欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

自律神経系の探求 客観的な語り

今日は雨模様だ。今は降っていないようだけれど、午前はそれなりに降っていた。歩かず部屋に居て、色々と内的に費やしていた。晴歩雨読の日々。他に情熱のあることは見つからない。読書をし、何か知的な刺激を得るばかり。これが何かに繋がるのだろうか。

まとまったコンテンツにするとしても、書籍のような形にするくらいか。それだと薄利多売になるはず。そもそも、それによる収益だけでは厳しい。でも、他に何かを作れそうにない。

メンタルヘルスドロップアウトについて考えていて、捉え直しや価値観を構築している。慢性疾患を抱えている人や、似た境遇の人と繋がりたく、アーロン博士やユングマズロー、ポリヴェーガル理論、MBTIを学んでいる。

価値観を教育し、それをもたらすための技術を売ること。自分だとどうなるだろう。やはり書籍のような形にするしかない。それ以外では何を生めるのか。情報は無料で公開されているし、有料でどう経験をまとめれば良いか。嗚呼、やはりこの場所では難しいか。

 

昨日の昼食後は満腹感が強く、収まりが悪かった。夕方には空腹になっていたものの、胃酸が出てむかついていた。一食をなるべく食べてしまい、その後に間食もしてしまったためだ。

漢方を飲んでも状態は上がらなかったけれど、夕食は悪くなく摂れる。ゆっくりと食べただけで支障が出なかった。そして何故か腹が膨らんでいる。計測でもかなり増えていた。

それは早食いをしなかったからか、消化酵素が効いたからか。あるいは基本エクササイズの効果か?ふと午後にそれをしていた。それらのどれもありそう。

早食いをせず、塩分を控え、腹八分で収める。最低限の摂取で良いと決め、ゆっくりと食べ進めていた。それが状態を整えたのか。基本エクササイズをし、服薬の布陣を変えず、摂取の鉄則を守る。それが今の最善の方法か。

 

今朝の胃に負債はなく、朝食は余裕をもって収められる。午前の早くに空腹になったけれど、間食を摂れるまでではなかった。その空腹の時間がネックだ。昼と夕方もそうで、夕食から朝食までも長い。

完璧に腹九部で維持できたら変わるか。健康ならば軽く食べても問題ない。一食の量も多くなり、それでいて間食も摂れるようになる。その状態が正常ならば、確かに食べられていないか。一膳できつくなるのでは仕方ない。

『セラピーのためのポリヴェーガル理論』では、エクササイズが記されている部分に到達した。美術、音楽、動き、書くことを通し、自律神経系を探求していく。

それに気付くことが出来れば、自分の身体に落とし込まれた物語を理解できるようになる。自分は自律神経系によっていかに生きているか。それを知ること。相互作用をするのか、孤立をするのか。それらのあらゆる選択の理解が深まっていく。

 

描くことで右脳のイメージが具象化されるようだけれど、自分の性には合わないか。それに関連した箱庭療法というのも、あまり魅力的だと思わなかった。

やはり、自分には書くことが合うはず。身体に話してもらい、自律神経系と繋がり、その時にどのような状態だったか情報を集める。それは周囲の人に共有すると良いそう。

調整不全の時であれば、その状態について書くことにより、客観的に語り手として観察することが出来る。書いているうちにニューロセプションに注意を向け始め、自律神経系の体験を表す言葉を探すようになる。

 

それは今までの過程でもある。それが自分のアイデンティティーであるかもしれない。書いて思考をまとめる。そのための洞察を助けるのが内向直観。内と外の心を深く感受すること。そうするのが良いと思う。

ただ、全ての人にそれが合っている訳ではないそう。それはもちろんそうだ。ただ、前述のものが向いていない分、自分はそうなるということ。書くことによって明晰さを得る人もいる。それは様々なのだろう。

発信についてふと思ったのは、以前のような不調からくるエネルギーが薄れたということ。生死やドロップアウト、可能性についてあまり記さなくなった。

それは生活が落ち着いてきたからか?発信を始めてからの過程を記せば良かった。でも、はてなには記しておいて良かったと思う。セルフフィードバックが終わりに近づいたのか、そんなことはないのか。トラウマや発達障害についてはまだまだ学べる。

ただ、苦しみに絡めたフィードバックは減っている。社交をするようになった暁では、フィードバックにおいては尽きてるだろう。まだ気が早いけれど、そんなことを思う。実際にそうなればどうしようか。自分のコンテンツはどうなるのか。

 

このエントリーを使い回せば良いのか?知見の結晶はあるだろうから、それを掘り起こしてみたり、刺激を受けてまた表現したりする。それで書籍のようなコンテンツを構えれば良い。いや、それだけでまともな生活はできないだろう。もっと別の形で価値をつけないといけない。

有料で何かを販売する。販売できる何かを見つけることだ。自分にしか持ち得ない体験、見解、技術や芸、それらを形にする。人から褒められたり、簡単に出来ることで誰かの役に立つ。

それを創造的かつ構造的に展開する。自分は身体や時間を差し出すことが出来ない。誰にでもあるそれがないのだから、とにかく頭に投資するしかない。それで何かの価値を生むこと。日々こつこつと積み上げ、何かの知識や技能を見につけないといけない。

何かの油田を見つけること。それを見つければ、毎日の生活が豊かになるはず。遊びは義務となり、義務は遊びとなる。好きなことと喜びが合致し、仕事と遊びの二分法は超越される。それは生き甲斐をもたらす。そんな日々を迎えてみたい。

 

また明日。

 

参考文献: