欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

満足の循環 切っ掛けとバランス

今日は雪が降っている。夕べに湿った豪雪が積もった。自分は恥を忍んで散歩をした。道中では皆が雪をかいていたし、自宅では母がかいていた。さりげなく何もせずに家に入る。少しは手伝えたか。ほんの少しの余力はある。申し訳なかった。除雪をしなくて済む街に住みたい。

昨日の昼食では少し早期膨満がした。朝食の消化が良かったし、負債のない腹で迎えられたものの、そこまで食べられなかった。もっと食べたかった。やはりよく食べられてはいないか。

ただ、その後の消化がとても良かった。ここ最近で一番だった。そこで間食を食べられそうになったけれど、不安で止めておいた。まだ胃の強さに自信がない。それで夕食に影響すれば大変だ。積み重ねが全て消える。

 

かなり空腹の時間が長くなったけれど、夕食は完全にフラットに迎えられる。そしてよく食べられる。そこではあまり早期膨満がなかった。それで腹が膨らんだのだと思う。食欲があり、早期膨満もないこと。それが欠かせない。

計測では少し増えていた。下腹部を触ると脂肪があった。ほんの少しのエネルギー余剰があるはず。一膳をまともに盛れば流石に増えるか。その着実な結果があるかもしれない。

胃の余力も生まれてきたはず。ここで無理をしないことだ。漢方で水を飲みすぎず、腹八分に収め、塩分を摂りすぎないこと。もっと余裕が生まれたら、間食も摂った方が良いか。ただ、まだ軌道が上向いたに過ぎない。

 

今日の朝食と昼食は最良で食べられる。昼食後の今は腹が膨らんでいる気がする。無理もしていないはずだ。散歩の後に消耗もしていなかったし、悪くない感じがする。一膳をまともに盛り、それを食べた後でも少し食べられた。

これが確かであれば、きちんと結果が伴うはず。何日かかけて状態は整った。少しずつよく食べられている。ゆっくりと上向かせたい。

トラウマの書籍の再読し終え、別の書籍も少し読み進めた。構造的解離についてはエッセンスを抽出できたはず。粗方は認知に落とし込めた。時間がかかったけれど、とても良いインプットになったはず。

そしてある実業家の動画を見ていた。自分のことも知りたいけれど、社会のことも学びたくなった。既に世の中は変わっていて、それを感じ取っている人がいる。それに刺激を受けつつ、自分も勉強して思考したい。トラウマの勉強と平行して進めよう。

ふと暇になった時、一人で生きていくことを考えていた。改めて何度でも考える。それで満足がいくだろうか。仮に生活が出来たとしても、幸せにはなれない。どこかのコミュニティに属したり、生身の人間に触れないといけない。

オンラインで繋がるか、定期的に誰かと会うか。いや、親が居なくなれば、居場所に出るのも難しい。その壁がある。一人でその場所には出られない。

そこで何とかして出ていく意義はあるのか。そう考えたら選択肢は限られてくる。ただ、そうしなくても満足できるかもしれない。実際はどうなるか分からない。

 

将来は田舎の家から移動が利かなそう。それは今もそうで、引っ越しても変わらないだろう。どうやって生身の人間と付き合えば良いのか。それに触れなくても満足はいくのだろうか。

娯楽に費やし、勉強して表現する。それだけで良いのか。満足がなく、それに伴って健康から遠ざかっている。不健康な身体と力の抜けない顎。それは生きていると言えるのか。いつか身体を壊すかもしれない。

せめてパートナーがいてくれたら良い。それで満足がいくかもしれない。そこで正の感情を注入し、コミュニティや仕事はオンラインで済ませる。それが無駄のないものかもしれない。創造的な喜びがありつつ、温かなやり取りもある生活。

 

仕事、所属、休息、遊び。これらのバランスと循環が大切だろう。それが偏っては何かが歪む。今は遊びに費やせるけれど、そればかりでは嫌になる。所属をしたり、リラックスすることだ。そうしないと健康や自立には届かない。

どう所属し、どう触れあい、どう学ぶか。どうやって健康になり、どのように創造をしていくか。仕事、健康、遊び。

この家に居て何も行動しなければ、何も生活は変わらない。でも、行く場所もその原資もない。だからインプットとアウトプットを重ね、そのスタイルを中心に自立を考えている。

このまま何も変わらないのか、何か切っ掛けでも湧いてくるか。いや、その切っ掛けも自分で掴まないといけないのか。

体重が増えるまでは仕方ない。それが増えたら何かを考えよう。何も行動しそうにないけれど、局面は好転している。

 

また明日。

 

参考書籍: