欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

最後の局面 自在な創造

今日は曇っている。ただ、そこまで寒くなく、風も吹きすさんでいない。路面はまた黒っぽく乾いた。流石にもう積もることはないだろう。これから晴れの日が続いてほしい。

夕べはよく食べられる。昼食後の間食がすぐに収まらなかったけれど、変わらずに食べられた。そこまで食欲は強くなかったものの、案外するすると食べられる。

それでいて収まりも良く、入浴後にはまた間食を摂れた。そして計測では少し増えていた。通院から一日で上向いているのか。

ただ、あまり気負わない方が良い。調子が上向くとそれを維持しようとしてしまう。無理さえなくなれば良いはずだ。

 

明けて朝食と昼食はよく食べられた。今朝の胃もフラットで、最良の量を余裕をもって食べられる。内的な作業もまとまって出来、散歩も図書館を一周した。十七分は歩いていて、「これだけの体力があれば良いだろう」と思っていた。

必要なのは最低限の体重。それは消化酵素の力で何とかなるのか、あるいは代謝の問題か。春頃は目立った社会交流もしていなかったし、薬の力で何とかなるのではないか。それを信じたい。

発信について興味が湧き、色々と勉強している。実際に発信しているのだけれど、していなくもある。個人的な発信の解釈は、誰もが閲覧できるよう、自分をウェブ上に存在させること。

それで犬も歩けば棒に当たることがある。自分に何の価値が埋まっているか解らない。稼ぐことにも繋がるだろうし、その手前で何かあったりするだろう。

ノウハウを勉強しつつ、試行錯誤を繰り返すこと。それが楽しそうに思えてきた。だけれども、何を存在させれば良いだろう。自分という人間に魅力や価値がないと始まらない。その現実はあるだろう。

でも、工夫するのは楽しそう。健全な自尊心の欲求を持ちつつ、面白いコンテンツを追求していく。そこに熱中できたら良い。

 

ブログは何のためにやっているのだろう。読まれたいけれど読まれたくない。願いとしては、似たような魂を持つ人にだけ伝われば良い。それが一番だ。変わらずそのために続けている。

だけれども、そのためにはそうでない人にも触れられないといけない。だから嫌になる。成長させていく方法は解っていても、なかなか実行に移せない。でも、楽しんでやっていきたい。その気持ちが湧いてきた。

 

楽に記していきたい。ただ自在に自分を存在させ、何らかの形で発展させていく。アイデンティティーを展開させれば良いのだろう。マズローはそう言っていた。片付けるのが好きな人もいるし、料理を突き詰めている人もいる。

自分は病と勉強くらいか。色々なアイデンティティーがあったりする。不定愁訴ドロップアウト、様々なラベル。それを展開させて発展させれば良い。それはやはり楽しくあるだろう。そのように積み上げたい。

 

発信はすぐさま価値になる訳ではない。自分は自活を迫られないのだし、好きに束縛なく積み上げられる。それを時間や余裕がある時にこなしていく。ビジネスならやることは定まっても、そうでないなら好きに創造をすれば良い。

では、何を目指せば良いのだろう。どんなものが面白いものかが解らない。病を記せば良いのか、知見をまとめれば良いのか。

そもそも認知されたら価値がつくかもしれない。十分に人の役に立つのではないか。もしかしたらそうかもしれない。

調子が上向いてきたからか、エネルギーを建設的に用いたいと考えている。束縛なく日々を暮らし、どうすれば自活なりが可能になるか。

やはり満足を先に得て、その後に暇とエネルギーを携えること。そうすれば健康と自在な創造が可能になる。

 

フィードバックすることもなくなりつつある。新たな認知は得られているけれど、フィードバックの種にはならない。病的な無理のしすぎはなくなったし、後は最低限の体力を携えて社交をすれば良い。それだけの局面に辿り着いた。

そうなればブログはどう記そうか。やはり人目につく所へ出ないといけない。そこで反応がなければ別をするしかない。もしあるのなら、そこから何かが拓けてくるだろう。

エッセイやコラム的なコンテンツ、商品の販促。あるいは直接的に支援されるかもしれない。犬も歩けば棒に当たる。そこに最低限の体力や満足があれば良い。

 

また明日。

 

参考書籍: