欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

障害と化学物質 素朴な愛と喪失

午後の今は少し曇っている。暖房を点けないと肌寒いけれど、耐えられない程ではない。そろそろ辺りの桜が映えてきた。緑が繁る前の彩り。それが散って葉桜になれば、辺りは一気に緑になる。

この頃の体調はどうか。ここ何年かは記念写真を撮っていないはず。撮ってもらう人がいないということもあるし、そういうことが出来るのは好調の時。未来になってその調子を振り返るのは辛い。それもある。ただ、一年ぶりに調子は戻ってきているか。

一昨日の計測では微減していた。空腹で夕食を迎えたものの、そこまで腹は膨らまなかった。ただ、それなりには膨らんでいて、個人的な高止まりではあった。

でも、もっと美味しく頂きたいところだっあ。気持ち良い満腹感があれば肥えていく。そのために自我の制御なり、基本エクササイズをしているけれど、やはり時の運の要素が大きいか。とにかく快さだけを得られたら良い。

 

夕べの計測では急激な上昇があった。まさに急激で、大台よりも五百グラム多かった。夕食を快調に迎えられ、それでよく腹が膨らんだ。それだけでもかなりの変化だった。

前日よりも七百グラムの増加。やはり一食の快さが全てを決める。間食の量・回数は差ほど関係ない。胃の持久力がつけば摂りたいものの、まずは一食を爽快に摂るだけで良い。最低限の体力を得るにはだ。

一ヶ月で一キログラム増加がちょうど良いし、それで収まってくれた方が良い。今日以降はどうなるだろうか。満腹が遠ざかれば減っていくだろう。大台を維持できたら良い。

『身体はトラウマを記録する』読んでいる。そこから印象的な部分を引いてみよう。

人間の苦痛のほとんどは愛と喪失にかかわっており、治療にあたる者の仕事は、喜びも悲しみもすべて引っくるめて、人生の現実を人々が「認め、経験し、その重みに耐える」のを助けることだとセムラッドは私たちに教えた。

身体はトラウマを記録する P52 

こんなこともあった。ハーヴァード大学のこの高名な老教授が、夜、妻のお尻が自分の体に触れているのを感じると、どれほど心休まる思いで眠りに落ちることができるかを告白したので、私は驚いた。これほど素朴な人間の欲求を抱えてくれていることを打ち明けてくれたおかげで、そのような欲求が人生にとってどれだけ基本的なものかに、私たちは気づくことができた。

P52

自分もそんなパートナーがいてくれたら良い。それだけで良いのだろう。仕事とパートナーがほしい。仕事で生き甲斐を得、パートナーと過ごすことで豊かに生きる。そうやって健康と満足を得られたら良い。それだけが望みだ。今のところの目標はそれ。その下積みになっているなら良い。

 

そして改めて考えたのは、精神疾患とラベル、薬物治療についてだ。それについての新たな認知をたくさん得られた。それも引いてみる。

多くの節目を経て、精神の問題への取り組み方が徐々に変わっていった。耐え難い感情や関係の果てしなく多様な表出という捉え方が、それぞれに明確に区別された「障害」という脳疾患モデルに定められた。

P53

私たち人間がこれまでずっと扱いに苦労してきたあらゆる問題は、適切な化学物質の投与で治すことができる「障害」として再定義されたのだ。

P53

耐え難い感情や、関係の果てしなく多様な表出。言われてみればそうだ。鞍替え前の病院でラベルを貼られた時は、耐え難い扱いによる感情、そして人間関係における複雑な問題が絡んでいた。

そういった状態を包摂するのがラベルで、それは障害とされている。その前提を支えるのは、脳や化学的不均衡、遺伝子に異常があるとする科学。善かれ悪しかれ、それが市民権を得たのは周知の通り。

医薬品革命は、けっきょく、その成果に劣らぬほど大きな害をもたらしたかもしれない。精神疾患は主として脳内の化学的不均衡によって生じ、その不均衡は特定の薬で是正しうるという説は、メディアと大衆にも、医療の専門家たちにと同様、広く受け容れられた。薬は多くの場所でセラピーに取って代わり、患者が根底にある肝心な問題に取り組まずに症状を抑え込むことを可能にした。

P69

非薬物治療の研究はほとんど資金提供を受けることはない。(中略)  医学の主流は化学を通してより良い生活を実現するという方針を堅持しており、薬以外の手段で自らの生理的作用と内的均衡を現に変えられるという事実は、ほとんど顧みられない。

P71~72

ポリヴェーガル理論やポージェス博士の言葉など、ここ一年半で学んだことと重なった。原因が釈然としていない、あるいは不明とされている精神疾患、そして脳や遺伝子に原因があると推測されているその多くは、主にトラウマによる迷走神経系の機能不全が原因なのではないか。

そしてその症状は、必ずしも化学物質の投与では良くならない。それは各種のラベルにおける病態にも通ずるのではないか。薬以外の手段で生理的作用・内的均衡を変えられるというのは、ポリヴェーガル理論によるセラピーや、新しく生まれたトラウマケアによっても強調できる。自分はこの見地を強く支持したい。

特に「患者が根底にある肝心な問題に取り組まずに症状を抑え込むこもうとする」というのは耳が痛い話だろう。化学主義が覆らないのは、患者側にも原因があると思う。精神疾患を癒せるのは本人しかいない。とにかく本人が癒すしかない。

 

第2章の最後には、「適応か病気か」という節に重要なことが記されている。脳疾患モデルが見過ごした四つの事実。社会交流、言語化、基本的活動を通した生理的作用の調節、社会的状況・成功できる環境の構築。ポリヴェーガル理論からもそれは有用に思える。「人間性の典型的な特徴を無視すれば、トラウマから回復して自律性を取り戻す術を人から奪うことになる」という記述は、マズロー人間性の心理学を思い起こす。*1

精神疾患を癒すのに欠かせないのは、とにかく勉強をすることだろう。でも、それは誰しもが選べるものなのか?この状況・生活を築くことが出来たのは、自分が恵まれているから?切羽詰まって学びを迫られ、それを選択し、地道に積み重ねていく。これは大多数には出来ない?どうすれば世の中が変わるのだろう。

絶望に落ちてからの学び。それを自分が代わりにすれば良いのか?見知らぬ大勢が可哀想だと思っている訳でもない。本当に救われたいとさ迷っているのなら、「絶望と努力・学びが必要だ」ということ。手段がないと諦めている人がいるのなら、そうではないと言いたい。

 

でも、「最後には自分自身の力に懸かっている」とも伝えないといけない。それは今の自分にも言えることだ。

これからどうなることやら。学べる環境にあったのは恵まれたものの、治癒に繋げる行動を取れない。それが自分の大きなネック。

この生活は自分が作ってしまっているのか。居場所に出向けないのは努力の不足なのか?本当は運命を変えていけるのなら、今の状況は誰がもたらしたのか?

 

また明日。

 

参考文献:

*1:身体はトラウマを記録する P72