欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

創造と意味 アドバンテージと束縛

今日も午前中は晴れていて、その時に散歩へ出た。青空が綺麗で少し暖かかった。足元には粉雪が積もっていて、何だか幻想的な感じがした。かつて通った幼稚園の近くを通ったため、恐らく昔のことを思い出していた。幼ながらに晴れた心地に感動していたのだろう。それが重なった気がした。

体調は悪くない。意欲も焦燥に駆られるまでではない。内的に費やすことで十分だろう。あとは身の回りのことを自分ですることや、たまには人と会うということ、そして楽しめる創造があれば良い。

このブログはあまり楽しくない。義務的に務めてしまっている。トラウマと習慣には関わりがありそうだけれど、まだ詳しくは分からない。ただ、欠乏による代償ではあるだろう。それがトラウマにまつわるのか。

それでいて、ただ単に暇を潰したいという話だ。家事などはすべきでも、創造など暇人の成せる話。それは贅沢な話だ。ただ、せめてそれに務めないといけない。暇を享受しつつ、成せることを積み上げること。

こう記すことに創造性はあるのか。それを感じていない気がする。見る人によっては響くかもしれないけれど、自分自身に響かなくなっている。

続けられることに価値があるのか、続けることで価値が磨かれるのか。積み上げることに意味があるか分からない。日記として記しても面白いのか、ピンポイントの要点をまとめるべきか。

 

そもそもどんな動機で始めたかが大切。自分の思考や学習に特徴を感じていて、それが自活の種にならないかと始めたのだった。その内容は学習と思考、そして生活や感情の吐露。主に後者が負担になる。そこまでする価値はあるのか。とにかく自分が楽しめていない。

稼ぐために始めていて、義務的に学習と表現をしている。トラウマ的な要素があるかもしれないし、こういった創造自体に意味があるのか。

学習、表現、思考は好きに出来ることだし、それは性に合うものだけれど、アウトプットとなると話が変わる。価値を生もうとして務めている。そして価値があるのか反応がない。時間や束縛があるからやり続けているだけだ。

記したくなることはあるはず。でも、それは日常茶飯事ほどではない。学習や思考は常にしていても、常に表現したくはない。結果があるのかも分からないのに、ひたすら積み重ねている。

 

いざ記してみれば、それなりに記すことがあるから厄介。実は思考が眠っていて、少し頑張って刺激すれば湧いてくる。それを毎日し、残さず記すことが有意義でないかと思ってしまう。誰からも反応がないのにだ。

お金を稼ぐ手段であり、それでいて創造性も含まれている。だから厄介。理知は肯定的に見ているけれど、どこかは否定的に見ている。割り切ってする程でもないし、純な創造性に満ちてはいない。

 

そこに素養素質があるのなら、いざ務めれば物は生まれる。ただ、創造でありつつ、義務でもある。そしてトラウマ由来のものかもしれない。

個人的には手応えがあるため、簡単に方向転換をしたくない。誰も見ていないのだけれど、スタイルを崩してみるのが怖い。今が好機であるだろうけれど、そこになかなか踏み込めない。

見られたいし、見られたくない。背反する感情がトラウマ由来なのか。意見や感情を表明することは、潜在的に共感を求めているのだろう。でも、真逆の意見を持つ人もいれば、それに刺激される人もいる。ありありとした表現ならそうなりやすいし、表現力があるとかえってそうなるだろう。下手に積極的になりたくない。

 

ライフスタイルやパーソナリティー、学んだこと、好きなことをWeb上に存在させる。すると類が友を呼び、自分のファンになる可能性がある。物を創れば買ってくれるかもしれない。

創造とは表現をすること。好きなことを表現し、人に伝えれば良い。興味関心のあることを吸収し、それを表現すること。それが創造で、誰かの役に立ったり、娯楽になったりするかもしれない。

自分の動機は適切なものか、純に創造をしているのか。どうにも難しい。いざ試行錯誤をしてみれば、特に大きな問題はないかもしれない。良い結果ばかりであるかもしれない。でも、消えない傷は負いたくない。行動して後悔をすることはなくてもだ。

調子は変わらず悪くなく、無理が祟ることもない。腹の脂肪は落ちていないけれど、抜本的に肥えてはいない。これからどうなるかだ。夕べは一汁一菜を食べられた気がしても、はっきりとした結果はなかった。

その水準を楽に維持できれば、次第に上向いていくのだろう。鍵は気楽さ。そのなかで自然と上向くのが一番。

 

トラウマの本を読み、インターネットを見、こうやって定時に記している。今日の表現に意味はあったのか。好きなことや知識、ライフスタイルを表現すれば、人の役に立ったり娯楽になったりする。ストックやフローとして更新すれば、ファンが増えていくかもしれない。

今日のトピックスは何だったか。創造性の話は一般論だったろう。そこにトラウマの認知があれが良かったものの、まだそれが追い付いていない。セルフフィードバックに重なるものはあったのか、ただの日記に終始したか。生活の全ては糧になれど、これで良いのだろうか。

 

自立して必要な用事は済ませ、健康をしっかりと維持し、好きに創造をしていく。これが理想。土台に暇の公認があれば、生活に束縛はない。気楽に存分なインプットが出来る。そうやって資源を蓄え、何かを生んでいく。

健康さえあればアドバンテージがある。若者の間にこうやって積み上げられたら、それなりに大成するかもしれない。一般論としてはだ。十八歳や二十歳の人間に何が生産できる?何年間は学習を続け、高度なスキルを身に付けないといけない。そう考えた場合、豊かなモラトリアムを過ごしているかもしれない。

 

また明日。

 

参考書籍: