HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

調整とめり張り 評価と期待

今日は列島全体が荒れているそう。午前の早い時間は静かだったものの、散歩の時間に近づくと風が強くなった。それで今日は歩かない。特に歩きたくなかったし、昼食は問題なく摂れた。晴れなければ無理をしなくても良い。

昨日の昼食後の収まりは良かった。夕方までには空腹になっていたと思う。ただ、食前の漢方はあまり効かなかったか。水の飲みすぎには注意しているものの、よくこうなってしまう。これは仕方ないのか。

それでも夕食はよく食べられた方。意識してゆっくり食べ進め、十分な量を収められる。ぎりぎり満腹だったけれど、量は申し分ない。計測では微増していた。

壊滅的ではなくなったのだから、もっと増えてほしい。でも、そうなるにはもっと食欲が必要か。爽快に食べられるのは少ない。欠乏があればそのようなものだけれど、もう少し変わらないものか。

 

明けて朝食と昼食はよく食べられた。夕べの負債は残っておらず、朝食はフラットに食べられる。最良の量をちょうど収める。少し前はこれよりも食べられなかったから、調子は上がっているはず。

昼食もよく食べられた。早食いを抑えたため、早期膨満はほぼなかった。でも、少し食べすぎの気はあった。なるべく食べようとしてしまったか。それでぎりぎり満腹となってしまう。その後に間食は摂れていない。

スポーツドリンクで収めたため、夕食までにはフラットになるはず。以前のパターンを思い出したため、多分そうなると踏んでいる。無理がいけなかったのか、不定愁訴のせいなのか。どうにもよく分からない。

『セラピーのためのポリヴェーガル理論』ではこう記されていた。

対人間神経生物学を提唱するシーゲルは、精神的な問題は、すべて神経系が過覚醒か、低覚醒のいずれかと診断されることであると述べています。

セラピーのためのポリヴェーガル理論P21

可動化は過覚醒で、不動化は低覚醒だそう。これは初めて知った。背側迷走神経系が介入する時は、システムを動かすのに十分なエネルギーがない時。この時のシステムは消耗し、クライアントは麻痺している。

交感神経系の反応が起きている時は、システム内にエネルギーがありすぎて、クライアントは興奮しているそう。それが過覚醒だ。自分はどうなのだろうか。

 

他にも同じ書籍から引いてみよう。

他者とつながり、コミュニケーションをとることに失敗したとき、自律神経系は腹側迷走神経優位の安全な状態を離れ、交感神経系の「闘争/逃走反応」を始めます。交感神経系が優位な状態では、「危険」を回避し、腹側迷走神経系による調整が取れた安全な状態に戻る試みとして、対立回避の戦略を取ります。

セラピーのためのポリヴェーガル理論P40

自分もコミュニケーションに失敗し、逃走反応の方が起こっている。そして回避をしてばかりだ。それが背側迷走神経系の健全な働きを阻害している。

自律神経反応の階層の状態には、社会交流、可動化、不動化の三つがある。あるいは、安全、危険、生命の危機と名付けられている。

自分の生理学的な反応を理解できたら、独特の状態にラベルを貼るように勧めるらしい。自分の場合は、愛情、危機回避、絶望の三つだろう。危機を回避し続けず、愛情を得ること。逃走を抑え、社会交流をして安全を得る。それが胃腸の病を癒すのだろう。

アウトプットの形について色々と考えている。場所を変えたいのだけれど、今度はそこでの評価が気になってしまう。どう発信すれば良いか見失っている。

発信とネットビジネスには色々ありそう。スキルを身に付けるか、影響力を身に付けるか。娯楽を生み、広告枠を売ったり、グッズを課金してもらう。

これが好きなことで生きることか。世の中は娯楽社会。疫禍で打撃があったのもそこだろう。同じ趣味やキャラクターをもつ人がいれば良い。そのようなファンを持つこと。

あるいは自分の商品を売ったり、誰かの商品の販促をする。自分のコンテンツ(ノウハウ・コラム)を生み出し、役に立とうとするもの。問題解決や意見の表現。その感謝代が対価。これにも影響力やファンからの課金がある。

 

好きなことを売るか、簡単に出来ることを売るか。それともノウハウを売るかだ。娯楽を生み出すか、誰かに感謝されるか。

あるいは評価経済圏でも作ってしまうか。コンテンツ、コミュニティ、キャラクターを構築する。出来ることを与え、同類で集まり、いい人の評価を得る。

ファンは少なくても良いそう。一部の人が課金してくれたら、それだけで賄えることもある。コンテンツや出来ることを提供し、コミュニティの皆に好かれる。

息の長い田舎の飲食店は、クオリティのある食物を提供しつつ、人柄で地域に密着している。そこでコアなファンを獲得がある。そのまとまった人数があれば、それだけで商売は回る。コンテンツ・コミュニティ・キャラクター。

 

ただ、そのために何をするかだ。娯楽を生むか、コンテンツで役に立つか。どんなものをどんな頻度で表現しよう。

どんな価値があるのか分からないのだから、適当にウェブ上へ存在を残せば良い。それ自体が報酬になれば良い。表現するのが苦にならないはず。いつか何かになるかもしれないし、誰かの役に立つかもしれない。評価が高まることもあるか。

もっと気楽にそうしていたかった。そして市場性の高い場所に身を置くこと。それが重要だった。かつて駄目だったのは、評価を期待していたこと。それが負荷となってしまった。

 

以前に試した場所へ移りたい。それはこれからも難しいのか?そこで継続していればどうなっていたか。どうにもなっていなくとも、結果を確かめたかった。今のこの場所にいても意味はあるのか。

ただ、その場所であったとしても、形態はここのエントリーをまとめるくらいだろう。この場所とやることは変わらない。どんな評価になるか分からないだけ。別の価値を生む努力はしていない。その場所でのことを夢想しているのみ。

コンテンツの内容、その投稿の頻度、作業の簡略化。これらのネックが大きい。何のために続けているのかが分からない。それをするための日常になっていて、それ以外に時間を費やしたくなく思ってしまう。

腹側迷走神経系が働いていれば、日常生活は有機的、計画的で、自身を大切にし、遊ぶ時間を取り、他者と一緒に何かをし、仕事での生産性を感じ、ほどよい調整感覚と管理感をもつそう。

誰かと遊んで生理学的状態を整え、仕事で創造をし、適度な興奮や刺激の状態を維持していく。個人の時間と家族の時間、そして仕事をする時間。そのめり張りがあってこそ、人生は豊かになる。それを整えるのが人生と言っても良い。

創造的な仕事とパートナー。これが必要だ。仕事はオンラインでしたいため、上述の要素を考えるに至った。どうやって満足のいく経済を整えようか。そのためのフローやストックのアウトプット。何で対価を貰えるだろうか。

 

また明日。

 

参考文献: