欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

社会交流と生存 恵まれた環境

今日は雪が降っている。夕べはそこまで積もらなかったものの、予報通りひと山やってきた。すっかり路面は白くなり、辺りはまた冬景色となった。今朝は散歩に出られたものの、まとまって積もれば控えたくなる。晴れ間が増えてほしい。

昨日にポリヴェーガル理論にまつわるセラピーの書籍が届いた。端書きを読み終え、そこで頭の鮮度はなくなった。それでもエクササイズをやってみたかっため、飛ばしてそこを読んでしまう。

どういう理屈のエクササイズが分からないものの、やる前の比較として首の可動域は広くなった。それが効果の有無の指標だった。腹の不快感も消えた気がするけれど、なにか食事で効果が表れるのか。

 

エクササイズをしたためか、夕食はよく食べられた。久しぶりの感触があった。一膳をしっかり盛ったし、それを食べても余裕があった。

でも、計測では全く変わらなかった。いや、何回も計ったら痩せた。指で輪を作って太ももを囲ったところ、すかすかだった。腹すら膨らんでいない。腰の線がくびれてえぐれていた。ここからもっと傾くかもしれない。

三食を快く食べられた方なのに、全く結果が伴わなかった。吸収力が落ちてしまったのか。それもやはりあるのか。詳細は不明でも、とにかくリラックスするなどすれば良い。粗方は解っている。それさえ出来ていないのが原因だ。

体力も落ちているのかもしれない。だんだんと怖くなった。そのうち一喜がやってくるのか、もうやってこないのか。十年は死ぬことがなかったけれど、この先もそうとは限らない。一体どうなるのだろうか。

 

明けて朝食と昼食はよく食べられる。不調であるとはいえ、壊滅的に食べられない訳ではない。昼食後の今は適度に腹が膨らんだ気がする。食べすぎてはいないはず。

散歩も短くしか出来ないものの、まだ余力はある。まだ疲れやすい程度にとどまっているはず。散歩の前の勉強できつくなったものの、すぐに回復した。頭が疲れただけだろう。

 

ちょうど次の診察まで二週間。どうなるのだろうか。一喜がやってきたのか、少し気分は楽になっている。少しは上向いてくれるか、診察を機に変わっていくか。まだ望みは繋がっている。

『トラウマによる解離からの回復』の参考文献を確認してみると、あるブログに引用されている書籍が複数あった。そのブログは継続して確認している。

ある方の先見の明は流石だ。いかに本質をえぐるものか解る。上述の書籍に胃腸についても記されていたら良かったけれど、それはなかった。これから学ぶ必要がある。

それはあるブログにも記されているから、そこからも学ぼう。腸にまつわる書籍にも目星を付けている。有益な認知になりそうだ。苦しくならない程度に励んでいる。

ポリヴェーガル理論にまつわる書籍によれば、他者と協力できると、全員の生き残りの可能性が高まるそう。ここでもマズローの理論と重なった。やはり所属と愛は病を癒すだろう。

そして社会交流は、人間だけに限らないそう。これはマズローの見解と対立する。人間はペットを愛し、コミュニケーションをし、懐いてくれると幸せを感じる。これは人間関係と通ずるものがあるのか。前述の解離の書籍では、ペットと愛着を築いて安定した人がいた。

ペットももしかしたら活路になるかもしれない。ポリヴェーガル理論にまつわるセラピーをし、身体の安全を整え、ペットと愛着を築く。それも人間を人間たらしめるのか。それは引っ越した暁にあるかもしれない。

午後の今になって暇を感じている。変わらず勉強とインターネットと散歩をするのみ。それだけでは面白くないし、健康から遠ざかっている。そしてこの内的な作業に意義はあるのか。

近くに居場所さえあれば良い。改めて田舎は機会損失だ。高齢者の施設は何軒もある。居場所に出て社会生活をし、病を癒すこと。それが生活の大きな立脚点で、公的な免罪符も得られる。その日々さえあれば良い。

暇を公的に認めてもらいつつ、社会生活をして最低限の健康を得る。居場所などで交遊を持ちつつ、内的な時間で積み重ねる。そしてそれらは自在にコントロールできる。これほど恵まれた環境はない。後は好きに勉強と創造を重ねれば良い。

 

病に苦しむこともなく、満足があり、自活のために励むこと。これが究極だ。今の生活も病を癒すためのものだ。病について勉強をし、自活で自尊心を得るために積み重ねている。

そんなことをしなくても、社会交流によって健康になれば良い。そうやって上述の生活をする。

それが全てだ。必死に勉強せずとも、急かされてアウトプットすることもない。生活の満足さえあれば良いのだ。

 

また明日。

 

参考書籍: