HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

新たな人格の発展 自己の統合

今日も最近と変わらない天気だ。地上と空の色が同じ。白と白の色合いで、光は強く眩しい。

今日は暖かかったのか、母に散歩へ行って良いか尋ねたところ、問題ないとサインが出た。自分もそれに安心し、作業をしても疲れなかったため歩いた。およそ十五分弱か。ほとんど疲れずに帰宅する。その後にまたリライトをしたり、インターネット見てラジオを聴く。

何日か振りに歩いたものの、体力の低下は感じなかった。それは良い証だと思う。直近の調子と相まり、今の状態を確認できた。死に直結はしていないはず。意識もそれを感じているだろう。

夕べの状態はそこまでだったものの、よく食べられた方だった。ごはん一膳をまともに食べ、肉も最良の量を食べる。そして味噌汁も結構つまんだ。食べる途中のきつい感じはそこまでだった。

食後に立ち上がって腹を触ると、脇腹の辺りに厚みがあった。確かに肉が付いていて、それが嬉しかった。入浴前にも身体を見ると、何日か前よりも肉が増えていた。そして計測をすると、確かに増えていた。

直近の調子と呼応しているはず。ちょうど捉え直しによる変化があったし、それが結果をもたらしたのか。そんなことを考えた。心理的な重荷が減った気もする。

よく食べられている感じはしないものの、無理が負債となることもない。理知の顕在や胃の持久力があるのか。その二つが伴っていれば、確かに体重も増えそうだ。ほどほどによく食べ続ければ、徐々によく食べられるようになる。

日をまたいでまた記している。今日は室内に居ても寒さを感じる。晴れてもいないし歩かなかった。それで良かったと思う。心臓の負担となりそうで怖い。

 

夕べは最低限の量を食べられたものの、腹はあまり膨らまなかった。昼にほんの少し食べすぎたのか、最良の状態ではなかった。それなりに食べられたものの、腹が空いていなかったし、たくさんは食べられなかった。

それで体重は増えない。それどころか少し減っていた。尿や便の量ではなかったはず。でも、それでいて脂肪が減った感じはなかったを

 

よく食べられた方だったものの、最低限度までは引き上がらない。それがネックだ。強い反応はしたくないけれど、流石に水準というものがある。それが心配だ。

一か月前は大台の手前で安定していた。それは停滞だったものの、最低限度の水準には達していた。そう考えると自然だったはず。今もそれなりに食べられているはずなのに、一向に安定しない。

 

やはり快い満腹が遠いのか。用意していた量を軽く食べ、追加で炊飯器に向かうなどはほぼない。その段階に達しないといけないか。今は一膳を食べきるのが精一杯だ。それをそれなりと思っているだけで、認知の歪みかもしれない。

恐らくは、些細な食べすぎが影響するのだろう。それが消化を滞らせ、引いては次の食事の食欲を減らす。

不定愁訴があるなかでは、普通のようには食べられない。それでも、無理をせずに食べていけば良い。それだけで最低限の食欲は湧く。そこでほど良く食べ続けてれば、不定愁訴がありながらも胃は大きくなるはず。

 

それを阻むのはコンプレックス。直近では、恐らく生死にまつわるそれはない。死の際にあるというストレスや、そこから生まれる情緒反応は和らいでいる。好調コンプレックスが湧いているのだろう。

今でもそれなりに胃の持久力はある。何もしなくても辛くはないし、多少は暇になったりする。生理的な恒常性や、生活の安全はそれなりに満たされている。

となると次の問題は、所属と愛を満たすこと。暇なのにそれが出来ていないため、コンプレックスが発現してしまうのだろう。

まともに自立したい気持ちや、正の感情を得たい気持ちを晴らせていない。それによるストレスが生じ、そこを脱却しようとして身体を頼ってしまう。「身体さえ丈夫なら何とでも出来る」と、周囲の誤った接し方を繰り返してしまう。

 

新しい生き方を獲得しないといけない。ユング心理学入門では、「二重人格として生じるものは、新しい人格の発展の可能性が妨害され、その結果として意識に障害が現れたものである」というユングの記述が引用されている。マズローの原典にもそのような表現があり、それは「人格成長の失敗としてのノイローゼ」とある。

なんとか所属と愛を得て、そこから尊厳も得ることだ。そうなればノイローゼは癒される。そしてエネルギーが満ち、可能性や能力の発展に繋げられる。それは劣等機能を用いることであり、正の感情を得ることでもある。そしてやがて主機能の開発にも繋がる。

主機能による自己実現、劣等機能による欠乏の満足。才能がある人というのは、主機能にまつわるエネルギーが強くあるのだろう。それは多重知能と重なるのかもしれない。そのエネルギーを心の習慣としてよく使うものの、そればかりではバランスが乱れてしまう。それが基本的欲求の欠乏として表れ、心身に由々しきことが起こる。劣等機能を用いて欠乏を満たさないといけない。

劣等機能の暴走がノイローゼや神経症なのだろう。過去と未来が交錯し、意識と無意識の統合が失われている。

 

人生の最初の二十年でカリキュラムを与えられ、その後の二十年でそれを学ぶ。始めは親の接し方や、社会の価値観による生き方を与えられる。でも、それによってトラウマを被ったり、豊かな才能を活かせなくなったりもする。

そうなるとすべきことは、新たな人格成長だ。主機能という表層の自我と、劣等機能という深層の無意識を統合すること。今までの傷を癒し、それによって新たな糧を得ること。ストレスがなかった頃には持ち得ない資質を獲得し、それを携えて生きていくことだ。

好調コンプレックスの発現は、トラウマによる直接のものではないはず。あるいはそれもトラウマと重なるのか、それともマズローユングの理屈では解明できない何かか。それをこれから学んでいきたい。トラウマの科学について。

体重の底上げを期待したいけれど、それに意味はなさそう。もう所属と愛を満たした方が良い。それが出来る状態ではあるはず。こうやって文も記せるのだから、体力は満ちているだろう。

 

また明日。

 

参考書籍