欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

社交と自然 天然の化学物質

今日は曇りのち晴れだ。午後の昼下がり。今日の腹は収まっている。ここからもっと和らいでほしい。夕食さえよく摂れたら、それだけで元通りになる。いや、上昇軌道に乗っていればこうなっていないか。

夕べはいつも通り食べられたものの、体重は最低水準だった。尿量の誤差ではあると思うけれど、脇腹が削げ落ちていた。腰をくびれさせると、見せかけの脂肪が移動した。骨盤の湾曲が目立った。

昼食も食べられた方ではあるのに、どうしても解せない。ドクターとの診察を浮かべている。以前はもっと食べられていただろうけれど、流石に今だって食べられているはず。

ドクターに暗鬱とぶちまける想像をしてしまう。いや、傾いた時にすぐ共有すれば良かった。全ては自分が愚かなせいだ。嗚呼。

 

計測の結果に引きずられ、夕食後はちょっとした自棄になっていた。理知的に腹八分を維持したとて、結局は肥えたりしない。食欲も上向かず、早期膨満が起こる。そんな顛末に嫌気が差した。

とにかく物を入れたら良いと開き直った。それで胃を伸ばそうとした。でも、胃に常人の力はない。戻すことはないものの、まともに処理することは出来ない。次の食事が食べられなくなる。それが一番の打撃だった。

 

頓服を諦めて飲んだため、翌朝の負債は少ないと感じた。でも、いつもよりは一口食べられない。いや、腹八分で収めるなら二口だった。まだ自棄が残っていて、務めて食べてしまう。

そして胃の雲行きが悪くなる。また頓服を飲んだ。先月は全く飲まなかったのに、今月は悲しいものだ。診察で増やした一つの薬は、全く効果を感じなかった。

残りの頓服を全て飲んでしまおうか。それは余っているし、その方がいっそ上向くと思う。それを常用しても良いはず。とにかく何とかなってほしい。頑張らないことなんて出来ない。報われないと楽にならない。苦しみと歩むことは出来ない。

 

やはり頓服が効いたため、ほんの少し歩いた。ただ、散歩の効果があるのは腹八分で収められた時。いや、そもそも腹八分で収められたとしても、そのうちまた食べ過ぎるのだろう。そして食欲も乱れる。

もういかんともし難い。個人的な努力の限界だ。自分の診察での不出来はあれど、その責めを負いたくはない。春頃は格段に食べられていたのか?吸収の悪さがあると思うはずだ。そうしないと辻褄が合わない。消化酵素で何とかなれ。

体重の安定と社会交流がない限り、何年も変わることはない。去年の年始の思いは、この前の年末を確認すれば解る。何も選択しなければ、何も変わることはない。

体重の安定に関しては、消化酵素と件のエクササイズが望みとなる。それくらいだ。エクササイズは効いたはずだし、消化酵素は明確に効いている。その両方を携えれば良い。

ただ、それだけで安定するほど簡単ではない。満足や自立が遠い限り、身体の原資ばかりを延々と頼ってしまう。それらの欠乏は看過できない。それを獲得しないといけない。

つまり社会交流に繋げる必要がある。そこを避けては通れない。いや、そこさえ通れば良い。社交と自然に触れさえすれば良い。どちらか片方だけでも十分だろう。まずは一つに触れる。それがあれば脳から化学物質が出る。そうするのが化学治療なのだ。

 

今の医学は薬物治療主義だ。それしか頭にないのではないか。そう化学的に病を見つけようとする。それ以外は非科学的となる。人工的な化学物質しか用いないため、そこから病を逆算せざるを得ない。

自分が勉強した範囲で言えば、人間のメンタルを癒すに必要なのは、社会交流と自然だ。それに触れることで先祖は生き延びた。それが万能薬となる。

ただ、医者がそれを進めた場合、医療サービスは成り立たない。それに人工的な化学物質を頼る罹患者が大半であり、そこで利害は一致してしまう。

もちろん人工的な化学物質も必要だ。それに助けられる疾患はある。でも、メンタルヘルスでは大概が非合理的だ。上述のように、自然と脳から化学物質を出すようにすれば良い。それが社会交流と自然との触れ合いで起こる。これが科学的な治療でもある。

そのための科学を進めている人は存在する。それは一般人も知ることが出来るだろう。後は文明の利器を使えば良い。これを見ている人なら誰でも可能性はある。目の前に自分を救う情報はあるはず。

頓服はかなり余っている。本当に次の診察まで使い続けて良い。その方が楽になるのではないか。次第に上向くこともあるだろうし、そこは柔軟にしていけば良い。

ただ、ドクターとは穏和に話をしないといけない。もちろん、現実の対人間で流暢になることはほとんどない。だからこう内的に記している。

 

また明日。

 

参考書籍: