欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

自律神経の反応と物語 気付きと言語化

今日は久しぶりに雨が降っている。いつもの散歩の時間は曇っていたため、その内に歩いた。変わらず消耗しないものの、もっと歩きたくもならない。

変わらず読書、音声、動画で面白い情報に触れている。そうやって思考するのが好きだ。それならいくらでも出来るか。ただ、それが産出には繋がらないところ。

夕べの計測では微減していた。それは昨日に比べるとそうで、最近で言えば十分な水準ではあった。夕食はよく食べられた方だったけれど、抜本的に変わった訳ではないか。

ただ、一食の量は少し増えた気がする。無理も減っているし、それが大きく影響することも減った。このまま次第に上向けば良い。

 

今日の昼食では少し食べすぎたか。食欲があまり強くなく、早期膨満もしていたかもしれない。腹九部の内部信号は感じていたものの、最良の量を食べようとはやってしまった。それで案の定きつくなる。

今朝によく食べられたため、それがかえって好ましくなく働いたか。その負債は残らなかったものの、食欲には影響した。それがあるかもしれない。無理せず多く収められたとしても、それが胃の持久力を超えてしまうことがある。やはり規定の量しか食べない方が良いか。

親の影がちらつくのもある。一人で暮らしているのであれば、どのくらい腹に収めようが構いはない。もしそうならば、真に食欲に応じて食べられるかもしれない。

一人で食べる物を用意し、好きに腹に収める。それは親の世話がなくなる世界との交換。どっちが良いものか。いや、選べるものではないか。

『セラピーのためのポリヴェーガル理論』をほとんど読み終える。かなり時間がかかったものの、少しずつ読めば必ず読了できる。今は他のことも学びたいし、それで良いと思う。並行して他の読書も進めている。

『セラピーのためのポリヴェーガル理論』では、最後に結論がまとめられている。そこに複雑性トラウマへのポリヴェーガル理論によるアプローチの事例がある。

彼女は、自分の自律神経の系の反応を、彼女の辛い物語と切り離すことを学びました。彼女は、気づき、言語化し、自分の反応に向き合うことを実践しました。彼女は、「奈落の底に落ちていく体験」を繰り返す傾向がありましたが、それは、適応的な生き残り反応で、基本的な性格の欠陥ではないということを理解し、自分を尊重することを学びました。

セラピーのためのポリヴェーガル理論p277

この自我の力が大切なのだと思う。ポリヴェーガル理論の言語に熟達しようとし、気付きを言語化する。そうして理知が心理的な物語を書き替える。

それはポージェス博士やアーロン博士も記していた。勉強と捉え直しがいかに大切かということ。人生の初期に協働調整が欠けていたとしても、まだ神経系は組み替え可能であるそう*1

臨床的な診断を超えて自分の状態を理解することで、クライアントは、自分が取っている行動や信念を、生き残りに貢献する適応的な反応として見ることができるようになっていきます。ポリヴェーガルのアプローチは、クライアントを恥の苦しみから解放します。 P280

私たちが自分の反応に気づくずっと前から、私たちの自律神経系は反応してきました。そして、それが繰り返されるにつれて、習慣的な反応パターンが形作られます。私たちは、ポリヴェーガルのレンズを通して、これらの生理学的状態が心理的物語を作り出す、ということを理解しています。P281

まず基本的なポリヴェーガル理論を理解し、そこから理知によって心理的物語を書き直すという形。そのための様々なエクササイズが記されていた。こういったアプローチも重要だろう。有益な認知も得られたし、良い勉強になった。

所属と愛、自尊心の欲求の満足が人生を左右する。所属と愛によって欠乏症を癒し、技能を磨いて誰かの役に立つ。それが健康と幸せをもたらすはず。誰かの役に立つには技能が必要。そう考えれば、自分には文章くらいしかない。でも、産出に繋がる種がない。

ブログは自己を発現させるだけで良い。価値を生もうとしなくて良いし、欠かさずに続けなくても良い。とにかく自分らしく、自分の創作物、意見、価値観、技術をまとめる。それだけだ。

生み出し続けられるものを見つけ、やがてそれで感謝されたり、褒められたりしたら儲けもの。後はそれを拡大するのみ。とにかく自分のメディアを育てれば良い。

文章、音声、動画、画像、それらの何でも良い。市場性の高い場所を選び、コンテンツを生み続ける。そしてそのメディアを成長させる。コンテンツの中身を磨き、工夫して拡大させる。全てはそれだけで良い。

 

セルフフィードバックのスタイルがネックだ。始めから勉強をコンテンツにすれば良かったか。勉強で得た認知を経験と絡める。それを似た魂の人に届ける。

もっと情報を主に据えれば良かった。欠乏のブログは邪魔になるか。最近ではアウトプットの種が主になっていて、それもまたネックとなっている。

場所を移動したいけれど、大勢の目に触れるのも怖い。ここでも交流は出来ないものか。出来るだろうけれど、似たような人が見つからない。誰かに自然に見つけて欲しいけれど、そうはいかないのがこの場所。どうしたものか。

 

また明日。

 

参考文献:

*1:セラピーのためのポリヴェーガル理論 276P