欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

神経系を操る能力 繋がりの中の遊び

午後の部屋は暑いくらい。春に入った程度でこの日和か。午前に通販で買ったパソコンが届く。これでブログを整えられる。設定をいじって読書をした。

なかなかアウトプットには繋がらない。何かの労働に費やせば、習慣の縛りを設ける必要がなくなるのか?そうなれば好きにインプット・アウトプットが出来る。そう思った。

必要な技能を身に付け、それで自立自活する。創造的なことはその後にすれば良い。それが理想なのかもしれない。でも、今の生活でも創造的なことは始められる。インターネット上の人格や技能を定め、後は価値の提供だったり、承認を求めれば良い。

それだけのことだ。何かを表現したり、問題を解決すること。それだけで良いけれど、過去に積み上げたものがネックになる。方向を変えていくのか、貯蔵をいじっていくか。それを悩んでいる。

体調や体力は安定している。胃の不定愁訴を除いた場合、体調不良はほぼない。身体は健康な方なのか?生活リズムを崩すことはなく。習慣のコンプレックスが良く働くところだ。

夕べはよく食べられる。一昨日と比べるとそれは明確だった。食欲や胃の軽さがあり、早期膨満も薄い。そして計測では増えていた。この調子であれば上向くと解った。そう気付いたのは良かった。

これが自然と続けば良い。過度な無理もしていないし、そろそろそうなってくれても良い。食間の無摂取も避けようとしている。ストレスも目立ったものはないし、春の日和が加わってほしい。

神経系が複雑に絡み合っている状態をうまく操る能力が限られていると、クライアントは、遊びの豊かさ、親密性の優しさ、畏敬と高揚感を味わうことができません。(中略)  あそびは、活動と落ち着きの間を柔軟に移行する能力を強化するエクササイズです。

セラピーのためのポリヴェーガル理論 P248

この事はアーロン博士も記していた。遊んで楽しむことでエンドルフィンが分泌されるなど、様々な良い変化を起こしてストレスを解消する*1。ただ、トラウマサバイバーにとって、互恵的な体験に携わり、安全に繋がり続けるのは簡単でない。

遊びを試しながら活性化と落ち着きの間を行き来すれば、次第に上手く自分の状態を調整できるようになるそう。子供の頃の遊びの記憶を辿り、遊びのプロフィールを作ると、どのように遊びに取り組んできたのか気付きを得られる。すると、安心して遊びを試してみることができる*2

スクリーンを通したものではなく、ひとりの人の自律神経系が相手の自律神経系の共鳴し、つながりの中で遊ぶことで、私たちは健全さを取り戻します。

セラピーのためのポリヴェーガルのP254

やはりそれが協働調整になるか。それがペットで代替できるなら良い。可能性はそれくらいしかない。近所には誰もいないし、公的な居場所は遠くにある。

だとすれば、内臓機能が落ちた状態で過ごし、最低限の体力を維持するのみか。後は移動サービスを使って生きる。それが現実的な限度か。今後しばらくはその生活になりそう。いや、いつまでもそうなるかもしれない。

 

セルフフィードバックの種が尽きたし、それを展開するにも意欲が持てない。同じ悩みを持つ人に働きかける。自分のフィードバックを伝え、医学の定説や診断を疑うこと。それに救われない人を救う。そのための勉強や価値観を表す。セルフフィードバックと読書、派生して選書に繋がれば良い。それをどう実現するか。

ブログを開設した頃に戻り、「好きに始めれば良い」と伝えたい。好きに自己を発現し、似た魂を持つ人が助かるようなことをする。それを市場性が高い所で行う。承認の希求と価値の提供。今から零で始めても良いけれど、そうなると戸惑ってしまう。自分には読書と文章しかない。

 

また明日。

 

参考文献:

*1:ささいなことにもすぐに動揺してしまうあなたへ。P139

*2:セラピーのためのポリヴェーガル理論P249~252