欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

情動と身体反応 ストレスと神経シグナル

ここ直近は晴れの日が続いている。過ごしやすい日和で室内は快適だ。午前の早い時間なら歩ける。もう六月になったけれど、風の匂いは薫風といった感じ。緑がさやいで爽やかな匂いがする。梅雨前はまだまだ初夏か。母によれば、昨年はもう夏日に到達していたよう。

一昨日の計測では、その前日より百グラム減だった。それでも夕食はよく摂れた方で、腹もそれなりに膨らんでいた。脂肪はほとんど落ちていない。

変わらず間食を摂れていないものの、ほぼ問題ないだろう。無理さえしなければ体重は落ちない。このまま落ち着けば胃の持久力もつくはず。まず自然な成り行きに任せよう。

 

昨日の計測では微増で、また大台から一キログラム増になった。体重が底まで落ちてから二キログラムの増加。するといくばくかは肉の層は出来る。

今朝は最良量を摂れなかったものの、計測では体重は落ちなかった。なるべくよく摂ろうとしなくても、腹八分で抑えるだけで良いのだろう。それが癖になれば良い。そうして腹八分を維持し、食欲を維持する。すると胃の持久力は上がっていくだろう。

また『腸と脳』から学びを引いてみよう。「心と腸のコミュニケーション」の章には様々な情報がある。

やがてボーモントは、胃の内部で生じている活動の変化を直接観察することによって、怒りが消化を遅らせているという結論を引き出した。こうして彼は、情動が胃の活動を左右しうることを報告した史上初の科学者になったのである。

 

(中略)その結果、被験者が敵意や攻撃性をむき出しにして反応したときは、結腸はただちに収縮した。それに対し、絶望、無力、自責などを感じたときには、結腸の収縮は緩慢だった。この結果は、のちに他の科学者が追試しているが、被験者自身に関わるトピックが提示されたときにのみ、結腸の活動が増大することがわかった。

私たちが日々感じている情動と、特定の身体反応が結びつくよう脳が固定配線されており、情動が激化すると、この固定配線を介して内臓反応が導かれる、というのが、今日の科学者たちの一致した見解である。

腸と脳 48P~

上の二つの研究は古いものだけれど、その情動による内臓反応は正しいのだろう。前者のものと同じ反応は、同じ章に記されていた。生命が脅かされる状況に直面した時、活動に必要なエネルギーを浪費しないよう、内容物の除去が指令される。その一方で、恐れや悲しみがあると胃腸の収縮は緩慢になる。

脳や自律神経系が情動を生み、それに内臓が反応する。この辺りの記述ではそう捉えられる。ただ、腸内微生物と情動の関係も記されていて、その辺りはもっと熟読しないといけない。それでも、腸と脳とのコミュニケーション経路については記されている。

脳は様々なメカニズムを通じて、腸内でその種の運動プログラムを実行する。コルチゾールやアドレナリン(エピネフリンとも呼ばれる)などのストレスホルモンを分泌し、腸管神経系に神経シグナルを送るのである。その際、脳は腸機能の実行を促進するシグナルと(迷走神経を含む副交感神経系によって伝達される)、抑制するシグナル(交感神経系によって伝達される)というニセットの神経シグナルを送る。この二つの神経回路は、通常は合わせて活性化され、腸管神経系の活動の調節、微調整、連携を行って、その都度の情動の状態を反映する腸の活動を形成する。

50P

現在、情動が消化管を含めた身体に及ぼす影響に関する知識は増大した。そのメカニズムを理解するには、まず大脳辺縁系について知る必要がある。大脳辺縁系とは、人間が他の温血動物と共有する原始的な脳の系であり、情動の生成に重要な役割を果たす。

 

このプログラムは、たとえ本人が何の情動も感じていなくても、状況に合った一連の身体反応を自動的勝つ迅速に実行してくれる。

P51~

ストレスや状況に応じて脳は自動的に反応している。そしてそれが情動を生み、必要な生理反応を起こさせる。その感受にはニューロセプションが関係するのだと思う。それは自律神経系の関与から推測できる。

ストレスによって自律神経系が反応し、その内臓反応によって情動が生まれ、また内臓が生理的に反応する。この一連の流れは脳が先なのだろうか。だとすれば、社会交流によるストレスの低減が有効のはず。

内臓の反応を改善させるべきか、ストレス反応をなくすべきか。この辺りは『身体はトラウマを記録する』にも記述があった。そして身体思考のセラピーもここに由来するのだと思う。それらをまだまだ読み深めないといけない。

表現は好きにすれば良いのだけれど、更新の頻度を高くしようと思ってしまう。そのためには知的な刺激が必要で、ずっと勉強すべきだと課しがちだ。それが窮屈になる。これも自尊心コンプレックスによる擬似的な無理のしすぎ。自尊心を保とうと、社会的な価値を誇示しようとしてしまう。

まだ発信が仕事になっていないのだから、好きに自己を発現すれば良い。でも、変に習慣づいて壊せなくなった。日常の全てをコンテンツ産出に費やすべきだとし、そこからはみ出さんとしてしまう。

フロートストックを分けるべきなのだろう。些細な気付きやアイディアがあれば良いだろうけれど、どうにも努めてしまう。ただの日記を表現するか、気付きをまとめるか。それらをフローにし、有用性のあるものをストックにすべきか。もっと気楽な創造をしたい。

 

「役立つものを」とか、「有益なものを」と考えて表現すると辛くなる。まずは表現できるものを表現すれば良いか。表現するだけで報酬を感じられるもの。そうしないとそもそも続かない。そこからスコアを弾くなどし、有益さを工夫していく。人を集めてから工夫して役立たせる。まずは自分のペースで。

「あったら良いな」と思うコンテンツを作る。そのジャンルのコンテンツに飽き飽きするまで触れ、溜まったフラストレーションからアイディアを生む。それが唯一無二の原石であり、後はそれを表現するのみ。そのための勉強なども苦が少ないはず。

 

好きなことを徹底的に極めるか、何かを徹底的に学ぶしかない。そしてその事柄について表現する。お金と時間をたくさん割き、人間そのものの価値を上げる。

そのようにして人に何かを提供する。世の中で必要とされている難しいことか、好きなことを極める。自分のレベルを上げ、誰かの人助けをする。そうやって役に立つこと。

 

価値があるものを手に入れないと商売にならないか。有形無形の何かを手に入れ、そんな価値あるものを右から左へ回す。有形のものを持ってくることが出来ないなら、無形の価値あるもの持ってくる。それを誰かに与え、人助けして感謝される。そこでようやく貨幣と交換される。

今まで買ってきた書籍は、全てが価値あるものだ。それらの知識と経験を織り交ぜ、分かりやすくまとめる。その思考や表現の手間に価値がつけば良い。そうやって誰かに与えていく。無形の情報なりを持ってきて、今度はそれを誰かに渡す。

お金を稼ぐというより、持ちうる有形・無形のものを人に与えれば良いか。経済活動とは、ものを循環させることだろう。貨幣が回るというより、有形無形のものを人が活動して渡し合っている。何か価値のあるものを持ち、それを誰かに与えれば良い。誰に対して優しくし、助けることが出来るか。

 

資本主義というより、資本的貨幣経済ではないか。主義ではなく、自然と発生する社会の分業制度。何かの有形・無形資本を貨幣に交換し、それで必要な物を得ていく。資本を持っている人の方が、持っていない人よりも人助けをしやすい。

昨今の世の中は発信力・影響力の資本が絶大か。若くして成り上がっている人は皆それを得ている。それが欠けている人はいない。現代の資本はエネルギー源や生産環境ではなく、いかに人を惹き付けられるかだ。良いアイディアさえあれば、多大や資本を獲得し得る。

現代では目に見えるニーズが失われている。ただ、それでいて潜在するそれを掘り起こしたり、多大なアクセスや価値のあるコンテンツを生み出した人が儲かる。そのためにはアイディアが必要で、また学びや気付きが必要。

 

また明日。

 

参考文献: