欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

細分化された意欲 価値のある文化的な要求

今日も晴れている。ここ最近は連続して晴天だ。欠かすことなく歩くことが出来る。近所の猫と遭遇したりして、春を感じられている。あれだけ厳寒の季節があったのに、あっという間に変化した。ある夭逝したミュージシャンの音楽が浮かぶ。あらゆる風情や心情に則したBGMだ。

夕べの計測では減少していた。朝食では食前に食べられる量を見極め、昼食でも同じように摂れたものの、その後の収まりが微妙だった。

直近では間食を摂れずにいる。夕方までに食欲が湧かず、それで夕食を快く摂れなかった。それくらいだと体重は増えない。これも時の運なのか。体重は意識しない方が良いか。

昼食と夕食で爽快に摂れないところ。一膳より多く食べるのがきつい。直近に大台へ戻ったのは運なのか。消化酵素が効き始めたのでもないのなら、理由はよく分からない。

もう少し食事を楽しみたい。あまり美味しくは頂けていないか。朝食は快調が続いているものの、その後に胃が動かなくなる。好調時であれば、多少は無理をしても打撃にならない。そうでない今はその逆がある。

 

今朝の朝食後に薬を飲む時、最後の一口を余分に口に含んでいた。余計だと感じつつ、「便通のためにも」と飲み込む。その結果で嫌な悪心がした。過剰な無理ではなかったものの、それが響いてしまうこの身体。水の一口でこうなってしまうか。

嗚呼、やはり生活扶助を貰い、移動のサービスさえ使えたら良いのか。そんな気分になってしまう。仕事が全くない。何も能力が活かされていない。人間が無価値であるという意味でないものの、何の役にも立っていないのは事実。自活が出来ておらず、自力では生活が立ち行かない。

 

昨日に『身体はトラウマを記録する』が届く。六百ページに及ぶ大著。値段は張ったものの、知恵の結晶に比べると安いものか。研究の労力を買ったと思えば良い。一ヶ月以上は細切れに読んでいくはず。何か認知を得られたら記そう。

もうアウトプットも尽きてきたし、他の意欲も湧かない。もう自活の種などないのではないか。ふともう諦めたくなった。「後は手帳さえ通れば良い」と、そんなことを思ってしまった。

まだある意欲としては、読みたい書籍があるということ。でも、身体はそれなりに楽になった。精力的に励むのは難しいか。今は自活のための勉強をしたい。健康になるための方法は分かった。あるいは現実に則した自立をするだけ。その中心にあるのが自活だ。

情熱を生み出し燃え立たせる鍵は、あなたの中で最も熱く燃えるひとつのモチベーションに従うことではない。むしろ、意図的にできるだけ多くの異なるモチベーションを活用することだ。

あなたが認識し活用できる、独特で細分化された「好きなこと」「小さなモチベーション」が多ければ多いほど、あなたは思う存分、自分の人生を切り開いていける。

Dark Horse 「好きなことで生きる人」が成功する時代  P99

個性に基づく充足感やモチベーションとは、いったい何があるだろう。自分には習慣の束縛があって分かりにくい。朝一番にすることは読書か。でも、それも習慣によるもの。

真にやりたいことや好きなことは何か。情報に触れることだろうけれど、それがコンテンツの産出には繋がらない。あるいはとても難しい。細かなモチベーションも重ならない。選書が選択肢にあっても、人に伝えたい意欲はない。

 

他の書籍にも似たようなことが記されていた。

システムの効率化の中に取り込まれないために持つべきなのは何でしょうか。それは、システムになくて人間だけにある「モチベーション」です。

人間社会をどうしたいか、何を実現したいかといったようなモチベーションは、常に人間の側にある。だから、それさえしっかり持ち実装する手法があれば、いまはシステムを「使う」側にいられるのです。

働き方5.0  ~これからの世界をつくる仲間たちへ~ Kindleロケーション2154の448

今ある意欲というのは、「健康になるための方法を勉強すること」「自活をするために勉強すること」の二つしかない。前者は社会交流が必要だと分かっていて、後者の勉強には意義があるか不明だ。勉強をするにしても、技能を身に付けるためのものか、好きや情熱を高めるものをすれば良い。そうするしかない。

社会交流をし、価値のある文化的な作業をすれば良いのか。あるいはそれをするような暁で、自分は何を目的に生きるのだろう。そうなると何も浮かばない。今の日常にある勉強が要らない世界。その先に何の意欲が残っているのか。

それが分からないのが重大なネックだ。贅沢な話であっても、これは皆が抱えているようなもの。極められるような趣味もなく、学びの他にモチベーションがない。すると役に立つような産出にならない。つまり何にもならない。そして稼ぎが得られない。

 

そんな未来がやって来そうでならない。貯金はどんどん目減りしている。年金の支払いも免除されているし、経済的な破綻へまっしぐらだ。健康が遠く、経済的な自由も同じ。それはこの町において不自由を表す。自活の出来ない病人など、生活の自由がない。

それは自分のせいなのか?あるいは家族、他人のせい?時代の宿痾を背負っている?こういう運命にある人間がいて、破滅の過程を記せば名を残せる?そう燃え尽きるのが定めなのか?

まもなく二十一歳。いつまでこの生活に耐えられるのか。親の存在や扶助もそうだし、そろそろ日常に哀れさが出てきそう。いつまで取り残されるままなのか。過去に意味は生まれるのか。今夏には成人式がある。

 

また明日。

 

参考文献: