欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

心身と自尊心 喫緊の課題

今日も辺りには色がない。白とわずかに見える路面の黒。失色した町。日の光りも無機質で、そんな日が続いている。早く晴れないものか。雨とは違う気分の変化がある。

今日は歩いた。午前には少し日が差す時間もあった。その合間を縫って歩く。十分以上は歩いたはずだ。図書館を一周は出来なかったものの、その手前を折り返して歩く。それでも往復で一kmは歩いた。

帰宅すると少し疲労感はあった。ただ、消耗はしていない。スクリーンを見たり出来たし、年金の給付要項にあるような軽食作りをした。程よい身体への刺激だったと思う。

でも、その後の昼で腹が空かなかった。朝食は食べすぎてはいなかったものの、午前の早い時間に雲行きの悪さを感じた。恐らくは夕べの食べすぎがあり、朝もほんの少し食べすぎたと思う。

 

夕べは最良の状態ではなかったはず。そのなかでいつも通りには食べられる。ごはん一膳はそれなりで、肉はいつもの一食分、味噌汁もよくつまんだ方。

考えれらるのは、味噌汁が一杯分用意されていたということ。母がその量を用意していた。全ては食べられないと気に留めなかったものの、どこかでよく食べようとしてしまった。

食後には少しきつくなっていた。寝る前もそうだった。これは自尊心を保とうとする体調コンプレックス。

 

それが朝に引き続き、朝食もなるべく摂ろうとしてしまう。理知が弱くなっていた。無理はなかったけれど、どこかで負荷となっていたのだろう。

今日の昼はよく食べられなかった。最低限は食べられたものの、もっと食べておきたかった。一膳とおかず一品、そして味噌汁一杯分。そこに何とか達したい。

夕食が迫る今の状態は、最良とは言い難い。胃に滞留していないはずでも、それがある気がする。ただの胸焼けの気もするし、それで収まらない気もする。

 

直近の反省を活かそう。とにかく無理に無理を重ねないこと。漢方を飲んでも状態が悪ければ、その時は無理をしないと決める。入浴後にスポーツドリンクで腹を整え、そうして眠りに就けば良い。それだけで翌日に調子は戻る。

この理知は発現させたい。夕べの無理が悔やまれるけれど、ここで意識的にケアをしたい。それが出来れば良い。

あるいは胃の持久力で乗り越えるか。それは漢方後に分かる。楽に感じれば問題はなくなる。悪ければ無理をしないこと。それだけのことをすれば良い。

それだけで気分は良くなる。それが続けばずっとよく食べられる。そんな到達できない理想が見える。

内的なルーティーンに終始貫徹となっている。それが辛くなってきた。そうする必要がないのにそうしてしまっている。ルーティーン自体に意味があるのか見えない。それでいて、ルーティーンから外れるのが怖くなっている。本当は外出したいし、人とも会いたい。歯医者にでも何でも行きたい。

何でこんなに焦っているのか。とにかくアウトプットとインプットを重ねないといけないと思っている。それをしないと不安になってしまう。

フローとストックのための毎日。アウトプットのためのインプットをしようとし、時間や効率に追われてばかりいる。それに成果などないのにだ。

 

それは欠乏の適応規制だろう。でも、何故ここまでになるのか。年金を貰えるようになれば、公的に暇を認めてもらえる。だとすれば自活の圧力は減り、悠々と自適に過ごしていけるはず。いや、それと同じような立場は認められている。家族からは責められていない。

稼げないと自尊心を保てないのか。それは時代の価値観によるものか否か。あるいは、やはり欠乏を満たせないフラストレーションが強いためか。

それらの両面で自立したい気持ちが強い。自活をして社会的な存続を保ちたいし、欠乏の満足によって心身を確かにしたい。ノイローゼを癒したく、豊かで創造的に生きたい。働くことに縛られずとも、何かの自己実現価値に費やしたい。

 

こう考えると、全てに欠乏が関わっている。自活は尊厳や自己実現の欠乏にまつわり、ノイローゼは所属や愛、安全の欠乏にまつわるものだ。

それらが満たされたら健康になり、才能を活かして成長に費やしていける。それがないからフラストレーションが溜まり、廃れてまともに生きられない。その状況を何とか脱しようとする働きが、自尊心を得ようとする擬似的な無理のしすぎとなる。習慣による束縛だ。

 

自己成長に張り詰めなくとも良い。家事をしたり、買い物に出たり、用事を済ませて人と会っても良い。その方がインプットになったりするだろう。そしてそれがアウトプットにもなる。セルフフィードバックならよりそうだ。先日も通院のエントリーを記した。

その自己成長の時間も、数えればさしたる時間ではない。三・四時間ほどだ。その隙間で人と会ったり、外出して用事を済ませれば良い。

時間は一日に必ず余るはず。その時に色々と費やせば良い。一日が潰れたとしても、その後に予定が続くことはない。そこで例外的なインプットを回収すれば良い。

 

何もやることがないからか、あるいはやれることがないからなのか。健康や本分があれば、それに費やすなかで色々とこなせば良い。

その本分がないから辛い。そして健康もない。そこから脱却するために務めてしまう。それが心身を守る喫緊の課題。そこを乗り越えないと何も始まらないため、とにかく務めしてしまうのだろう。のうのうと過ごしてはいけないと思ってしまう。

健康的で文化的な生活を送りたい。居場所があって人と会い、家事や用事を済ませる。自活もしたりして、立派に自立をする。健康、仕事、自立。これらがただほしい。まさしく健康的で文化的な生活だ。それが願いだ。

 

また明日。

 

参考書籍: