欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

医学の認知 苦悶と喪失

通院から帰宅した。今日は変わりやすい天気だ。今は青空から日が差している。道中でも晴れたり吹雪いたりした。

昼食を軽く収めた昼下がり。疲れているのかいないのか。ドクターいわく、今の体重だと疲れやすいだろうとのこと。診察を終えて思うのは、これを以前から伝えておけば良かった。真の感覚からすれば、エネルギー不足といった感じ。疲れやすさとは違うか。

ただ、つい先程までラジオを聴いていただけで、少しだるくなった。じり貧でここまできているため、体力の差が感じられないのだろう。以前なら散歩にでも出ていたか。元気はつらつでないのは確か。社会生活はこれでは耐えられない。いや、それが出来ないからこうなっている。

 

夕べに緊張はなく、いつもと変わらず眠れた。そして変わらず定刻に目覚める。胃の不快感はほぼない。身支度を整えて漢方を飲む。

気掛かりだったのは、夕べに食べすぎたこと。食欲があったため、かえってそうなってしまった。それに病的に無理はしてない。少し務めてしまったけれど、個人的にはちょうど満腹だったと思えた。

でも、そうなっていないのが今の胃袋。味噌汁と肉と一口ずつが応えた。それで胃が重く、入浴後にも水分を摂りたくなかった。それは悪い状態の証だ。これで明朝の状態に予想がついた。

そして予想通りよく食べられない。最低限の量は摂れたものの、真の最低限度には達しなかった。腹の回りもすかすかで、なるべくそれを感じないようにしていた。

 

そして病院へ向かう。出発までに体力はあり、推敲やスクリーンタイムに費やせた。悪くなかったと思うけれど、力は全く満ちていなかった。解せないそれがあった。

移動では少し緊張した。出発してすぐにピークがあった。それは久しぶりに出掛けたためか、体力の不安があったからか。緊張から吐気がして、それを抑えようとして更に高ぶった。でも、それは間もなく収まった。呼吸の仕方や暗示で落ち着いたか。

 

そこから病院に到着する。待合室には一人しかおらず、その人ともう一人の後が自分だった。ストレスなく診察に呼ばれる。深く話すことを浮かべなかったものの、予定通りにはいかないだろうと思っていた。

診察では手応えがあった。およそ十五分くらい話していて、久し振りにまともに話をした気がする。ここ何ヵ月は五分診察に近かった。それは今になって後悔している。自分が特に問題ないと言っていたからだ。その意識はなかったものの、実質はそうなっていた。

 

最初の一問では予定どおり答える。それなりには食べているものの、体重が増えていない。そこから色々と話が進んでいった。詳しい流れはよく覚えていない。

満腹になるときつくなるという事について、詳しい医学的な知見を得られた。満腹感は少し遅れて感じるらしい。それなりに食べ進めた場合、満腹感は少し経つとより強くなる。食べている時に満腹を感じた場合、そこですぐに止めるべきだ。そうしないときつい満腹となる。胃に持久力がない時はそうすべきだ。

そして刺激のある生活をしているかも問われる。図書館などには行っておらず、店に行くということもない。その原因として体調コンプレックスを伝え、より詳細な原体験を伝えた。トラウマ的な対応策を学んだと伝え、それでいて不調であれば何ともならないとも伝える。

そこからまた身体の話に戻った。よりよく食べてしまう原因を伝える。死にたくないということと、フラストレーションを跳ね返したいということ。そこでBMIの話となり、今の体重を伝える。そうするとかなり痩せていると共有された。ただ、あまり深刻には思われなかったはず。

そこで「春頃には調子が良かった」と伝えた。それが浮かんだのは良かった。ここで記していたからそうなったのか。ドクターもそれを把握されていて、その前の冬頃に上向き、そこで断薬を始めたのだと確認される。

「その後は消耗も集中力不足もなかった」というような確認もあった。これが自分の不出来だ。病院コンプレックスもあり、不調を悟られないようにしてしまった。その辺りから「もっと早く正直になっていれば」と思っていた。

でも、不出来になってしまったのは仕方ない。それを責められない。それはすべき失敗だったと思う。一つの反省として、もう失敗しなければ良い。

 

診察はそれくらいで終わる。春頃と同じ薬を飲むことになった。今日を踏まえて考えれば、春に上向いたのは薬のお陰だったのか。嗚呼、今までの煩悶は何だったのか。そんなことを思ってしまう。ここから上向けば良いものの、それでは喪失を思ってしまう。

いや、とにかく上向けば良いか。最低限の原資がないと始まらない。だから今回は良かった。個人的にはドクターと腹を割って話せたし、良い転換点を迎えたと思う。

それは苦悶があってのことでもある。上手くいかなかったのは仕方ない。ここから変わっていけば良い。それを自分で獲得したのだ。ここで記し続けたのもある。変化と成長はしているはず。

 

今回で胃袋についての認知を得られた。これが内向直観の暴発を和らげれば良い。外向感覚を理知的に用いることにより、誤った事実による推論はなくなる。これが無意識の発現であり、それを手なずけることが欠かせない。それが出来れば消耗は抑えられるだろう。

「体力がなければ何も出来ない」というフラストレーションは、内向直観の暴発による推論だ。これを抑えられた場合、無理による満腹から遠ざかるかもしれない。それで胃の持久力がついていけば、体重が増加していくはず。そうなれば社交のための資源は得られる。

 

とりあえずは基本的な体力を得ることだ。そこからが始まり。そこで社交や自立について考えられる。フラストレーションがあっても身体を維持できるかもしれないし、自立に近い生活が可能かもしれない。すると後は創造に専念できるか。

薬と理知の力で体重を維持する。それで基本的な生活をし、創造に励んでいく。社交を検討しても良いし、在宅で仕事を創っても良い。年金を貰えたり、生活の用事をこなせるなら良いだろう。

 

それにしても都会であれば良かった。人生の機会損失が大きい。教育や福祉もそうだ。フリースクールや居場所サービス、生活サービスも存在しなかったりする。デバイス一台で色々と済ませたい。

ここから色々と転換していけば良い。今年はその一年にしたい。勉強も佳境だし、峠さえ越えられたら楽しみだ。どんな心情でいるのか、どんな思考をしているのか。

 

また明日。

 

参考書籍: