欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

暫定的な健康 正しい努力

午後の今は曇っているものの、強い光が差している。ちょうど気だるくなる時間で、何をしようかと思っていた。とりあえず習慣で文章を記す。特に誰にも読まれていないし、楽に費やせば良いものの、なかなかそうはいかない。

自分は稼ぎで存続を保ちたい。そのためにはこつこつ積み上げ、技能を身に付けること。常に学び、浮かぶものを記していく。義務的にそうしてみると、それなりに記せたりする。それがあるから務めてしまう。

心身の欠乏を埋めようと、習慣によって束縛してしまう。それは完璧主義の気質なのか、それ以外かは分からない。ただ、上述の理由で説明できると思う。

 

本当に成果がほしいなら、正しい努力の仕方をすれば良い。価値あるものを身に付け、技能を磨き、人を集めて売っていく。どう工夫すれば良いかは浮かぶ。努力不足ではなく、工夫不足だ。もっとソーシャルをし、効果的に発信して売っていく。そのために必要な手段は分かる。

批判されるかもしれないのが怖い。下手に注目を浴びたら問題がありそう。倫理的な問題を犯してはいないはずでも、先鋭的な表現をしている気がする。自分が共感を得たい相手以外にも届きそう。そうなるのがソーシャルメディア

コンテンツが未熟なら良い。それを言われても仕方ない。それは自分でも思っている。ただ意見を受け止め、継続して精錬していくしかない。誰にも見られないことも経験している。ただ、多くの人の目に触れるのは怖い。

 

意見や存在を発信していれば、その恩恵を受けられることもある。出会いがあるかもしれないし、犬も歩けば棒に当たる。そのリアルな知的活動は面白くあるはず。だからそれをしてみたくある。

そうやって商売に繋げていく。ソーシャルメディアで人と繋がり、ストックコンテンツに触れてもらう。そうやってファンになってもらい、信用を積み重ねる。それを進めていけば、何か物を買ってくれたりする。

作品に導火線を近づけ、後は自然に発火させていく。意見やコンテンツを生み出しつつ、新たな学びも欠かさないこと。そうやって循環させていく。ただストックを積み重ねても仕方ない。着火材が必要だ。

 

現実で居場所と繋がりそうでも、そこで親密な関係を築けるのか。自分は一人で移動できないし、近くには誰もいない。居場所へ繋がってエネルギーを得るか、オンラインで所属を楽しむか。それは後者の方が面白そうだ。

いや、とにかくどちらも選択してみれば良い。どちらもあるのが良いだろう。親密な関係によって打たれ強くなり、オンラインで色々と構築できる。その二つを整えるのが良いだろう。

 

自立、自活、健康。大体の道筋は考えている。理想的なライフスタイルがある。常に学びながら表現し、たまに人と会いつつ、都会の狭い生活圏で生きる。公的な居場所に繋がったり、オンラインで所属を得たりする。就職はせず、年金で暇を確保して仕事をする。

家事をし、用事を済ませ、学んで表現する。飽きたら人と会い、交流を深める。それが良いと思う。それしか思い浮かばない。

不自由の壁は大きいけれど、人生観や仕事観は構築できた。知恵や技能を磨く時間も得られている。健康さえ得られたら、他の人には過ごし得ない日々になると思う。

 

そのためにはまず、体調の前提があることだ。それがあれば社交や自活に励める。それを磐石にしないといけない。それは叶うのだろうか。

夕べと今朝はぼちぼち食べられる。夕べはもっと食べたかったものの、注意して腹八分で収めた。今朝の状態は最良ではなかったため、軽く余裕をもって収めた。

夕べは計測で少し増えていた。よく食べられた気はしなかったものの、それでも腹の肉は減っていなかった。それは腹八分による効果か否か。そうであれば良い。そうならば腹を下した今日も増えるだろう。

今日の昼食はよく摂れなかった。腹は減っていたものの、珍しく早期膨満がした。少し早食いをしたかもしれない。それでより良くは食べられなかった。おまけに腹も下し、腹の辺りがすかすかになった気がする。

夕食はよく食べられそうでも、体重は増えるのだろうか。腹を一杯にしなくても、八分ほどでよく膨らむと思う。それが一番よいのではないか。満腹の方が膨らまないと思う。何か生理的なことがあるかもしれない。

 

ここ何日かで色々と判明するはず。腹八分の効果が分かれば良い。それで肥えていくのか、やはりそうならないのか。そうならなければどうすれば良いか。

満腹に応えるのが今の胃で、それを乗り越えていくには腹八分しかない。それをすることで胃が適度に膨らむ。それが続けば自然とよく食べられるようになるはず。

そうなれば感覚の違いを思い、明確に腹が膨らんでいく。そして結果にも現れる。だから抜本的に上向いても良い。

 

まだ体力の不足がある。ドクターが捉えたように、今の状態では疲れやすいかもしれない。内的には十分に費やせるものの、以前はもっと限度が高かったか。健康であれば、もっと読書や表現に力を割けるはず。根を詰めるから辛くなるのではなく、もともと体力がないのかもしれない。

考えてみればそう思える。図書館を一周することが出来ていない。図書館を意識的に避けているように伝えていても、本当はそこに辿り着く力がない。そこで何かをする力もない。以前はそれが出来ていて、なおかつ余裕があった。そこから更に遠くへ出ていた。

 

まずは体力の問題だ。まずそこを解決しないといけない。それさえあれば良い。今の生活であっても、フラストレーションを抱えず肥えていくこと。

それが可能になれば、いつか天井を超えるかもしれない。そうなれば磐石な原資となる。社交や自立にかなり近づく。

薬の力と腹八分の効果。それが現れたら天の助けだ。そして腹八分を維持していくこと。それが叶えば夢が叶う。病的な痩せから痩せ型になる。そうなれば生きていける。後は引っ越せば良いだけ。

これからの推移が気になる。正しい努力をすれば変わるはず。薬の常用と理知の顕在。それによって暫定的な健康を得て、生活の局面を変える。

粗方の学びも終え、自活のための仕組みを構築する。そして年月が経てば、生活環境や時代が変わる。人間関係、家族、学び、医療、福祉、これらは何もかも変わっているはずだ。

諦めるのはまだ早い。何とかして暇を得れば良い。その時の努力によって変わる。若いあいだに暇を作り出し、そこで勉強をすれば良い。ただ基礎教養を身に付けて就職しても、その先に未来はあるのか?そのモデルは機能している?

 

また明日。

 

参考書籍: