欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

変化と成長 最低限度と最終地点

今日は曇りだ。薄雲が広がっている。気温はそこまで低くないはず。路面は乾いて露出していた。予報ではこれから気温が上がるらしい。

今日から三月だ。一年の四分の一が終わった。進展があったようなないような。変わらず学び、身体のケアについて考えていた。数ヵ月前のメモを見返せば、思考は成長している気もする。健康と自立自活。絶えず変化しているのなら良い。

夕べもよく食べられた。やはり頓服はよく効いて、夕方に入るとすぐ空腹になった。早期膨満はなく、食べても苦しくならなかった。この調子が何故だか続いている。

一汁一菜に近く食べられたため、そこで箸を止めることが出来た。やはり、それなりに食べられると自制が出来る。ただでさえ満腹が早いため、いつも最低限度に達しようとしてしまう。体重はまた微増していた。

 

朝食は理知的によく食べられた。寝る前の摂取が上手く働き、明けて胃の状態はフラットだった。早起きも出来たのも良かった。歯ぎりもなくなっているかもしれない。寝る前の基本エクササイズのお陰か。

昼食では満腹になってしまったけれど、食べたくて食べていた。腹九分は完全に超えていたけれど、それも仕方ないか。よく食べられたからこそだった。頓服がまた効いてくれたら良い。夕食はどうなるか。

内的な作業に費やしていると言いながら、昨日は数時間もインターネットに費やしていた。作業の時間は二時間ほど。変わらずそれに成果はない。健康でもなく、満足もない。

改めて何をして生きていきたいのか考えた。アウトプットも自尊心を保つものに過ぎない。欠乏を満たしてしまうことと、その先で何をして生きていくか。まずは前者に尽きるけれど、それは一山越えた先にあるか。

 

仮にインターネット上で自活が可能になっても、幸福や健康は遠いままだろう。他者との交流によって生存確率を上げる必要がある。話し、歌い、食事を分け合い、仕事を完成させるために協力する。これが健康をもたらし、唯一の幸福となる。

それを失うと自律神経は整わない。人生を司るのはそれだ。現代科学で難治性とされる疾患であっても、新しい自律神経理論からすれば何とかなるかもしれない。そしてそれは、感情や行動とも密接に繋がっている。メンタルヘルスを抱えているならば、それで大方の認知は得られると思う。

 

病を患っていなかったり、あるいはフィードバックすることがなくなった時など、どうやって自活をすれば良いのだろう。ビジネスとして割り切るのか、好きなことから仕事を創るか。あるいは社会で才能を活かして働くのか。広告やコンテンツ、プチクリエイター、支援的活動。

アフィリエイトはブログで書評をするかだ。検索流入におもねりつつ、SNSでもそれをしたり、ファンになってもらう。直接の課金もあるだろう。ブログのアフィリエイト、noteのサブスク。

 

いつかこれで稼ぐようになるのか。それ以外は全く思い付かない。健康だったら何をしていただろう。手に職を付けていたのか、何かを学んでいたのか。会社に勤めるのは創造的に思えない。

やはりインターネットビジネスか。何らかの知識や技能に投資する。そうやって内的に稼いでいく。いずれライティングやアフィリエイトを選んでいたかもしれない。

一年と何ヵ月かこう記していると、ブログのことも分かってくる。これも成長か変化か。自活をする上での道は見えてきた。道があるのは見えている。歩く姿は見えていない。

自立も生活が自宅で完結すれば良い。遠隔でサービスを利用し、金銭があれば生きていけるようにする。それで十分ではないけれど、そこに達したら大したものだ。最低限はそこを目指すこと。

そして健康の壁が最も遠い。生身の人間と触れ合えば良いのだけれど、それが環境的に難しい。親に連れていってもらうのはハンデとなる。とにかく近くに人や場所がないといけない。

大まかな最終地点は見えてきている。全ての時間が将来に繋がれば良い。いや、そのために今から繋げないといけないか。

 

また明日。

 

参考書籍: