HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

詳細な行動指針 義務と焦燥

今日も曇天だ。白い雲が広がっている。そこまで暗くはなく、気分も鬱屈にはなっていない。でも、日々が変わらないから参っている。

少し遠くまで散歩に出られたし、体力があるのかもしれない。直近で無理は減っているだろう。夕べもよく食べられた。そして体重も増えている。悪くない推移だ。それでも、また無理が祟るかは分からない。

 

所属と愛を求めているというより、自立や過ごしがいを求めている。今はとにかくそれらがない。

ただ興味のあることを吸収するばかり。アイデンティティーを見つけようとしたり、世の中について学んだりしている。でも、それだけでは辛くなる。何も価値が生まれないし、日々の満足にもならない。

そして出来ることもしている。調べて書く。過去の自分にとって役立つことや、あったら良いと思う情報を記す。そうやって価値を生めないかと試行している。結局は日記に始まるものだとして、肩肘張らずにしようとも思っている。ただ、それでは意味がないかと思い、義務的に励んでしまっている。

 

セルフフィードバックすることがなくなれば良い。それが一番の理想。イン・アウトプットに全力を注がなくても、日常こそ充実すれば良いだろう。金銭によって存続保証を得たくあるけれど、満足感があればそれで良い。健康になれたら道は開ける。

稼ぐための手段はなくなれど、満足による健康が生まれる。年金を貰えるなら貰いつつ、そのなかで好きにインプットをすれば良い。その時ならそう出来るだろう。それはアウトプットもだ。年金によって公的に暇を認められ、社会参加によって自立へ進んでいる。そういった日々の建設性が得られたら、縛られずにインプットをすれば良い。

好きなことを表現するなど、身近にある創造を発現すれば良い。それをインターネット上に存在させる。そうすれば娯楽を生み出せるかもしれないし、愛されて応援されるかもしれない。あるいは人の役に立つこともあるだろう。それは日記でも良い。いや、それくらいが良い。

楽に好きなことを吸収し、創造で表現をして同類に伝える。それで生きていけるかもしれない。

 

インプットばかりに費やしても仕方ない。頭が柔軟で新鮮に働く時なんて、一日に一時間ほどだと思う。狩猟時代だって二,三時間しか働いていなかったそう。それはその時間しか動けなかったのではないか。そう考えれば、根を詰めてばかりではストレスとなる。

じっとしていて疲れたのなら、今度は身体を動かすしかない。何をしていたとしても、そればかりを続けると毒になる。だから正反対のことをすること。

その正反対のことも、過去にそのことでストレスを被ったかもしれない。でも、今度はそれをせざるを得ない。たまにはそうしないといけない。

何回も考えているけれど、そろそろ日々を動かした方が良い。それは社会に出ていくことだ。居場所へ出ることや、人と繋がること。そうしないと何も始まらない。

直近で思ったのは、ドクターともっと話す必要があること。デイケアや居場所が遠い理由や、それを何とかクリアする方策、普段から捉え直していることなどを共有する。そうして最善の策を考えないといけない。全く塞がっている訳ではないと思う。自分が話せば変わるかもしれない。

 

あるメンタルドクターが動画コンテンツをアップしていた。自分が抱えている疾患を閲覧してみれば、大体は本質的なことが分かる。不自由の原因と解決策。

優勢な原始的反応と、劣勢な理知。ある程度は化学的に処置し、全体としては理知的に対応すること。そのための薬物や、行動療法などがある。

社交の場に出たいものの、トラウマや不安が強くある。それを何とかする策はないか。それは薬物であるかもしれないし、それを用いた適応かもしれない。あるいは不自由に応じた選択か。それを話すだけで良い。そこで何か生まれるかもしれない。

 

流石に毎日が行き詰まっている。インプットとアウトプットばかりに意味はあるのか。それで稼げたら良いものの、それは喫緊の課題なのか。

年金の支給がなくとも、既に暇を認められてはいないのか。あるいは存続を保つために焦らずとも、健康になれたら良いはずだ。そのための努力をすれば良い。

内的な基盤はありつつ、きちんと社会との接点を持つ。そうして満足を得つつ、好きな時間にイン・アウトプットをすれば良い。その土台に不自由の認定はある。そして好きに創造をしていれば、価値や応援を生めるかもしれない。

自分のメモを見返していたら、詳細にコンプレックスの発現を捉え直していた。

「欠乏によってトラウマの再発率が増加すれば、それがコンプレックスの顕在させ、劣等機能に囚われた状態へと陥る」

これが自我と無意識の統合の乱れ。トラウマを回避しようとする働きでもあるし、普段に用いない機能を開発する働きでもある。それによる心身のバランスの確保するもので、新しい人格を生もうとする働きだ。

「所属と愛の欠乏があれば、好調コンプレックスが湧く。これも同じような原理が働き、自尊心が傷付けられるとして無理をしてしまう。どちらも誤った心象によるものだ。つまり、コンプレックスが生まれたから呪縛がある。それを言い換えれば、人から誤った心象、いわば好ましくない生存戦略を植え付けられたからだ」

体調が悪ければ自尊心を保てない。その認識も内向直観の暴走によるもので、そうやって無理をするのが好調コンプレックス。これに食欲不振が重なれば、慢性の状態からは容易に抜け出せない。

 

身体の恒常性と安全は、自分でもすぐに満たせるはず。ある程度は胃が膨らめば良いのだ。すると「死んでしまうのではないか」とか、「親を安心させないと干渉される」などと誤った推論をしなくて済む。これが内向直観の負の暴走で、これは簡単に鎮静化される。最低限の量を食べられたら良いのだ。

問題は好調コンプレックス。何とか体力を底上げさせ、まともに生きていたいという心理。調子をそれなりの水準にしたいし、豊かな日々を生きていきたい。安全を満たし、所属や愛、尊厳を得ていきたい願望。

そのためには使い慣れない機能を用い、新たな人格を構築すべきだ。でも、それを自ら遮ってしまう。すると誤った推論に縛られ、心身のエネルギーが乱れてしまう。

 

内向直観の暴発により、誤った事実による推論が不調コンプレックスを生んだ。つまり死と隣り合わせだという認識や、親をとにかく安心させたいという心象によるもの。それらの生命を脅かす脅威に対し、「とにかく身体を上向かせよ」というコンプレックスが生まれた。

そして好調コンプレックスも同じように生まれたのだろう。「体調が悪ければ自尊心が傷つく」という心象も、内向直観が導いた誤った推論にすぎない。少ない事実から好ましくない認識を築いてしまった。それが安全を保つし、まともな日々ももたらしてくれる。そう思ったから好調になっても無理をするし、欠乏を埋めようと擬似的に務めてしまう。

大方の病理がまた見えてきた。ただ、裏を返せばまだ全容が見えてなかったのか。それなりに分かっていたものの、より詳細な原因やすべきことが見えた。

社交においても体調コンプレックスがある。余裕がない時や、体調が悪い時に社交に出てしまえば、過度に緊張が高まってしまう。その高ぶりによって主に吐気が増す。するとそれによってまたパニックになり、ますます神経が高ぶる。何とか無事に帰宅したとしても、恐怖体験を繰り返したくないと臆病になってしまう。

まずは体調を整えること。でも、上向いたとしても好調コンプレックスが湧く。だから最低限の体力を携えて社交に出るか、まずはオンラインで練習をするか。運動で体力をつけられるならそうしたいし、薬物で対応できるならそうしても良い。

とにかく色々な策を試したい。そのためには状態を共有することだ。次の診察ではそうしたい。

 

セルフフィードバックはただの自由な日記となり、人と話したり出掛ける時間が増える。それと運動によって力は満ち、それなりに自立の準備が出来る。あとは空いた時間に内的に費やせば良い。それをする上で束縛はない。

 

目途があるなら今すぐ進め。行動して叶えてしまえば良い。

 

また明日。

 

参考書籍: