HSP/INFJセルフフィードバック

日々の気付きと過程の記録

神経系の協働 恒常性の維持

今日は曇り。いつもの時間に散歩へは行かず、両親と墓参りに行く。もっと前に雪は解けていただろうけれど、ようやく拝むことが出来た。祖母は老衰で外出が難しくなる。時が進み、それぞれの人生も進んでいる。いや、押し出されているというところか。

昨日の夕食はまた微妙だった。ここ二日は似たような摂取になっているか。朝食はよく摂れるものの、昼食までに食欲が湧かない。そこで満腹まで食べてしまい、夕食でも食欲が薄くなる。

そんな調子が続いている。計測では微減していて、少し腰の肉も減っていた。朝食でよく食べられるのがかえって悪く働いている。昼と夜にもっと食べたいけれど、そのためには食欲が必要。またフラットに摂りたいところ。

 

体重が増える時というのは、必ず気持ち良い食後感がある。腹が膨らみ、明確な差を感じられる。より増加して安定する時は、多少の食べすぎがあっても影響が薄い。胃の持久力がつき、持続してそれなりの摂取が続く時。

それは明確な好調の時。そんな時から長らく遠ざかっている。もう思い出すのも大変だ。これから取り戻せはしないのか?

動画である人の食生活を見た。摂取量が表されていた訳ではなかったものの、気楽で一般的な摂取を垣間見た。摂る時間は良いとして、量は気楽でも良い。その時その時で、気楽に腹を収めれば良いだけ。摂取量は関係ない。その神経の太さを感じた。これからその意識でいたい。

改めて交感神経系にまつわる認知を整理した。逃走は特定の場所を避けることも含まれ、一人でいることや、集団に属していないのは危険を表す。

交感神経系が防衛機制として発動した場合、背側迷走神経系の健全な機能は抑制される。すると、内臓の働きのために使われるエネルギーが可動化に転換される。

交感神経系は、体内の血液量を増加させる機能を持つそう。それは健全な呼吸サイクルと心臓のリズムをサポートし、体温を調整する役割を果たす。それが腹側迷走神経系と協働すれば、心拍と呼吸数を調整する。そして背側迷走神経系と協働することで、消化がサポートされる。

腹側迷走神経系の調整がよく取れていれば、三つの神経系が協働し、身体の恒常性の感覚が保たれる。やはり今の自分はそれが欠けている。逃走反応が背側迷走神経系の働きを阻害し、最低限の代謝しか維持されなくなっている。

孤独の感覚は、誰かに向かって手を伸ばしたいと私たちを駆り立てますが、脅威に対する用心深さも増加させます。そしてコルチゾールを増し、交感神経系を活性化させます

セラピーのためのポリヴェーガル理論 P59

逃走反応をし続けていても、自律神経系は協働調整を求めるそう。交感神経系の過度な活性化と、それによる背側迷走神経系の機能の低下。これらの調整をとるのが腹側迷走神経系。とにかく安全の合図を与え合う協働調整が必要だ。

でも、やはり社交は難しい。何年もその場から離れている。もう視野に入らなくなった。相手はペットくらいしかないと思う。近所に親しい人はいない。タクシーで誰かに会いに行くべきなのか?嗚呼、そうしてもらうのが親孝行なのか?

仮に経済的自由と健康を手に入れたとする。それを維持するのには何も要らない。では、有り余った時間とエネルギーをどう用いれば良いか。そういった生活を考えてみれば良い。

その状況で費やすことをライフワークにすれば良い。趣味か勉強のどちらかだろう。それを通して何か役立つことをする。すると理想の生活に自活が伴う。その逆算が良いのではないか。

 

好きなことでインプットを高め、それを技術に転用・昇華させる。それで人の役に立てたら至高。同じ悩みを持っている人や、同じ趣味をもった人に働きかける。

好きなことでインプットが高まっていれば、それについて上級者になっているかもしれない。そして同じ分野の初心者に働きかける。好きなことにお金を費やしていれば、やがてインプットが大きくなる。

それが誰かの役に立ったり、誰かの娯楽を生んだりするかもしれない。必要なのは零から表現すること。情熱や知識なりを分かりやすくまとめる。それだけで上述の価値がつくかもしれない。

そのためのアイディアが勝負だ。いかに役に立つか、あるいは創作をするか。ともかく零から創造をしないといけない。価値を見つけられたなら、後はそれを拡大していけば良い。

示唆に富む書籍を読んだ。かなり有益な視点を得られた。これからそれを再読し、もう一捻り思考していく。

経済的に満足があれば、いったい何をするのだろう。トラウマや自律神経理論を学ぶのか、それとも稼ぐための勉強をするのか。

今の原動力は、「自活をしたい」ということのみにある。セルフフィードバックも尽きたろうし、何をするのか。人の役に立たなくても生きていけるのか?何かを作りたいという意欲も、何かの情熱もない。どうしたものか。

 

また明日。

 

参考文献: