今日は寒空だ。外には出ていないけれど、外の空気は冷たそう。歩ける体力や時間はあったものの、身体に障りそうで止めた。特に荒れてはいないものの、励んで務める程ではなかった。
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夕べはよく食べられつつ、少し状態の悪さを感じた。一膳とそれ以外は食べられたものの、腹があまり快くなかった。腹が空いていたのなら、そこで気持ち良さを感じるのだろう。食べ初めや途中できつさがあった。
そして多少の無理をしていた。昼がかなり好調だったため、夕食もよく食べられると踏んでいたのだった。
多少のコンプレックスが湧いてしまった。それら好調コンプレックスだ。よく食べて調子を上向かせようとしてしまった。ちょうど良く抑えておきたかった。
翌朝の胃はそこまできつくなかった。これは幸運だったろう。最良の量の手前ほど食べられる。理知も働いてちょうど良く食べた。
その後に便通を促そうと水を飲んだところ、そこできつくなってしまう。多めの数口を飲んだだけなのに、胃の動きが急に止まってしまう。これも厄介な不定愁訴だ。
昼までにあまり回復しなかったものの、食前の漢方を飲むと少し和らいだ。そこで一膳とおかずを食べ、味噌汁も食べる。
その後にまたきつくなるも、そこまでの負荷ではない。でも、夕食は最良で食べられなさそう。
やはり最良の摂取が少ない。それが出来る時は、用意していた量よりも食べられる。そしてきつくならず、腹もぐんと膨らむ。
それが連続しないと肥えないのだろう。そう考えるとそれが少ない。普通の人はそれが続くはずだ。
食欲不振、早期膨満、小さな胃袋。これらが一つでもある場合や、連続してしまえば腹は膨らまない。そうなると太ることはない。単純な話だ。
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日をまたいでまた記している。今日も変わらない過ごし方をしている。朝のルーティーンの後に読書をし、リライトや推敲、ラジオを聴く。そうしていると頭が重くなったため、歩くのは止めた。晴れていなかったものある。日の当たらない部屋でじっと過ごしていた。
今日もフィードバックすることがないし、特にそれと重なる学びもない。大方はそれをやり終えたのか。それともただ時の運が良いだけか。
体重はあまり戻らないものの、身体は辛くない。何もしなくても辛いことはなく、作業をしても平気だ。頭を消耗させることが出来る。天気が良ければ歩いているはず。
死に直結するという意識はない。昨日は前述のように、好調コンプレックスが湧いたはず。体調をもっと上向かせ、在りたい日々を得ようとする働き。裏を返せば、そうなるような調子があるかもしれない。最低限の胃の持久力は付いたか。
明らかな無理がなくなれば良い。そうなれば、深く調子を落とすことは減る。ゆっくりと食べていき、気分が悪くなりそうなら止める。それさえ連続させれば良いだろう。ある程度は調子が保たれるはず。
問題なのは無理を重ねること。負債を返す前に負債を抱えてしまえば、かなりの泥沼にはまる。そうなれば何食かを犠牲にしないといけない。その覚悟はなかなか持てない。本当に食べられなくなるまで食べてしまう。
体重の余裕さえあれば良いけれど、それは前述の要素が必要か。もっと快く食べられないといけない。ある程度は体重が維持されつつ、深く調子が落ち込まないこと。それさえあれば、不自由のある小さな人生を生きていける。
それで最低限の生活が出来るはず。あとは技術に頼れば良い。年金や貯金を用い、生理的欲求と安全を満たしていく。それが病気やその悪化を防ぐ。
そして社会との接点を持ち、何かあれば出掛けること。役所や病院へ行く。そこが出来れば最低限の自立となる。更に居場所へと出られたら、ノイローゼの治癒がもたらされるかもしれない。
ある程度を食べられた時、そこで安心をすべきなのだろう。身体の恒常性は整うだろうし、それによる安全も得られるはず、だからその時点で良いはず。不完全ではあれ、最低限度の原資は得られる。そうなのかもしれない。
やはり生死の際の恐怖は、多面的に見れば誤りなのかもしれない。それは心的な直観によるもので、可能性の稚拙な推論かもしれない。正しい結論の可能性はあっても、それを支える思考や情報は、未分化な観察が元かもしれない。体重を捉えるのは主観であり、それが導いた現実は正確とは限らない。
元気はあるのかもしれない。つまり生理と安全は満たされている。あるいはすぐに満たされる。となると、所属と愛を求めて良いかもしれない。
それは行動計画に影響するし、個人的な対話の内容も変える。身体はそこまで深刻でないのなら、現況に強いストレスを感じなくても良い。
低体重は問題でも、それはさほどの話かもしれない。生理と安全が満たされているなら、次にすべきことは所属と愛を満たすことだ。
確かにエネルギーや安全はある気がするし、所属と愛を既に求めている気もする。だから好調コンプレックスに足を取られ、不調に引きずられているのか。そうかもしれない。
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心理的な重荷が降りたのなら、そこで楽になったりはしないか。余裕を持つことは大事でも、そればかりを考えても仕方ない。ストレスから解放されることを考えるべき。それが出来ればそのうち肥えるはず。
また明日。
参考書籍: