欠乏の不定愁訴ブログ

日々の気付きと過程の記録

自己の発現 第一の目標

今日は曇りのち晴れ。日が陰ったり差したりしている。風が強く吹いていて、午前に歩いた時は呼吸が出来なくなる瞬間があった。

朝食の量が微妙だったため、あまり遠くへは歩かなかった。ただ、二口ほど食べられなかっただけだから、歩こうと思えば歩けた。また五分ほど歩く。

やはりもう少し体力がほしい。少しでも調子が傾くといけない。本当に最低限度のものしかない。調子が良い時であっても、長くて二十分しか歩けない。これはどの程度のものなのか。

昨日の昼食後の収まりは良かった。一昨日の滞留感は食べたもののせいだったか。夕方までに明確な空腹になる。夕食はゆっくりと食べ進め、いつもの量を食べられた。一昨日のようなきつい満腹感はなかった。

ただ、入浴後に間食を食べすぎたか。「もう一口」というところで深追いしてしまった。それが時間差で腹に溜まる。寝るまでに収まりが変わらず、翌朝に響くと悟った。摂取の良し悪しはその前の摂取による。

 

今日の昼食でも食べすぎの気があったか。食欲がそれなりにあって良かったものの、なるべく食べようとしてしまった。調子が良い時に限ってそうしてしまう。勢い良く食べ進めてしまった。

やはり無理がネックだ。それがなければ摂取は安定し、体力も落ち着く。そしてより食べられるようになるかもしれない。これが本質だろう。でも、いつも腹九分で抑えた気ではある。そこに消化酵素の力があればだ。

また新たな気付きを得たため、それを記す。

孤独な人間は、不幸せを感じるだけではなく、自律神経系の防衛システムを活性化させ、『安全ではない』と感じます。慢性的な孤独は、絶えず『危険』のメッセージを送り、私たちの自律神経系は『生き残りモード』に固定されたままになります

セラピーのためのポリヴェーガル理論 P59~60

これが逃走反応による交感神経系の活性化だ。防衛システムの活性化。特定の場所を避けるのも逃走反応になる。すると背側迷走神経系の健全な働きが阻害される。孤独であるのなら尚更だ。横隔膜下の内臓は最低限しか働かない。

 

都会に住み、パートナーやペットがいて、移動サービスを使って自立する。最近はそれだけで良いと思っている。友達や所属先は要らないはず。

これは強がりなのか否か。自分ではよく分からない。内的に費やし、親愛なる関係の相手と安全を交わし合う。それだけで良いと思う。仕事や刺激はオンラインで得る。

ただ、内的な作業で満足できるかは分からない。そして自活が出来るかも分からない。それがありつつ、その他の望む生活は浮かばない。内的な作業が役割になるのか、それとも別にあるのか。

情熱のあることや、簡単にできることが見つからない。作業をするのは価値を生みたいから。それは簡単でも好きでもない。ここに記してきたものに価値はあるのか。

 

簡単に出来ることで人の役に立つ。それが自活や生きがいになると思うけれど、それがなかなか見つからない。オンラインに発現しているけれど、誰にも評価されない。

簡単に出来るものは、好きなことに通じていると思う。好きで続けていることがあれば、自然にインプットが膨れ上がっている。では、自分の好きなものは何だろうか。

読書は義務的に頑張っている。習慣を取っ払えば分からないものの、書籍を読み砕くのは簡単でない。それをまとめたり、情緒的に記すのも楽しくはない。そうやって生きていきたいかと問われたら、うんともすんとも言いがたい。

 

別の再読している書籍から刺激を得た。仕事論についてのものだ。

検討すべきは、「そんな生活で食べていけるだろうか?」ではありません。確認する必要があるのは、「そんな生活を、本当に自分は楽しいと思えるのか?」ということです。

それさえできれば、他のことが満たされなくても(=たいしてお金が儲からなくても、世間から褒めてもらえなくても)幸せで楽しいと思えるのか、ということです。

大事なことはただ、「それは、誰に評価されなくても、経済的な見返りがほとんどなくても、やり続けたいと思えるほど好きなことか?」という点だけです。

未来の働き方を考えよう  Kindleロケーション2009~より

アウトプットや創造が価値を生むかは、誰かの目に触れさせないといけない。この場所は人が通らないけれど、数ある通りに出る努力もしていないか。いや、そもそも親類縁者に見せられるものでない。

嗚呼、どうすれば良いのだろう。何とか自活をしていきたい。そのためには役に立つ技能を身に付けるか、既にある何かを見つけるかだ。インプットを見つけて役に立つ。そうしたいのだけれど、どうにも変えられない。

 

何が人の役に立ち、何が簡単に出来、何が好きなのか分からない。まずは習慣を壊すべきなのか。今は生活に切迫がないのだから、好きに自己を発現できる。それを自在に展開すれば良い。そうすればよいけれど、価値中心に考えてしまう。

早く自活をしたい。欠かさずセルフフィードバックをしつつ、自活のための労力を割く。それを簡単に済ませ、後は生理学的状態を整えたり、インプットを高めたりする。実働の時間を少なくし、かつそれを好きなことや簡単なことに置き換える。

すると遊びは義務となり、義務は遊びとなる。生活の全ては繋がり、磐石な生活が確かになる。協同調整や遊びをし、短い時間で自活をして、後は学びを深める。それが第一の人生の目標だ。一番目のライフステージはそれだろう。

アウトプットの場所を変えたいけれど、評価にさらされるのは怖い。そして現実での人格でしないような表現をしている。それが評価されたとしても、とても身内には見せられない。何がどうなっているだろう。

フィードバックやエッセイがどんな価値を生むかも想像がつく。この活動に限界はある。では、どうすれば良いのだろう。他に出来ることや好きなことが分からない。何で人の役に立てるだろう。

 

また明日

 

参考文献: