HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

病と不自由 行動と創造

午後になって少し曇っている。雪がぱらついた時間もあったけれど、今は曇っている。光が鋭利で眩しい。

午前に母親に髪を切ってもらう。何年か前は親の知り合いに切ってもらっていたけれど、身体が辛くなってやめた。たしか今の病院に通う前だったか。もうよく覚えていない。かなり年が経ったのだろう。もう自分は大人の歳だ。

そこで切ってもらうも何も、親の運転でそこに通っていたのだから、母親に切ってもらっても変わらないか。高校年代でそうしていたのだし、もう仕方ないだろう。それくらいは自分が許してやろう。こうなるくらいの経歴はあった。

 

朝のルーティーンを終え、トラウマの本を読む。およそ四十分くらい読み、ページ数で言えば十ページくらいだった。でも、情報が凝縮しているし、着実に通読するとすればそれくらいが良い。頭が処理できるのはそれくらい。

丁寧に線を引いたりして、それを改めて読み直す。思い付くことがあれば余白にメモをし、本質的なことを頭に浮かべる。それをする方が効率が良いはず、読み進めることにエネルギーを割けば、理解の作業にはならない。インプットを着実にするのなら、少しずつ読むしかない。

そして髪を切ってもらい、散歩をし、ラジオを聴いたりする。散歩は少し距離を短くし、ほどよく疲労して帰る。その後で消耗まではしていない。

 

昼食を食べる前にちょっとしたトラブルが起こる。その時は前屈みのような体勢をしていて、鼻を強く啜って空気を吸ってしまった。すると胸がどくどくと頻脈になってしまう。

これは時々あることで、そうなる原因は分かっていた。でも、久しぶりに起こって血の気が引いた。前回にそうなった時、何分間かそれが止まらなかった。

ただの頻脈なのか、突発性のものか。それが致死性であれば命取りだ。本当に突然死した場合、病名不詳の死因となるだろう。それが駆け巡ってパニックになった。

でも、解決方法は知っていた。単純に仰向けになること。今回はそうしてから少し経って収まった。ただ、前回もそう脱力したのに収まらなかったため、それが蘇って怖かった。

今回は何故だか大丈夫だった。その詳細はよく分からない。そのなかで、とにかく血流を滞らせなければ良いはず。そして胸を圧迫して息を吸わないこと。

 

そこから昼食は食べられる。直前のそれの影響はなく、散歩で腹が空かなかったものの、食前の漢方が効いた。それでよく食べられたと思う。

夕べもよく食べられた。一膳を多めに盛り、おかずも一品を食べ、味噌汁も何口か食べる。一膳を食べても少し余裕があった。多少の胃の強さを感じられる。最良量の天井が持ち上がった。これは胃の快い伸縮の成せる業。

そして体重も増えていたし、腹の厚みも増していた。これは良い兆候だ。無理も少ないし、何も意識しなくても上向いている。自然な摂取で上向くという、理想的な状態にあるのかもしれない。

このまま無理せず食べ続け、自然に満腹になっていけば良い。それによって腹八分、さらに腹九部になっていけば、自ずと体重は増えていく。

今がその入り口であれば良い。そうして一膳、おかず、味噌汁の一汁三菜を食べられたら良い。そうなると摂取量もかなり変わるだろう。体重も増えるし、それに応じて力も満ちる。

日をまたいでまた記している。今日も同じ天気だ。午前は薄雲が広がっていて、弱い日の光が差していた。その機にすかさず歩く。最近は午前に晴れることが多い。雪もほとんど積もっておらず、引け目を感じて歩きづらいこともない。

特に変わったことはない。体調不良でもないし、かといってはつらつでもない。それは変わらずで、強い意欲に満ちてはいない。エネルギー不足かもしれないものの、それがありすぎてもフラストレーションとなる。程よく勉強に費やし、散歩をして、頭の良い人の動向を伺っている。

 

体調は夕食がどうなるかだ。今朝にほんの少し食べすぎてしまい、先程の昼食に影響が出た。それは最小限に済ませたはずでも、夕食がどうなるか分からない。

昨日の夕べはよく食べられ、腹もよく膨らんだ。肉付きも良くなっていて、計測も悪くない。ちょうど良い腹で眠りに就き、朝の胃はフラットだった。

朝食ではいつも通り理知が働いたと思うけれど、何口かを余計に食べていた。最良の量に収まっていたものの、それが嫌に腹へ溜まった。胸焼けがしたし、胃の動きが止まった。そして昼食で最良量を食べられない。

 

ちょうど良く食べられなかったのは何故か。実のところは無理をしたかもしれないし、その辺りはよく覚えていない。最近では朝の最良量が減っていた。それによってその規定量が下がっていたか。

どちらにせよ、夕食を程よく食べるしかない。昼食で無理はしなかったはずたから、そこまで負債は祟らないと思う。理知的に諦めることが出来た。それは大きい。食べすぎてもすぐに負債を返すこと。

今日も変わらず過ごしている。散歩で長く歩けなかったし、些細な不定愁訴に足を取られていた。少し病的な状態があった。それが悔やまれる。常に元気ではいられないけれど、ある程度の水準は維持したい。それは公共交通機関を利用できるくらいの水準。それが及第点だ。

内的には費やせていて、軽食も作れる。年金の給付要項にある状態は満たしている。屋外ではつらつにはいられないものの、軽食作り程度なら出来る。これが不自由のある人生。病や不自由を抱えつつ、生活の保証はされている。あとは創造を積み重ね、病を癒せば良い。

 

その年金の再審査請求は、先月の下旬に行った。そこから二ヶ月以内に結果を知らせるそう。ただ、それは審査が通った時のみ。音沙汰がなければそれは不支給だ。「それが不服なら裁判をしろ」ということだった。

審査が通れば御の字でも、そうならない時のことを考える。不支給の理由すら開示しないのは何故?当選に代えて連絡をするということ?これは懸賞なのか?お手を煩わせるのは申し訳ないし、しっかりと事情を汲まれる可能性もあるけれど、そういったことを考えてしまう。

 

仮に不支給が決定しても、最後には年金の支払い免除制度があるらしい。それに望みは繋がるはず。でも、仮にそれに通ったとすれば、年金を貰えないことと矛盾する。

これも考えすぎだけれど、とにかく働けないことは確か。何度も事切れそうになったし、良くも悪くもラベルに傷つけられた。その経歴があるのだから、支給をされても良いのではないか。

自立のためのその要素を得たい。そうして暇を認めてもらいつつ、勉強と行動をする。それに専念が出来れば、いつか進展のある日々に繋がると思う。

トラウマを癒すための認知も得つつある。そのための準備は着々だ。あとは行動に移すのみ。まずは一つの基盤を整えたい。

 

また明日。

 

参考書籍: