欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

知識による活路 有意義なバランス

午後の今は曇っている。午前は薄雲が広がっていて、日射しも少し差していた。風がほとんど吹いておらず、強い寒さはなかった。路面は一部が露になっていて、このまま春になれば良いと思った。でも、予報には雪だるまが並んでいた。

午前に歩き、今は自室で過ごしている。午後も歩けるような体力はないか。それが出来そうな時はあっても、ここ何ヵ月かは午後に歩いていない。歩かなくても夕食を食べられたりするし、あまり意味はなさそう。

午前に歩いた後は、少し疲労感があった。昨日はかなり歩いたけれど、それよりも短かったかもしれない。今日は別の道を歩く。

そこまで力は満ちていなかったか。でも、朝食は最良量を食べられ、夕べの計測も良い結果だった。歩く前の作業で疲れていたのか。ただ、消耗はしていない。帰宅後も内的に費やせた。

 

引き続き無理をしていない。食べすぎることはなく、食欲もあまり落ちていない。かなり食べられている訳ではないものの、夕べの計測では増えていた。

それは何故だろう。考察の通り、無理さえなければ上向くのか。あるいは時の運によるものか、内向直観の暴走による消耗が和らいだか。

後者であれば良い。どんどん体重が増え、余裕を得られたら良い。そこで好調コンプレックスが湧くかもしれないものの、不調コンプレックスを鎮めるのと同じように、内向直観の暴走を抑えたい。好調コンプレックスもそれが原因であるならば、無意識の劣等機能に覆われることも少なくなる。

それで体重が増えたなら、社交における資源となる。体調に余裕があれば、ストレッサーに過度に反応しなくて済む。猛烈に闘争と逃走の体勢を整えなくても、身体が強ければ立ち向かえる。居場所へ出るための前提が得られる。

 

今日も変わらずイン・アウトプットをしている。朝のルーティーンの後、すぐさま推敲とリライトに費やす。これだけで頭が疲れ、すぐに本が読めなかった。代わりに音声配信を聴いたり、各種サイトで記事を読んだりする。

そこから少し本を読む。ユング心理学入門は大体を通読し、そこから何を読もうかと考えていた。トラウマの本を読むか、好きに興味のある本を読むか。前者は勉強の色が強く、簡単にはこなせない。そしてあまり楽しくない。読みたくはあるものの、いざ読んで理解するのは難しい。

この数日にインフルエンサーの本を読み、社会や経済について学んだ。情報感度や実経験が多い人は、新しい流れを掴んでいる。それは技術だったり、社会の仕組み、新しい価値観だったりする。その人が故きを温ね、かつそれを分かりやすく記してくれた時、何にも勝らない人間は恩恵を受けられる。それが本の面白さだ。生き方を教えてくれたり、考えるための基礎を与えてくれる。

それに少し触れた後、そういった学びの気持ちは収まり、またトラウマについて学んでいる。ここでユングの概念とMBTIの知識が役立った。トラウマの原理を噛み砕きやすい。最新の科学では、精神分析に足りないような、神経学・生物学的な根拠が加わっている。本質にある理論は、自我と無意識についてで理解できる。

 

知の結晶は相当な高度に達している。かつての精神の病名には、一個人の偏見や蔑称があった。それは科学の進歩により、フラットな名称になっている。何かの不自由がある場合、それは世の中で解明されているかもしれない。

フラットに見ても病的な状態はある。それはそう認めざるを得ないけれど、そこで「異常で狂っている」とか、「価値がない」と考えてはいけない。その時点で探求心は消えてしまう。そして個人の尊厳もついえる。疾患として捉えざるを得ないものはあれど、科学の未発達さによって含まれているものもある。

敏感さによる偏見もなくなってほしい。「臆病」「怖がり」「引っ込み思案」「気難しい」など、これらの本質には鋭敏さがあり、それが対の性質の人にそう映るだけだ。鋭敏さは個人の生存や、社会の健全化にも大きく貢献する。発育歴などが行動に影響しやすいだけで、この分野にも偏見や誤解があると思う。

 

身体はそれなりに楽で、エネルギーが満ちている。何か創造的なことをしたい。人と話したり、何かを生み出したい。それはSNSに向いたり、現実的な可能性に向いたりする。

でも、やれることは勉強のみだ。これを人と会うことにぶつけたい。所属の愛の満足と、創造と尊厳。そこまでいけば自己の回復と実現は近い。

前回に記したように、一日に頭が働くのはほんの少しだ。単純な記憶に費やすのなら良くても、学習や思考に何時間もエネルギーを割いてしまえば、知恵の体系は生まれない。つまりインプットにならず、アウトプットも滞る。だから経験や刺激が必要だ。机と本にばかり向かっても仕方ない。

毎日でなくても良いから、定期的に人と会うこと。外出したりする時間も取る。そうやって健康に過ごしたり、まともに日々を送ること。セルフフィードバックという糧はなくなれど、全てが消滅する訳でもない。それを何かに活かしつつ、健康に過ごしながらイン・アウトプットをする。それをするための社会的認定や、日々の建設性はある。

そうするのが良い。健康、社会的存続、イン・アウトプットの三点三立。これが最高に有意義で建設的だろう。

トラウマの書籍によって、大きな認知を得られそう。かなり知識総体が拡大しそうだ。考えも刷新されそうだし、認識も変わってくるだろう。知識が問題に道を与え、行動が前進を生む。

 

また明日。

 

参考書籍: