HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

技能の習得 安住の免罪符

今日も自宅に居る。天気は曇りのち雪だ。夕べにどれくらい積もったかは分からない。今日は歩かなかった。

午前の内的な作業の後、少し頭が消耗した。その感じがして、そこで歩かずにじっとしておいた。次第に楽になったものの、歩く程の力は感じず、その代わりに腹が整ってきた。それを感じて歩くのは止めた。

朝食はよく食べられたものの、この判断は良かったと思う。真に歩きたい時に歩けば良い。

今日は特にフィードバックすることもない。朝食と昼食はよく食べられた。夕べはもっと食べたかったものの、深刻ではなかった。そして今日は問題ない。

あまりストレスを感じていない。昨日の診察によって変わったのか。それなりに食べられているし、作業も出来る。気も連続して遣れているし、晴れていたら歩いただろう。

今のところは安定しているか。夕食はどうなるだろう。ここから上向いていくのか。

 

今日は外に出ずに終わっていく。それでもよく食べられたら良い。自立のための体力があれば問題ない。それに繋がる日常なら良いだろう。

変わらず内的に費やし、インターネットの世界を見ている。ユング心理学入門を読み進め、色々な記事を探し、創造的に生きている人の様子を見ている。それだけでもストレスは小さい。

親しい人と交わりたくはあれど、あまり辛さは感じない。親しい人と身近で触れあうのならば、それは家族にならないといけない。そのようにはならなさそう。学舎や仕事場では人と出会えない。居場所に出向いたとしても、まともに関わることなど出来なさそう。そしてその場所は遠い。

 

内的には費やしたい。それは欠乏を求める適応機制だろうけれど、自己実現価値である可能性はある。知能は言語と内省にあるはずだから、そのどちらも含まれている。勉強とアウトプット。それを磨くのに損はないはず。

体力があれば何をするだろう。やりたいことは少ない気がする。内的な勉強をし終えたいくらいだ。そしてセルフフィードバックを終え、フロー更新は日記くらいにする。質を考えず、ただ好きに存在を記すこと。

 

そうなると、あとは親愛なる人が居てくれたら良い。でも、健康な人とは出会えないし、居場所に出向くしかない。そうしたとしても、自分は何をすれば良いのだろう。

健康になることは欠かせなくとも、内的に費やしていきたいと思っている。社会復帰はしたくない。外的な適応などする気はない。社会よりも個人や小さな集まりの方が良い。そうやって自己実現をすれば良い。それだけで良いのではないか。

都会を散歩して、賑やかな店に入りたい。そしてパートナーがいれば良い。それだけのフラストレーションだと思う。あとは身の回りのことをし、教科書で学ぶような自立をしたい。

 

楽しいことはインターネットを見ることや、音楽を聴くことか。あとは散歩をしたり、テレビを見たりするのもそう。

きついことは読書だ。それは勉強のためだとそうなる。理解の容易くない知を学ぶこと。本腰をいれて噛み砕かないといけない。

そしてブログのフロー更新と、ブログストックのリライト。これをこなすのがきつい。時間も隙間にしか余らない。それでも、これらに注力したくもある。誰かと過ごす時間は少ない。

せめてこれらを好きにこなせば良いのか。時間に縛られないこと。「この時間にこれをやる」とするのではなく、好きな時に好きなことをする。好きに学んで好きに書く。それをしても良いのだろうか。

 

今の日々を誰にも責められたくない。生活の免罪符がほしい。それはやはり、未だ自活能力の有無で問われる。それを携えない限り、安住して生きていける気がしない。だから頑張ろうとしてしまう。ただ、年金が支給されたら変わるかもしれない。

欠乏を満たせたのなら、それはそれで変わってくる。実生活をまともに生きていけるだろう。そのぶん外的に適応し、社会人として生きていくことになる。そうして存続を保たないといけない。でも、体力があるなら簡単かもしれない。

それは出来ない話だろう。歴とした病人でありつつ、年金が支給されるかもしれない。ただ、それで存続は確かに感じられず、何かに取り組んで務めてしまう。そのきつさはある。

何かの技能には優れないといけないか。それには年月をかけて励まないといけない。それをしているのか。

大方のセルフフィードバックは今年で終わりそう。あとはトラウマや気質について学ぶこと。捉え直しのための勉強は終わりそうだ。

 

また明日。

 

参考書籍: