欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

社会交流と技能 調整の過程

午後の今は曇っている。光が強いため、気分はあまり落ち込んでいない。昨日の予報通りに湿った雪が降った。それが数cm積もる。それでもすぐに路面が見えるようになった。今くらいだとこうなるか。散歩をした時の風はそこまで冷たくなかった。

昨日の昼食後には間食を摂れる。ただ、夕方までに空腹を感じなかった。それは胃に滞留していたのか否か。あまり釈然としなかった。

夕食では快調に食べられなかった。ただ、最低限は食べられる。でも、あまり余裕はなかった。それでも計測では増えていて、意外に思った。

やはり、一膳とそれ以外をもっと摂りたい。そこに余裕が生まれると変わる。今はそこに達していなく、それが体重に現れている。認知の歪みはあり、以前の調子や摂取を忘れているのだろう。今は低調で推移している。

 

今朝は理知的な摂取が出来たと思う。少し状態の悪さを感じたものの、そこまでではなかった。最良の量の手前まで食べられる。それは十分に許容範囲で、午前の作業をしても辛くならなかった。珍しく自然と歩きたくなった。

昼食でも最良の量を食べられる。そしてそこからまた間食を摂れた。悪くないと思う。夕食が快調であれば、計測では増えるはず。快い満腹があれば必ず肥える。この調子で計測に持ち込みたい。

今朝、母親とお金の使い方を話していた。そこで少し話がぶつかる。自分の意見としては、「公的な扶助も貰えないのだし、積極的に投資して技能を身に付けよう」と主張した。

でも、母は「将来の生活費のために蓄えよう」と主張する。「それではじり貧になるばかりだ」と返すものの、それについてまともな意見はなかった。

以前も記したように、最終的には社会的な経済的支援を受けられる。現実的な障壁はあれど、それは事実としてあるだろう。

でも、それまでに何もしなければ、そのままその道まっしぐらだ。「遅かれ早かれそうなるのであれば、積極的に投資すれば良い」というのが自分の意見だった。

ただ無為に過ごすのではなく、せめて何かを積み重ねようというもの。これらの筋道を立てたけれど、渋い顔をされた。「ウェブ上にまともな仕事はある」と言っても、怪しい話だとして訝しがられた。

 

自分の意見に誤りはないと思うけれど、独創的に仕事を作ろうとしているのがネックだ。既存の価値をやり取りするのは考えていない。そしてこのブログの存在も知らせていない。だから最後の部分に説得力がない。

やはりこのフィードバックに見切りをつけるべきか。あるいはそれが日の目を見た時、否定されることなどないのか。どうにも分からない。問題はないのか、場所を変えるべきなのか。あるいはスタイルを変えれば良いのか?

 

ストックとフローの更新をどうしようか。セルフフィードバックは対価に繋がりにくいはず。情報や意見をコラムにまとめるか、何かの体験をメモとしてまとめるか。それらが可能性としてあるだろう。

どちらも選択肢としてあるだろうけれど、毎日の更新はどうすれば良いか。日記だけでも価値があるのか、気付きや体験をまとめれば良いのか。情報は軒並み無料化されているし、そのようなものを求めてもらえるのか。

 

ここ最近はそんなことをよく考えている。フィードバックすることからは離れているか。マニュアルの緻密さが高まることはあっても、それでやるべきことは見つからない。もう見つかっているから。

あとは行動あるのみで、自活と健康を手に入れるしかない。そうして自立した生活を送る。もうそれだけの局面に入った。社会交流と技能の獲得。それによる自活と健康の確立だ。

後はこまめに認知を入れ続ければ良い。それに束縛がなければなお良い。毎日の更新に縛られず、気楽に生活の均衡を保つ。遊びは義務となり、義務は遊びになる。それを昇華させる循環もあり、それは自動化・簡略化される。その仕組みを作りたい。

成人では、生存のための必要性は、安全と食物を得ることから、自分の生理学的な状態を調整することへ変化します。

ポリヴェーガル理論入門 238P

これが人生の全てだろう。それを認識するために必要なのが、ポリヴェーガル理論の概念。マズローの欲求階層とは少しずれるのか?先に安全と食物が必要なのか。

まず身体の恒常性を保つ必要があり、それが生理的欲求の満足となる。その後に必要なのが、健康、回復、成長をもたらす生理学的状態。それは安全と所属、愛の満足だろう。マズローいわく、安全は病気の悪化を防ぎ、所属と愛は病を癒す。

マズローの記した通り、これらの満足の順序は、生存確率の高さと相関する。それが欲求階層の本質。生理的な恒常性を整えるのが先にあり、生理学的な状態の調整というのは、健康、回復、成長をもたらすこと。つまり安全と所属・愛の満足を得ることだろう。

やはりこの順序だ。それが存続に欠かせない。マズローの概念は本質的だった。原始的・生理学的な視点で見れば、病気の原因は大まかに判断できる。どの不満足があるかによってだ。

 

現代の生活スケールと参照してみれば、経済的なネックが大きく横たわる。個人的に考えれば、今は生活の切迫がない。だから生理的な欲求は満たされていて、必要なのは生理学的状態を整える前述の満足。

改めてやるべきことは見つかっている。新たに認知を得たとしても、このやるべきことを補完するのみだろう。社会交流さえあれば、そこから健やかに生きることが出来る。そしてその過程に自活の種があれば良い。

毎日のメモにも意義があると思う。それを手放したくはない。欠かさず続けつつ、過去の記事を練り直し、新たに別のスタイルのメモを作る。そんなフローとストックの精錬。そこにもちろん読書も欠かさない。

もっと根を詰める必要があるのか。実働時間は小一時間ほどだし、もっと費やすべきなのか。そうなのかもしれない。

 

また明日。

 

参考文献: