欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

表現の加減 継続と技能

一昨日の計測では減少だった。ここ何日間で減り続けている。夕方の状態は良かったけれど、夕食では早期膨満とげっぷがあった。それで少し気分が悪くなる。

意識できていないだけで、一食の摂取量は落ちているか。今日は食間の飢餓感があった。摂取を抑えぎみだったのはあれど、食欲不振や不定愁訴は残っている。ここでなるべくよく摂ろうとすべきか。

摂取後の収まりは悪くないけれど、摂取の際に早期膨満がある。食べすぎはないと思うけれど、とにかく食欲と胃の収縮が悪い。こういう状態にはまる期間はあれど、冷静に対処するのは難しい。

 

昨日の計測ではかなり増えていた。尿量の誤差はあるだろうけれど、大台を上回る上昇だった。時の変動がなかなか激しい。

ただ、午前の散歩の後は、珍しく栄養不良感できつくなった。それなのにここまで変わるのか。夕食の摂取は微妙だったものの、何故か腹が膨らんでいた。それは早食いをしなかったからか?

最近は自活についての思考しかない。変わらず親しい人はほしいけれど、それはだんだん薄れてきたか。親しい人と時間を共有していれば、今度は一人になれなくて堪らなそう。勉強する時間は真にどれほど必要なのか。

恐れや悲しみも少し薄れているはず。不定愁訴は尽きないものの、歯ぎしりの頻度は少なくなったか。とにかく自活をしたい。それだけの意欲で日々を過ごしている。

 

もっと学び・気付きを落としたいけれど、それがなかなか難しい。それには真の知識のインプットが必要で、こつこつ積み上げて一定の域に達しないといけない。

こまめな言語の摂取と思考、そして活字に変換する習慣。これも技能の一つだ。勉強と思考と言語化のサイクル。まだ習熟が足りない。

 

表現と発信のスタイルがまだ定まらない。型は定めているものの、それは簡単で意欲的に出来るものではない。すると継続が難しくなり、技能も極められない。

それがとにかくネックだ。学んでそれを解りやすくまとめ、そこから生まれる見識・見解を落とす。それがまだ簡単に出来ない。学びをまとめるだけでは問題で、それは気づきに従わせないといけない。

 

そもそも何かを表現したい意欲や、何かを伝えたいというそれがない。それなのにインプットに価値があると思っているから、評価を狙った表現をしたくある。でも、それを自分で否定的にも思ったりして、大勢の目には触れさせたくない。だから有益なものを作ろうとし、その表現が苦痛になってしまう。

とにかく自分が表現できるものを表すこと。それが先決で、その先に有益さの加減が可能になる。目を見張るような創造はまだ先。

自分は学びが中心になるだろうから、それを解りやすくまとめるしかない。それが簡単に出来、かつ見識も簡単にまとめられたら拓けてくる。市場の評価はそこから得たい。

 

興味・欲求という個性を見定め、モチベーションがあって没入できる作業を見つける。そしてその複数の作業が組合わさる仕事を選ぶ。

それがなかったら創るしないのか?ただ、これにも評価が付きまとうのではないか。いや、没頭にそんなものは生まれないか。単純な表現の意欲さえあればだ。

 

感情を読んで支援するのが向いているか。その応用として勉強や思考、言語化を用いたりする。対人的な支援と文筆。エネルギー性向的にはそうだろう。それらの作業が没頭できるもので、価値を感じられるはず。

感情、勉強、支援、言語。それらを通して人助けが出来たら良い。現実でそうするのは無理だろうから、ウェブ上に何かを発現し、評価があったものを伸ばしていけば良い。

有益さを生もうとするのではなく、表現できるものを表現する。コンテンツにすらしなくて良い。それは価値が生まれた後にすれば良い。まずはそうやって出来ることを見つけること。

 

また明日。