欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

エネルギーの枯渇 生き延びる策

今日は午後も日が差していて、部屋が暖色の色合いになっている。午後も変わらず内的に費やしたものの、盛大に腹痛を起こした。少し落ち着いてこう記している。

夕べに体重が減っていなかったのは、宿便が溜まっていたからか。ここ何日かはスムーズに便通が来なかった。それに加え、ここ何食かで連続して負債を抱えている。今晩の計測は思わしくないだろうし、夕食もよく食べられるか分からない。

またしても通院日にかけて傾いてしまうのか。これではまた緊張が高まる。朝食を賢明に食べれば良かったものの、半端な調子だったから災いした。夕食も半端な調子で食べすぎ、翌朝もそれを繰り返してしまう。

 

調子がかなり傾くような時は、連続して無理を重ねてしまう。気が付けばじり貧になっていて、そのぶん回復までに時間がかかる。

一週もあればそれなりに戻るものの、通院日がちょうどその頃にある。快適に満腹になっていたいし、肉付きや計測もそれなりでいたい。

今朝に満腹を避けていれば、昼食は最良で食べられたはず。それがどうしても悔やまれる。おまけに久しぶりに腹を下し、今は気分が落ち込んでいる。痩せるし食べられないかもしれない。

 

調子が上向くとすぐに無理をしてしまう。不調コンプレックスは内向直観の暴走が多分にあり、それは事実を確かに感じることで和らぐ。でも、好調コンプレックスはそういかない。自己実現の準備は整っているのに、まともに生きてはいけない。そのフラストレーションが看過できない。だから無理をしてしまう。それもトラウマによる解離なのかもしれない。

失われた魂と、トラウマを受けた子供の歓迎。過去のパーツ、つまり無意識にある感情や記録は、現在の刺激によって顕在化する。

セラピーをする目的や望みは何か?安心したいのか?経験に意味を見出だしたいのか?生きている実感を味わいたい?それとも自己実現をしたいのか?

現在の生活の中で、潜在記憶がどのように触発されるかを知る。特定の種類のトラウマ関連の誘因があるのか、喪失、裏切り、最近のトラウマ出来事に際してか。あるいは通常の日常生活を送ろうとすると引き起こされるのか?

希望や夢との関連を見て、区画化されたパーツと良好な関係を築くこと。理知を維持し、パーツに共感し、自律神経をコントロールする。それは捉え直しによって済んでいるだろう。

いま読んでいるトラウマの書籍では、無理のしすぎにおける直接の認知や示唆は得られていない。あるのは上記の構造と、癒し方の手段。まだ合点がいく話はない。もっと通読しないといけないのかもしれない。

 

ただ、既に大まかな心理は解っている。解離における病理も学んだ。愛着関係における引き合いが多いから解りにくいものの、今までの考察は覆らないだろう。

好調コンプレックスにおいては、かつて「豊かに生きたい」という願いがあった。恐らくはそうで、その反応に対し、身体は周りから干渉されないための策を得た。それが無理をするということ。

身体ばかりを頼りにし、ひたすらそれを上向けようとすること。そうすれば在りたい日々に辿り着ける。家族や医療関係者に対する攻撃性、恥、服従などはあったものの、それは解離を起こすほどではない。あるのは調子によって存在を保とうとする働き。それがやはりあるのだろう。

 

まずその心理、パーツを慰めること。理知がそう施せた場合、それだけでかなりが和らぐはず。まずはそうすることだ。トラウマを触発されて感じる恐怖は、今まさにある恐怖ではないと知る。それが第一のこと。

そして次にすべきことは、やはりやはり自己実現をすることだろう。まともに生きられなくてトラウマを思うなら、まともに生きるしかない。

「今もそれなりの生活をしている。安全はあるよ」とパーツに話しかけても、あまり意味がないと思う。それは常に思っていること。それが効かないのであれば、やはり現実で豊かに生きるしかない。そうしないと好調時の無理は収まらない。

 

これでマズローの概念に戻る。安全はあるのだから、所属と愛を得るしかない。それを阻む解離はないのだから、行動して叶えるのみ。心身のバランスは整うし、生存の確率も上がる。すると自律神経は整い、食欲も戻るだろう。そしてトラウマの再現からは遠ざかり、無理をして存在を保たなくて済む。

そうするしかないのだろう。かつての自分は恐らく、苦しみを味わわず、豊かに生きていきたいと思った。自分には才能があると信じていた。だから今も死ぬのが怖い。とにかく怖い。やり残したことがあるからだ。何かをやれると思っている。

そしてそれなりに元気になれば、焦燥が強く生まれる。やるべきことをするために、務めて励んでしまう。それは才能を十分に活かすため。

それが出来ないような日々は、心身にとって大きい害となる。才能を補助する機能が暴走し、エネルギーが枯渇する。ノイローゼに見舞われる人間は、何かのエネルギーがあるためにそうなる。生きていく上での力がある。それを存分に発揮できない場合、その対にある性質のエネルギーが、心身を保とうと発現してしまう。それが無意識の暴走だ。

 

ユング心理学入門にも、ノイローゼの患者とトラウマの患者が引き合いにされていた。どちらも被る部分はあるだろうけれど、少し違いはあると思う。

ノイローゼはエネルギーの枯渇と暴走があり、トラウマは解離をして生き延びざるを得ない経験をしている。自分は前者が基本で、後者の性質も少し含まれている。ただ、直接的に養育者から人格を奪われてはいない。それがあるために、解離の心理とは合点がいかないのだろう。

 

解離の認知は社交におけるコンプレックスには役立つ。社交でのトラウマでは、恥や回避、凍りつくパーツによってバランスを保とうとしている。

自分の存在を保つためには、これらの動物的反応が欠かせなかった。すると似たような場面でそれらが触発され、現在もかつてと同じ脅威があると錯覚する。その意識を矯正することが重要。

 

ノイローゼを癒すことが第一なのだろう。大方は好不調コンプレックスで解明がされている。調子を良くして存続を保ちたいのなら、ある程度は調子を良くすること。そこで生まれた体力は基礎となるもので、後はそれを用いて有意義に過ごせば良い。

まともに生きたいのならば、まともに生きるしかない。日々の満足さえあれば良いのだ。それは所属と愛に関連するものだろうし、体力も十分にあるはず。そうなれば身体を底上げする必要はない。もう満足はあるのだから。

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今までの行動指針から変わりはない。基本的な回復への認知はある。後はそれを洗練させるだけ。トラウマについてもう少し知り、社交の不安を和らげる方法を学びたい。

そうすれば後はマズローでも読み、改めて知識体系を磨けば良い。そこからは好きに本を読める。学ぶために本腰を入れなくて良い。本もしっかりと通読すれば、改めて読み返すのも楽になるだろう。

とにかく読みきろうとしても仕方ない。丁寧に印を付け、要点を見やすくする。そうしたり表現んをしたりして、知識の体系に組み込む。じっくりと時間をかけることで、後で結果的に時間を節約できる。急がば回れだ。

 

また明日。

 

参考書籍: