欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

創造の意義 効率化と外向

午後の今は曇っている。少し前から空は白くなった。今日も朝から晴れ、一面の青空が広がっていた。春の日和といった感じで、あまり防寒しなくても済んだ。久し振りに歩くのが気持ち良かった。歩くのが楽しかったし、歩きたいと思えた。晴れは偉大だ。

午前に内的に費やした後、ためらわずに歩く。昨日と同じく図書館まで歩いた。少し長く歩いたけれど、帰宅してもほとんど消耗はなかった。昨日は違和感があったため、少しは楽になっているのか。

ただ、腹がべたんと凹んでいた。ふと腹を触ると気付く。脂肪が増えている感じがしない。これが現実なのか。そう考えると辻褄が合ってきたりする。

 

直近では無理なく食べられているものの、体重は増えていない。食事量も一膳を食べきるのでいっぱいだ。ここ最近は爽快な食欲がない。それはどこかで気付いている。

やはり認知は少し歪んでいる。よく食べられた感じがしても、実際はよく食べられていない。以前は多めに一膳を盛っていて、余裕をもって食べられた。腹もよく膨らんでいたし、太っていたのも頷ける。

よく考えると食べられていない。通院日の後に少し停滞して、そこからまだ上向いていない。もっと食べられるのが自然。一食の量が足りないし、健康なら数時間でまた何か食べたくなる。

無理はほとんどない。だから食欲の問題だと思う。腹が空かなければたくさん食べられない。それはどうしたものか。空きっ腹でも食べられないことがある。

 

体力は落ちていないけれど、体重はもっとほしい。意欲にも関わるし、社交の耐性にも繋がる。ストレスがあるなかでも上向くはずだし、もう少し経過を待ちたい。無理さえなければよく食べられるはず。

ふとインターネットを見ていると、ある面白いブログを見つけた。以前から認知していたけれど、改めて見ると興味深く感じられた。ビジネスとしてみるのも面白いし、クリエーションとして見るのも良い。どんな人かを想像したり、どんな過程があったのかを調べている。色々と刺激になった。

やはり正しい工夫をしないといけない。自分に照らし合わせて思った。何を目的に始め、何を目標にするかを決めないといけない。創作なのか、ビジネスなのかだ。

とにかく根を詰めて頑張っても仕方ない。好ましい取捨選択はある。魂の旋律を表すか、実利を取るか。進行方向と効率化。勉強、アウトプット、工夫。これらに縛られず楽しみたい。それらは楽しいものだ。縛られて励んでも辛くなる。習慣を壊すのも嫌になってしまう。

 

誰も来ない場所だからだけれど、赤裸々でいる方が気持ち良くなりつつある。これくらい打ち明ければ、同じような人間が強く反応してくれると思う。そう思うと情熱が湧くというか、意義深く思えてくる。誰かの魂が揺れるかもしれないし、役に立つかもしれない。

「詩人や神秘家は、自分自身の魂の旋律への感受性に優れている」そんは言葉が心理学者の著作にあった。引き延ばせば創作がそれだと思う。芸術は魂の旋律。ビジネスでもそうかもしれない。「愛された結果が収益である」とも記されていた。

何かで揺れ動いた魂を感受し、それを表現していく。それはセンチメンタルの共鳴になるかもしれないし、誰かから愛されるかもしれない。あるいは誰かの娯楽にもなるだろう。

物を作るとはそういうことだと思う。引いてはビジネスでもそうか。人の作ったものばかり消費していたら、それに飽きたり救われなくなったりする。今度は自分がその役に回れば良い。「こういうものがあれば良いのに」という気持ちで創造すれば、それが何かの役に立つかもしれない。

 

アウトプットを効率化したい。なるべくそれに手間をかけず、簡単に終わらせる。それ以外は何の束縛もないことに費やす。遊ぶことだ。それは人と過ごすことでもあるし、それがインプットになっていたりする。

とにかく効率よく創造をし、それ以外で休息と資源を蓄える。アウトプットはインプットありき。何を日頃から吸収しているかだ。それを元に表現していく。

すると生活の全てに意味が生まれる。遊びは仕事になり、仕事は遊びになる。これも自己実現だろう。二十四時間を全て楽しめる。

習慣の束縛をなくせるかもしれない。あるいは自活の種も生まれたか。色々と考えている。どんどん知が広がり、それが一つの結晶になっている気がする。とても面白い。学びと創造が楽しくなれば良い。

どんどん知を拡張したい。その観点で言えば、歳を取る方が豊かになっていきそう。その道中に外向きの時間もあれば至高だ。

 

また明日。

 

参考書籍: