欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

慢性的なストレス 体質と弱さ

今日は薄曇りで、少し風が強く吹いている。散歩で近所の猫に遭遇したものの、すり寄られることはなかった。

活動範囲は変わらず図書館の近辺。経済的な自立と移動の自由を思うこの頃。貨幣を得て経済的に自由にならなければ、移動すら自由に出来ない。そして自動的に自立も出来ない。

貨幣を得ること、健康になること、移動が出来るようになること。この基本的な前提が失われている人生。それは自分のせいか否か。環境が良ければ何とかなったのか、今の生活も自分が招いたものか。いつか技術が弱者を救うのか、この生活を未来に求められているのか。

意味があってこの状態があるのなら良い。今しているのは読書くらい。文章も記しているけれど、それが求められる技能かは分からない。自活のために試行錯誤する日々。意欲はそこから生まれていて、本当にやりたいことかは分からない。

一昨日の計測で微減していた。それでも、大台を割らずには済んだ。一昨日に比べれてみれば、夕食時の食欲が弱かったか。もう数口の伸びがあれば、もっと腹は膨らんだはず。

その状態になることはある。それを維持していきたい。そしてそこから天井を破る。一汁一菜を安定して摂り、間食ももっと摂る。そうなればかなり上向くだろう。

 

夕べの計測では減少がなかった。夕食前に食欲はあり、最良の量を余裕をもって収められる。それでよく腹が膨らんでいた。視覚的にも脂肪の厚みを感じられる。

胃の持久力はついてきているし、その調子も維持されている。体重が底に落ちた時と比べれば、一・五キログラムは増えている。

そこで少しの好調コンプレックスが湧いているか。それを理知的に抑えていきたい。無理をしないことで食欲を安定させる。食欲が安定しても食べ過ぎない。その連鎖する回転がはまれば、十分に肥えていくだろう。

問題なのは些細な無理がたたること。そうやって摂取が安定すれば、それなりの調子に戻っていくはず。無理なくフラットに摂り続け、消化酵素の力を借りる。そうなれば去年の水準を超えるかもしれない。去年も無理は頻発していた。それでも上向いたのは、消化酵素の力だったろう。

トラウマを負った人のストレスホルモンは、基準値に戻るまではるかに時間がかかる。ストレスホルモン値が絶えず高いと、知らず知らずに害が出る。どんな問題が生じるかは、各自の身体のどこが最も弱いか次第。

身体はトラウマを記録する P84

そういったことがあるのか。自分が弱いのは上腹部。慢性的な孤独により、絶えずストレスに見舞われている。それは哺乳類として生存確率を下げるからだろう。それでも記憶や注意、睡眠の問題は薄い。元々の機能が良いからなのか?

胃が弱いというのはどんな体質だろう。それは外胚葉型が一つあるはず。もう一つ考えられるのは、背側迷走神経系との関わりか。腹側迷走神経系との協働があってこそ、それが横隔膜下を整える。先祖が凍りつきで生き延びたのか、あるいは社会交流で生き延びたのか。それともただの体質なのか?やはり外胚葉にまつわるものか。

変わらず読書とインターネットをしている。ブログを記す時間が減った分、食事をしている人の動画をよく見ている。ブログに取り組みたくはないものの、創造的な仕事には従事したい気がする。それを少ししたい。

読書は大切だけれど、あまり楽しくはない。刺激的でないし、満足感がない。もっと面白い作業か仕事があれば良い。それは独立した別のスキルによるものか、セルフフィードバックによるものか。

 

トラウマやラベルについて学びたいけれど、そこまで精力的に励めないか。セルフフィードバックも尽きたし、強い意欲はない。自分の呪縛は大体が解けている。

フィードバックやそのブログを軸にするのか、あるいは別の作業なのか。勉強と文筆を生業にすれば良い?それが現実的でなくなったけれど、それ以外の意欲もない。嗚呼。

 

ブログに関わらず、クリエーションはアイディア勝負。それが尽きない産出を続けるだけで、十分な突出に繋がるはず。どんな仕事や創造的作業でも、アイディア・意欲・技能が尽きたらお終いだ。

アイディア資本と小資本の可能性。資本主義の前時代的フロンティアが消滅し、いかに有効なアイディアを生むかの世界になった。それはコンテンツクリエーションでも同じだと思う。

アイディアやアイディアの尽きない産出があれば、少ない資本でも成果を挙げられる。それによって何かの価値を見つけること。自分は記したい意欲が失せた以上、それを仕事にするのは難しいか。では、他に何がある?それが問題だ。

 

セルフフィードバックのための勉強と、ラベルや臨床的診断についての勉強。これらの意欲はまだある。でも、いつ途切れるか分からない。その勉強をいつまでも続けたいのか?それ以外の勉強・読書もしたいけれど、それをライフワークにしたいのか分からない。どんな生活をしていきたいのか。

フィードバックと選書を絡め、様々な言語化によるフックを展開していくか。読書と言語化が好きなのであれば、それが仕事になるかもしれない。セルフフィードバックや医学の診断を学びつつ、他の学びからも言語化をする。

ネックはそれをまとめるのが大変だということ。その作業も好きなのではない。嗚呼、社会的に成功した人は恵まれている。意欲のあることがたまたま文化的に必要だっただけ。仮に意欲があったとしても、それを形にする作業にまた別の意欲が必要。そしてそれが文化的に求められないといけない。

意欲と産出の相互作用。原動力と恒常的な産出。そしてそれが誰かの役に立った時、その人は天職と理想の生活を得る。その境地に達するのは恵まれた人だ。

セルフフィードバックの意欲は尽きつつあるし、それを何かに産出するのは簡単でない。やる気も技能もないということだ。どんな生活が理想かも分からない。すべては自活のためであり、経済的な満足を空想してみても、どんな意欲が生まれるか分からない。

何か簡単に出来る技能でも身に付けるか。そうやって稼ぐことが出来れば良い。でも、セルフフィードバックを探求したくある。他の読書もだ。それでは時間がなくなるはず。一体どうすれば良いか。

いつか意欲が生まれるなど、生活の変化があるのだろうか。そうなれば状況も変わる。何十年の単位で言えば、この町のインフラも変わってくるか。弱者に救いがあれば、絶望をしなくても良いかもしれない。どうなる?

 

また明日。

 

参考文献: