欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

暫定的な生存 境遇の意味

今日は晴れている。午前と変わらず明るい午後。春の日和といったところ。もう季節が戻ることはないだろう。幾分と過ごしやすくなった。

ほんの一週を境に雪解けが始まった。今年の春はどう迎え、どう過ごしていくのか。良い気分を良い身体で味わいたい。

昨日の昼食はやはり食べすぎていて、夕食に影響してしまった。最低限は食べられたものの、腹はよく膨らまなかった。そこで無理することはなかったものの、これでは太らないと思った。

そして計測では痩せていた。そもそも脂肪が削げていて、よく食べられていても変わらなかったか。頓服を常用して三日経つ。上向いているはずでも、無理によってブレーキがかかってしまう。どうなるものか。

 

明けて朝食はよく食べられた。そこで無理をすることはなく、昼食までにフラットになった。夕べは無理をすることがなかったため、入浴後にすぐ間食を摂れる。そしてちょうどよく眠れる。その効果があった。

ただ、またも先程の昼食で食べすぎる。よく食べられるだけに食べすぎてしまう。これは呪縛なのか否か。一汁一菜に達しているものの、そうなるときつくなってしまう。また夕食に影響するか。

散歩では二十分近く歩ける。そうならば十分なのではないか。家の中で辛くなることはないし、死に直結している訳ではないはず。だとすれば、程よく摂取していけば良い。無理をする方がかえって逆効果だ。

 

それを意識していても変わらない。丁寧で真面目な暮らしの束縛。きっちりと三食を摂り、定時に眠りに就くこと。自立と自活もし、身の回りのことは自分で済ませる。

もっとだらしない生活をしても良い。その方が楽だろう。心身ともに弛緩させたい。もっと本能的で原始的に行動して良い。

今日もやることは変わらない。各種メディアから情報を収集している。読書、Webページの閲覧、音声。過去に読んだ書籍を再読した。これも気楽に進めれば良いのに、努めて励んでしまう。

ポリヴェーガル理論入門も読み進め、残りは半分となった。本質は大まかに理解したはず。午前に読んだところで触発もされた。色々と書き留める。

それをどう発信すれば良いものか。発信することで生まれる価値とは何か。ビジネスの観点からも考えていて、その収集もしている。セルフフィードバックは片手間で良い。

ポージェス博士いわく、「人間の祖先の自律神経は、亀のそれに近かったのではないか」という。亀が最初に行う防衛反応は、シャットダウンして頭を引っ込めること。

それは人間にも引き継がれている。爬虫類のシャットダウンは、心拍、呼吸、消化を大幅に減らす。人間にもこの代謝の変化があるはず。横隔膜下の迷走神経は、爬虫類、魚類、両生類と共通していて、横隔膜下で主に消化器官を制御している。

臨床的な障害が身体に大きな影響を与えると、「腹まで来てしまったか」と言うそう。自律神経系は系統発生な階層構造になっている。古代の防衛反応を使うのは、それ以外の手段に効果がなかったから。

 

腸や胃に問題があるのなら、それは不動化の防衛反応を引き起こす、無髄の迷走神経の働きによるかもしれない。これが背側迷走神経系だろう。

ただ、横隔膜より下の問題は、慢性的に可動化した闘争・逃走反応を使っている場合もある。無髄の迷走神経の働きが、活性化された交感神経系によって抑制される。逃走反応には特定の人や場所を避けることも含まれるそう。そう考えると辻褄は合う。

腹側迷走神経系は主に横隔膜の上を司る。それが社会交流によって安全の合図を受け取った時、交感神経系を抑制するはず。治療のための神経経路は、社会交流の神経回路と重複している。

 

哺乳類は社会的関係を持つ必要がある。爬虫類との差とは、適応のために社会行動をとることになったこと。

すると可動化と不動化という二つの防衛反応に加え、新たな自律神経の文枝が現れた。それは神経回路を活性化すると共に、二つの原始的な防衛反応の機能を制御する。いわば指揮者としての働きだ。

高血圧症、睡眠時無呼吸症および糖尿病などの疾病の合併が見られたら、それはその人の有髄迷走神経、つまり腹側迷走神経の機能不全があるそう。そのような疾病の多くは、しばしば精神医学および心理学と関係している。

 

他者から安全であるという合図を受け取ると、不調を抱える人は防衛反応に入らなくて済む。そうならないと治癒ももたらされない。

それは件のエクササイズの書籍にも記されていた。腹側迷走神経は、身体が安全であるという合図を受けた時にだけ使用可能になる。内臓の状態は落ち着き、温かな合図を出せる。

 

「トラウマについての理解は、遊びについてのより深い理解によってもたらされる」とポージェス博士は仰っていた。遊びは防衛システムと受け取られかねない行動に、社会システムが随伴している。遊んでいる時というのは、自分は安全であり、信頼しているという合図を顔の表情を通して伝えている。

それを声で伝えることもある。それは腹側迷走神経と繋がっていて、可動化を抑制する。遊びというのは、可動化と不動化の間を恐れなく行き来できるようにする、哺乳類特有の神経エクササイズだ。

物を使って自己調整をする人たちがいる。それは人間の相互交流の本質である、直に対面する体験がないもの。セラピーを必要とするのは、他者と共に共同調整できない人たち。

他者と共同調整ができないと、物を使って適応しようとする。それで健康や成長、回復が促進される生理学的状態に入ることは滅多にない。

ここでポージェス博士の言葉を引いてみる。

サヴァイバーは犠牲者ではなく、また、様々な症状は、神経による制御系の機能的な産物であり、それによってサヴァイバーは適応し生き残ってきたということです。

ポリヴェーガル理論入門   174P

自分は最近もずっと、何故まともに生きられないのかと思っていた。でも、ここを読んだ際にふと頭が回った。

通例の人生を半端に歩んでいれば、危険に放り出されていただろう。そうならなかったのは、明確な限度を迎えたから。身体が不調をもたらし、それと引き換えに自分は安全を得た。そうとも捉えられる。

これには意味があるだろう。それによって暫定的に生き残り、安全な場所で生存戦略を立てることが出来る。誤ったラベルを張られたりもしたけれど、それによって公的な暇や扶助を得られている。

 

今は考える時間だろう。人間の民俗的な考えをすれば、それを与えられたと考えられる。いったん俗世から離れられ、まず生き延び、生存を確かにして、不可侵の領域で再起を図れる。

つまり今の境遇には意味があるということ。生き延びたことに理由はある。より豊かに生きるために必要なのが今。ただひたすら不遇を嘆くよりも、そこに意味を見いだした方が良い。

幸せになりたいならそうだろう。そこに意味はあると思うし、それを見つけないといけない。過去の自分の時間を回収すること。在るべき未来に求められているのが今なのだ。

可能性を活かして生きるのに必要なのが今。ノイローゼ理論、ユングマズローの哲学、MBTI、豊富な時間の思考と創造。人生は奇妙なバランスがあるようだ。無い物ねだり。

 

また明日。

 

参考文献: