欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

辻褄と手立て 奏功の可否

今日は曇っている。路面は黒く露出してきた。都会では積雪が心配されているものの、こちらは何も降っていない。予報の雪だるまマークはなくなってきた。どんどん春に近付けば良い。日差しを浴びて歩きたい。

ただ、晴れの時に歩けば好調になるとは限らない。去年の春に上向いたのは、その前の冬に調子が良かったから。それは薬が合っていたからだろう。基本的な調子が落ち着いていて、それで歩くのに効果があった。その因果関係があるはず。

だから同じように薬を飲めば良い。実際に前回の診察でそうしたため、これから上向く可能性がある。ただ、それを期待して何日か経過したものの、何だか効果が見られなくなった。

昨日の昼食と夕べはよく食べられなかった。連続して食べられない。昼食では早食いをして膨満があり、夕食では食欲不振があった。どうしようもない不定愁訴に見舞われる。

早食いはいけなかったものの、夕方に水を飲んだだけで応えたのはきつかった。それこそ不定愁訴だ。食べたのではなく飲んだだけだ。その前の昼に苦しくなったのはあれど、そうなってしまうと読めなかった。

夕食は無理せず抑えられる。余裕をもって腹八分にする。そこで最低限は食べられたものの、いつもならもう数口は食べられた。腹も膨らんだ気がしない。

そして計測では痩せていた。服を脱ぐと腹がへこんでいて、状態の悪さを思った。そして最悪水準に迫る数値。腰回りも骨が浮いてしまっていた。

ただ、夕食を軽く抑えたため、寝る前には空腹になった。そこで乳製品飲料を飲む。飲んでもきつくならず、ちょうど良い腹で床に就いた。

 

今朝の胃はフラットで、朝食はするすると食べられる。そこに理知も顕在していて、余裕をもちつつよく食べる。完璧な摂取が出来、力も満ちていた。

そこから内的に費やし、余力があるなかで散歩する。図書館の近くまでは行かず、近所を一周する。もっと歩きたくはならなかったけれど、十分な調子ではあったと思う。

そこから食欲は湧かなかったものの、負債なく昼食を迎えられる。ただ、またも早期膨満感がした。早食いを気を付けていたものの、どこか時間を気にしていたかもしれない。そして膨満感を据え置いて食べたのもある。食べた後にはきつさがあった。

 

そして今の胃はきつい。夕食に難がありそう。これでは昨日の二の舞だ。また痩せてしまうのか。これはただの不確定な変動か、たまに起こるアクシデントが発生しただけか。調子はいつかそれなりに上向き、そこで維持されるものなのか。

考えても仕方ないけれど、考えてしまう。薬の変更で変化を期待していたため、それが奏功しなければきつい。本当に手立てがなくなってしまう。

 

薬で上向いていくのか、これは時の運なのか。ノイローゼによる内部信号の希薄化かもしれない。食事の時間は習慣で決めているため、それに変更がないようにしてしまう。昼食では摂るのが遅くなってしまった。

その時によく食べられるような時間軸を設定し、そこに徹底的に従ってしまう。それは家族がいるためでもあるし、ノイローゼによるものでもある。家族を安心させたい心理や、内なる信号を聴き取れなくなっているもの。それによって時計の針に従ってしまう。

これもどうしようもならないのか。家族がいなくなるしかない。いや、そうなれば喪失も大きい。一概に楽にはならない。

 

時間を気にすることと、早食いをしてしまう理知のなさ。これらが原因だと思う。それがなければマイペースに摂っていける。ストレスによる不定愁訴だけではない。

いや、それもストレスに由来するものか。ノイローゼが癒されたら解決される。食欲は湧くし、自立して生きていける。

ただ、それは簡単に得られない。だからまずは基礎的な体力が必要。それがないと始まらない。それを得るには薬の力しか浮かばない。他に何もなくてもがいたのがここ最近。ようやく見つけた策の他に何かあるのか?

過去のメモを見返していると、色々な思考の変遷が分かる。痩せ始めたのは去年の夏から。何故そこでドクターに話をしなかったのか。それがどうにも悔やまれる。不調を悟られたくなかったのはあれど、もっと早く良い選択をしたかった。

やはりその時には無理だったのか。だから努力して辿り着いたのか。そうなのかもしれない。不可避の経験はある。そこでストレスを乗り越えれば、生きる上での資源を得られるのだろう。ストレスがないと努力はしない。それによってストレスを攻略した時、豊かな生活のための糧を得られる。

 

なかなか肥えない理由は何なのか。こうやって考えるのですり減らしているのか、あるいはノイローゼのせいなのか。基礎的な体力は既にあるため、間断を挟まず所属をしにいくべきか。

あるいはもう一つ、やはり薬の力が欠けているかだ。春に上向いたのはそれがあったから。それを聞いたらそれしかないように思う。

以前から考えているように、腹八分を維持できれば肥えていく。たまに膨満などがあったとしても、それは許容範囲に収まる。胃の持久力が付けばそうだ。そこまでは理知の力を用い、何とか天井を突き破りたい。

体力がないと社交には進めない。それに運動の効果もないと思う。春頃に上向いたのは、その前に調子が落ち着いたから。だとすれば、調子が落ち着かないと散歩に意味はないのか。その辻褄は合っているはず。

基礎として化学物質を頼ること。そうやって真に最低限度に達した時、そこで断てば良い。そこまでは長く頼っても良い。

 

また明日。

 

参考書籍: