欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

成長までの猶予 支援と可塑

夕べに雪が降り積もり、今朝は十センチほど積もっていた。部屋の中から覗いて確認する。定刻に雪が降っていたため、散歩へは出なかった。午後の今は曇っているものの、歩きに出たい感じはない。

腹も下したし、そもそも歩きたくはない。これくらいでも良いのだろう。歩きたくなる時は少ない。そんな調子で務めて歩くのは意味があるのか。

完全にこもりきりでいたくないだけで、一人暮らしなら好きに選択しているはず。歩きたい時に歩くし、そうでなければじっとしている。そう勝手に出来るのだろう。

都会で自立して生きていきたい。誰にも管理されないで生きる。その分の仕事をやるのは簡単だろう。問題なのは自活力だ。

今日の食事はよく摂れている。腹を下したことと、歩きに出なかったのがあるくらい。いや、それで相殺されてしまうか。胃に負債はないものの、夕食はどうなるだろう。盛大に下したし、また痩せるかもしれない。

実際に夕べは痩せていた。計測の前によく食べられたけれど、あまり腹が膨らんでいなかった。確かに爽快な食欲はなかったか。そんな感じが続くと痩せてしまう。

食欲はまちまちでも、胃の持久力は落ちていないはず。明けて今日はよく食べられている。最良の量を食べたし、あまり気にしなくても良いだろう。時の運で食欲は変わるし、無理の頻度も同じだ。調子は波状に起伏する。長い目で把握すればそうだ。

 

気掛かりなのは、次の診察でのこと。体調を伝える際に、体重が増えていなければ説得力がない。散歩の回数や体重が指標になるだろう。それを元に説明をしたい。痩せているならそれが事実でも、調子が良いならそれを伝えたい。

だとすれば数値も伴うはず。それがどうなるかだ。今晩の計測がどうなるか、明日は歩きに出られるのか。ちょうど波が下がるときが診察日なのか。どう迎えようか。

体調はそれなりで、摂取も安定している。ほぼ毎日散歩に出られ、消化薬も一度も飲んでいない。こう心から伝えられた場合、ドクターは安心するのだろう。どうしてもそれを実現したい。

現実を伝えたとしても、今のドクターとは話し合える。語釈や誤解は晴らしやすい。だから過去の記憶とは分離し、今の出来事と理知的に向き合うべきだ。

 

基本的な方針としては、まず実際の調子を伝えること。そこから積極的に開示をし、今の状態を詳細に共有したい。テンプレートの質問を答えても仕方ない。

体重は抜本的に上向いていないはず。だからその事実を伝えつつ、そうなるような過程を伝えれば良い。食欲と不定愁訴、それと体調コンプレックス。

食欲の波と胃の持久力、そして無理をしてしまうこと。これを伝えるのが第一。そこに解決策はないかもしれないものの、何かの知見は得られるかもしれない。

食欲に波があり、胃の持久力は簡単につかない。よく食べられそうになっても、そこで満腹になるときつくなる。その持久力のなさと無理の影響。死ぬのが怖いし、体力をつけて満足を得たい。少しでも調子が上向けば、手っ取り早く身体を頼ってしまう。それが盲目的な無理のしすぎとなる。

 

今の生活でも満足を得るか、社交の場に出るかだ。この永遠の課題は決着がつかない。前者は猫くらいしかおらず、しばらくはそれを手に入れられない。後者は頓服薬で制御できるかもしれないものの、そこまでする意義はあるのか。正の感情を得られるか分からないし、建設的な日々へ繋がるのか?

その狭間で考えるばかり。だから時の運に振り回されつつ、何も変わっていかない。つまらなく身体をすり減らすのみ。勉強はしているものの、ただ時を消費している。目に見える自立や自活への進展はない。

この問題に取り組みたいけれど、特にやれることはなさそう。社交不安の頓服薬を貰ったとしても、それだけで居場所へ出られるのか。親は反対するだろうし、自分も乗り気ではない。

この家でも体力を維持するのは難しく、感情を通わせる相手も居ない。猫も人も現実的でなく、フラストレーションは溜まるばかり。自立にも自活にも及ばない。誰かに世話をされ、文句の言えない日々に甘んじるしかない。

 

去年と同じように年の瀬を迎えるのだろう。何も変わることはない。学びが増えるだけで、何も手に入れられない。身体は上向かず、自立や自活は叶わない。何も伴わず、幼いまま歳を重ねるのみ。

どうしたものか。生き長らえても良いことはあるのか。親は必ずいなくなるし、そのなれば世の中に取り残される。そこで生活力がなければもう、可塑は叶わないと思う。親が生きている内に何とかすべきなのだ。医療にアクセスし、福祉に掬ってもらい、生活のことは自分でやる。哀れなメンタリティも補修すること。そうしなければ、いざ生きようとしても何も出来ない。

 

その時には技術で社会が変わっているか。そうなれば在宅で完結するのか。そうだとしても、それだけに懸けるのは危険だ。夢物語の可能性もある。親の支援がある内に、生活のことを自分でやるべきだ。そうしないと痛い目を見る。

ドクターにしてもらいたいことは、摂取の仕方の良し悪しや、社交を耐える術、そのための化学治療だ。まずはとにかく詳細を共有する。そうしないと始まらない。そこからだ。

話す内容はしっかり決めておこう。もう時間を無駄にしたくない。もう何も欠くことは出来ない。

 

まだ自分の脳も発達していないかもしれない。ブログを読み返すと分かる。まだまだ稚拙な部分が多い。思考力の差があるはず。それは一年後と比べてもそうだろう。もっと成長しないといけない。

あと三年くらいは猶予として設けたい。その期間に勉強をし、社会復帰をすること。まだ二十代の前半の期間だ。それは人生においてどれくらいの間だろう。十分に若いのか、若すぎるのか。その間に失敗や停滞をしても良いのか。良いのであれば、じっくりと成長していきたい。

 

また明日。

 

参考書籍: