欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

接点と奇遇 まともな人生

午後の今は晴れている。午前は雲が多かったものの、今は薄い青が広がっている。光が強く差していて、かなり暖かい。暖房はほぼ使っていない。流石に春がやってきたか。散歩の道中ではまた土の匂いがした。

昨日の昼食後の収まりは微妙で、夕方まで昼食の滞留感があった。それでも、食前の時間ぎりぎりには空腹になったか。漢方がそれなりに効いたと思う。

夕食はほぼ問題なく食べられる。変わらずゆっくり食べ進め、早期膨満はほとんどなかった。腹は昨日より膨らんだものの、計測ではほぼ変わらなかった。

夕方にした基本エクササイズの効果はいかに。総合的に見れば、徐々によく食べられているはず。一膳分はしっかりと摂れている。それを軽く収め、そこから余裕をもってもっと食べられたら良い。

 

明けて今朝の摂取は良かった。昨日に引き続いてよく食べられる。やはり入浴後の間食で無理がなかったからだろう。「もう少し食べたい」という気持ちがあっても、そこで無理をしないことが大切。

食べたいという感じであっても、それに呪縛が含まれていることが多い。「なるべくもっと食べておこう」という思考は罠だ。その時はかなり腹に溜まっている。

昼食はそこまで食べられなかったものの、その後にすぐ間食をし、スポーツドリンクを飲む。それで今の腹はきつくない。腹も凹んだ感じがしないし、そこまで悪くないと思う。これくらいで良いなら良い。夕食の摂取と計測がどうなるか。

新しく『セラピーのためのポリヴェーガル理論』を読む。その序文はポージェス博士が記している。そのポージェス博士は、場面緘黙、吃音のある子供、早産児などの人たちと交流を行なっているそう。

これは今までの書籍に記されていなかった。背側迷走神経系について学んでいる時、場面緘黙のことが浮かんだりした。やはりそれと関わりがあるのか。凍りつきにまつわるのだろう。この書籍も役に立ちそうだ。

 

その『セラピーのためのポリヴェーガル理論』によれば、副交感神経枝には背側迷走神経経路があるそう。初めてはっきりとした記述を読んだ気がする。そうなのかと合点がいった。今までの書籍では明確に認知できなかった。

学術的に神経回路を理解するのは難しい。凍りつきや擬死、胃腸障害に気を取られるけれど、背側迷走神経系が横隔膜下の内臓を整えている。それは副交感神経系の経路の一つだ。交感神経系がそれを抑制すれば、内臓のために使われていたエネルギーが可動化に使われる。

 

同じ書籍には、自律神経系の統合の理解のために、家の比喩が用いられている。背側迷走神経系は、家の基本的なライフラインを運営している。全てが滑らかに運営されていると、身体機能が自動的に働く。

ただ、腹側迷走神経系の影響を受けていなければ、空の家の運営となってしまう。それでは家の中が快適にならない。全ては最低限の設定に下がる。空気を循環させ、パイプを凍結させないよう保つのみ。人間の身体で言えば、それは生命を維持するのにぎりぎりの節約状態。

 

これがまさに今の自分だ。代謝の生理学的な変化が起こっている。消化と吸収は最低限になっているのだろう。それに逃走反応も加わっていて、前述の生理学的反応が起こっている。これもまた厄介だ。何重にもネックが重なっている。山奥へ逃走して冬眠しているようなものだ。

また認知が刷新された。背側迷走神経系が横隔膜下を支配するものの、それは腹側迷走神経系にコントロールされないといけない。恐れなき不動化が必要で、それによって健康、回復、成長のためにエネルギーが使われる。内臓の機能は元に戻り、代謝も適切なものとなる。

やはり社交が必要だ。何度でも記そう。嗚呼、近所に誰かいてくれたら良い。気色の悪い話かもしれないけれど、先日の新聞に公務員の異動が載っていた。そこに同級生と思しき名前があった。母親がそう見つけていて、それを自分は告げられる。

短期大学を出て帰ってきたのか?自分はその年代だ。この春から役所の職員になるらしい。きっと車の免許もあるのだろう。もうそんな歳になったのか。つい最近まで十代だったのに。

そんな出戻りの面々がいれば良い。もっと近所にいないのだろうか。地域に残るのが少数だとすれば、その皆で集まれば良い。田舎に暮らして面白いことはあるのか?自分はずっとない。会う人も出掛ける場所も遠い。だとすれば、居残りの人間同士交われば良い。

いつもの散歩道には同級生の家がある。今日もそこを通って思った。いま何をしているのだろう。誰かが車を持っていれば、お互いに行き来できる。もしそんな奇遇があれば、人生が変わるかもしれない。

そのためには行動も必要か。また図書館にでも行くべきか。そこへ行く体力は安定している。そこくらいしか交流の場はない。そこで一瞬でも接点が生まれたら、あとは自分が積極的になれば良い。既に好機を逃したのだから、いくらかは工夫が出来るだろう。

もし社交が成功すれば、理屈の上では健康になれる。その過程を記してみれば良い。似たような悩みを持つ人間が救われるかもしれない。まとまったコンテンツを置き、ファンから対価を貰ったり、検索から来た人の問題を解決する。それで収入を得られたら良い。

勉強を続けつつ、コンテンツも生み続ける。健康と自活が磐石になれば、まともな大人として生きていくのかもしれない。そうなれば良いけれど、それは夢想か?

あるいは自己実現による天職でも見つける?病める人やペットを救いたい。ペットと触れ合い、発信では文筆で誰かにメモを残す。文筆家であり、ペットのセラピストである。それはそれは面白い未来だろう。

社交とアウトプットの簡略化・仕組み化。それが今後の課題。もっと人に役立つような形でアウトプットしたい。あるいは既に価値があるのか?色々と思考中だ。

 

また明日。

 

参考文献: