欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

最低限の生存 軸と表現

今日は曇ったり雨が降ったりしている。直近においては冷えているか。午前に通院へ出掛けた時は寒く感じた。

今朝の目覚めは良く、食欲もそれなりにあった。朝食は無理なく収められる。直近のリズムを保てた。体力は十分で、緊張も薄かった。

 

診察は体調の確認といったところだった。ドクターからの質問は、メンタルの調子についてくらい。身体の調子は自分から話した。体重が少し上向いたことと、あまり消化酵素の効き目を感じないこと。

それでも体力の安定はあり、それを告げるとドクターの雰囲気が和らいだ。無理をしなければ問題は薄く、その無理を病的にはしていない。以前は歩けなかった距離を歩けている。それは大きいだろう。

服薬の布陣は変わらずこのまま。抗うつ薬を減らしたくはあるけれど、なかなか言い出す流れがない。いや、それでも良いか。体調の好転もないし、去年の春はそれを飲んでいなかった。

 

それで診察は終わる。体調が悪化していない確認で済んだのだろう。「無理せずに人に慣れた方が良い」というアドバイスが一つ。以前の好調時も同じ話があった。それは良い証と見て良いのか?とにかく気掛かりなのは体重。その余裕がないと始まらない。

「図書館の近くを通る」ということで人慣れの話があった。でも、自分は社会復帰を目的にしていない。仕事は在宅でも可能だろうし、就労に縛られる必要はない。それに最低限の体力さえ携えれば、移動サービスを用いることで生きていける。

その体力のネックはあるものの、今は消化酵素の力を待っている。体重の天井さえ突き破れたら、あとは自活くらいになる。やはり社会交流は現実的でない。最低限の生存を保ちつつ、この町で自活と自立をする。もうそれしか考えていない。

そういった話をしていきたい。でも、ここ何ヵ月も体調の単調な確認で終わっている。それが歯がゆいところ。もっと質問があれば良いものの、初期のやり取りが原因となっているのか。時間は余っているだろうし、いつか本腰を入れて話したい。

 

昼前に帰宅する。道路状況は良くなっていて、混雑していなかった。買い物をして薬局に寄る。往復で緊張はほとんどしなかった。やはり基本エクササイズのお陰なのか?

発信することがなくなってきたか。生活にあるのは体調の塩梅、勉強で得た認知、日々のフラストレーションなど。義務感や習慣として続けているものの、全く先が見えない。

セルフフィードバックもなくなってきた。勉強はまだまだ出来るものの、それと絡めた文章が出てこない。それなりに楽になったからだろう。あるのは煩わしい不定愁訴のみ。セルフフィードバックに価値があったとしても、恒常的な産出になっていないか。

 

自分が簡単に出来ることと、人の役に立つこと。あるいは好きなものを誰かに伝える。それらが発信というものだろう。自分には何があるだろうか。

勉強は欠かしていないものの、表現になるものが減ってきた。創作をすれば良いのか、情熱を表せば良いのか。娯楽を生みだせはしないだろう。ペースと内容と場所。とにかく工夫が必要だ。

 

評価されたいこと、表現したいこと、人の役に立つこと。これらは発現しないと見つからない。評価されるまで工夫したり、届けたい相手に届くまで工夫する。あるいは有益な何かがあるのかもしれない。

クオリティなど意識せず、ひたすらそれらの軸に基づいて表すしかない。最初から成果なんて得られない。何の価値があるか分からないし、あっても表現力を身に付けないといけない。

自分に表現力があったとしても、発信する内容の種が薄い。続ける過程で価値を精錬しておきたかった。セルフフィードバックの貯蔵はあるのだけれど、それを使えるのだろうか。あるいは価値を拡大し、廃れない物を留め置いておく。それが働いてくれたら良い。

 

場所を変えてセルフフィードバック連載し、そこで価値があったものに働いてもらう。そうした方が良い。ただ、もう病苦やフラストレーションは薄い。でも、引き続きフローで生み出さないといけない。それをどうするか。フローはフローメディでしつつ、有益なものをストックすれば良いのか。

自分の評価されたいこと、簡単に出来ること、表現したいことは、果たしてこのスタイルのものだろうか。とにかく自活をするために始めたものの、内容が内容だった。セルフフィードバックは悪くないものの、ありありとした独白が過ぎていた。

ここでの更新のスタイルをどうすれば良いか。それも考えないといけない。フローはフローで良いのか、ストックするならどんなものにするか。まだまだ勉強と作業が待っている。

 

また明日。

 

参考文献: