうすれば一ヶ月後まで変化が生まれず、時の運に揺さぶられ続けるかもしれない。それも怖い。

流石に状態も状態だから、低調なことを共有した方が良さそう。それにあと三日では、どうにも変わらなそうだ。体重は増えやすくなどならない。

今日は歩かなかった。歩けそうな気はしたものの、母が雪をかいていたため、申し訳なくて歩かなかった。夕べは湿った雪が降り、相当な重さの量が積もった。それを寄せるのは容易ではない。自分が役立たずで申し訳なかった。

体力はどの程度あるだろう。もちろん減ってってはいるだろうけれど、内的に費やす分にはある。すこしエネルギーの不足は感じるものの、そこまで辛い訳ではない。

明らかに食べられなくなれば、じっとしているだけでもきつくなる。今はその危うさはない。

でも、もちろん活発には動けない。運動がそうだし、通院の行程は乗り越えられるだろうか。そして買い物まで出来るのか。その不安がある。

 

三食をそれなりに食べても上向かないなら、 後はどうすれば良いのか。低摂取で推移するしかないのか。

なるべく理知でケアをしていけば、そのうち時の運で上向いたりする。それが安定していけば、体重が増えて動けるようにもなる。

でも、時の運は悪くも働く。摂取が安定しない時に揺さぶられたらどうしよう。余裕を持つために無理は起こる。それがまた打撃となった場合、今度は本当に深刻な水準に落ちるかもしれない。そうなれば、何もしなくても辛くなってしまう。

 

とにかく通院日までは理知を保ち、診察で切っ掛けを得たい。薬の追加をしたり、内向直観の暴発を止めること。

処方の可能性と事実による学習。状態を説明して共有し、解決策を考えていく。そこで刺激を得られたら、そこから変わっていくかもしれない。

 

あるいは薬を処方できず、死の解像度が上がっても変化しないかだ。薬は処方できない見込みが大きい。

となると、後は身体の危険領域について現実を知ること。プロの知見を得ることだ。ドクターとの対話から事実や現実を学び、精神的な安全を得ること。そうすれば、内向直観ばかりを使わずに済むかもしれない。

薬を新たに飲めないならば、いま不安に思っていることを伝えること。BMIが危険領域にあると思っていることや、そこで何とか上向かせようとしてしまうこと。そのネックを伝え、医学的で確かな情報を得ることだ。

 

考えられる辛い状況は、身体の水準が危険だと認められ、かつ薬などによる変化ももたらされないこと。薬は処方されなくとも、内向直観の推論が正しければどうなる?何だかドクターがうつむいている姿が浮かぶ。もうやれることなど少なそう。

もう手がないとすれば、後は開き直るしかない。時の運に流されることだ。このまま朽ちて果ててしまいそうでも、そうなればそうなるのだ。それは仕方のないこと。

今まで生きたのが好ましくなかったのであれば、事切れるのが自然だとも考えられる。生きて辛いのならば、そうなれば楽になるのかもしれない。

あるいは開き直ったことで気楽になり、摂取を真剣にしなくなるかもしれない。ストイックに生きるから辛いのだ。死やまともな生、それらに真剣に向き合っているからこそ、無理やストレスが生まれる。そこから解放されたのなら、何の苦しみもなくなるだろう。

生きて報われるようになるのか、それとも別の世界でそれがあるのか。この世でその暁を迎えるのか、あるいは違う世界で辿り着くのか。

魂の旋律は十分に残した。後は誰かが覗きに来れば良い。そうなる未来もたまに考える。文はタイムカプセル。誰かに発掘してもらおうか。

 

また明日。

 

参考書籍: