欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

絆と癒し 安堵と可能性

午後の今は曇っているものの、光が強く差している。気持ちが明るくなる感じだ。それだけでも有難い。

夕べはあまり積もらなかったものの、かき集めるとそれなりの量となっていた。親がそれをかくなかで歩きに出る自分。近所の皆も同じようにしていた。やはり引け目を感じ、いつものコースを変えて歩く。

昨日の昼食はよく食べられた気でいたものの、本当は食べすぎていた。用意した量を貧弱に思ったため、それで理知が吹き飛んでしまった。冷静を決め込んでこうなる始末。一ヶ月ぶりに消化酵素薬を飲んだ。

その後の夕食は食べられたものの、計測で肉が削げていた。少しでも食べられないとこうなる。また一から振り出しとなった。胃の体力が落ちるのか否か。

母親の影がちらついたのはある。前回の診察で薬を変えた話をしてから、体調について尋ねられていた。それは良い兆しを共有していたのだけれど、それが仇となった。食後の頓服を飲むのも避けてしまう。

人のせいにはしたくないけれど、どうにも溜め息を付いてしまう。何も進展は得られないのか。食欲不振と早期膨満があるなかで、今度は無理をしてしまう。

 

ただ、早食いをしないことに効果はあったと思う。本当にじっくり咀嚼すれば、そこまで嫌に溜まらない。早期膨満の時はそれが甘かったか。実はそれがあるのかもしれない。

ゆっくり食べて無理をしない。その理知と気楽さがあれば良い。それがあればと思う。いや、そんな簡単な問題ではないか。それが持てないのも問題だ。リラックスが足りないのか否か。

 

明けて今日はよく食べられている。昼食を終え、昨日のような消化不良はない。朝食に負債が残らなかったため、不幸中の幸いだった。歩くことが出来たし、体力も落ちていない。そこまで悪い結果ではない。

次の診察はどのように迎えるだろう。調子を戻すにはたくさんの時間があれど、一直線に上向かないことになった。またこの調子に耐えないといけない。

頓服を常用するか、機能性ディスペプシアの薬を訊いてみるか。もっと不定愁訴の詳細を共有しよう。食欲不振、早期膨満、食べ過ぎ。嗚呼、気楽にいたい。

今の生活でのネックは、移動の足がないということ。最近の思考を掴めばそうだと思う。それさえあれば貯蓄と年金で生きていける。だから技術やサービスを頼れば良い。

自活をして車を買うのは無理だ。だからサービスに頼る。年金で公的に暇をもらい、生活の足しを得て、移動サービスで用を済ませる。これで最低限の自立にはなる。今でもそれに足る体力はある。

 

無理をしてしまうのは、自立した生活が出来ていないからか。自活が出来ないことで自尊感情が減るのはあっても、自立の問題の方に比重があると思う。何とかして自尊心を保っていたい。

衣食住さえ満たされたら、自責は減るのかもしれない。最近はそうだと思う。自立、自活、社交(健康)。最低限の原資を得つつ、それらを築いていくこと。

ポリヴェガール理論のコラムについて読んでいた。そこでは大まかな要点が記されている。それは哺乳類の神経系の進化と社会的な行動とを結びつけた画期的理論と目されているそう。

自律神経系から取り戻す心身そして社会とのつながり 画期的な「ポリヴェーガル理論」とは|じんぶん堂

その要点を引用してみる。

ポージェス博士は、自律神経系の発達を進化を軸に考察し、私たちヒトの自律神経系には3つの神経枝があると論じた。

その3つとは太古の魚類に備わっていたとされる、進化的に古い迷走神経である「背側迷走神経複合体」、さらに硬骨魚の時代に現れたとされる「交感神経系」、そして、哺乳類のみに見られる新しい迷走神経とされる「腹側迷走神経複合体」である。

「腹側迷走神経複合体」は、豊かな表情を作ったり、声のトーンを調整して自分の気持ちを伝えたり、相手からの友好の合図を受け取ったりなどの、人と人とがおだやかにつながり、交流するために欠かせない働きを担っている。「交感神経系」は、主に活動するときに使われ、危機に瀕すると「戦うか・逃げるか」を選択する。「背側迷走神経複合体」は消化吸収や睡眠などを司っているが、生命の危機に瀕すると、「凍りつき反応」を引き起こす。「凍りつき」の状態では、思うように身体が動かなくなり、呼吸や心拍が遅くなり、いわゆる温存モードに入る。この、戦うことも逃げることもできず、凍りついている状態にあるのがトラウマを抱える人とされる。

「腹側迷走神経複合体」が健全に機能している人は他者から非友好的な態度を取られても、社会的交流を心がけることができ、容易に交感神経系に乗っ取られて闘争・逃走反応に走ることはめったにない。「腹側迷走神経複合体」がバランスよく働いているときは、「背側迷走神経複合体」もよく機能しているので、胃腸をはじめ、全身状態が良好である。また、脳にも十分な血流がいきわたり、明快な思考、的確な状況判断などが行える。こうした自律神経系の働きが乱れると、臓器が調整不全に陥り、思考も乱され感情も荒廃する。

 

ポリヴェーガル理論では、個人は他者とつながることで自律神経系が健やかに機能すると論じている。他者とのつながりを促進する「人とつながる迷走神経」が健全に機能しているとき、人々は「安全である」という友好の合図を送り合い、絆を感じることで神経系のレベルで癒されるのである。それによりおのずと心身の健康も増進される。

※加工は筆者

この記載を読めば、副交感神経が細分化されているのだと受け取れる。それが社交や内臓の働きに関わり、引いてはトラウマによる状態にも関わっている。そして健康へ繋げる方法も記されていた。

消化不良の新たな原因とされるかもしれない。そしてトラウマと絡めると、新たな開拓になるのだろう。これは希望の理論で、それが田舎の人間にも届くのは福音だ。

 

ただ、捉え直しはあまり刷新されていない。要は副交感神経を優位にさせ、それでリラックスするしかないとのことだ。それは捉え直しで分かっている。それが実行に移せないから困っていた。

マズローもそう言っていた。改めて概念の精密さを思う。安全の存在が病気を防ぎ、所属と愛の回復が病気を治すマズローはそう解っていた。

進化の過程によって生まれた神経は、原始的な生活を参照すれば解りやすいか。マズロー流に解釈してみる。身体の恒常性すら保てなければ、その個体は生存の確率が最も低くなる。そこから安全を満たせば、少しそれが上向く。そして所属と愛を満たした時、かなり生存に優位となる。

身体は原始時代から変わっていない。それらの欠乏は存続の危機を表し、身体を原始的に反応させる。それがストレスだ。生存確率の低い状況がストレス。敵がいるように反応し、闘争と逃走の態勢に入る。それが現代で長引けば、ノイローゼという心身の不調に見舞われる。

これは早期の愛着関係にも言えるはず。トラウマによる解離はそうだろう。環境が危機的であれば、身体は原始的に対応する。そうやって内臓や精神が歪んでしまう。

 

人と温かな愛着を築き、そこでリラックスをすること。それは存続の危機やストレス反応の正反対にある。生存が確かになれば、攻撃や逃走をしたり、身体という原資を頼る必要はない。内臓に血液が巡り、消化と吸収は楽になる。

まだ分からないけれど、これが解決策なのだろうか。原典に当たらないといけないけれど、訳者がこう記している。安堵がありつつ、可能性が閉ざされた気もする。

やはりマニュアルは完成していた。すべきことは一つ。良くも悪くもだ。

 

また明日。

 

参考書籍: