欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

学びと自己努力 化学治療と精神疾患

昨日は通院日だった。世の中は酷暑の話題が持ちきりだけれど、この辺りは雨が降っている。それで身体に応えずに済んでいる。梅雨に相応しい天気だけれど、南の方はそれがなかったよう。これは現代特有なのか?

そろそろ祖母宅へ避暑通いになるか。去年はマズローの書籍を読んでいて、少しは成長を感じられる。半年前ですらトラウマについて学び始めたばかりで、そう考えると知識の積み重ねは浅い。

あと一・二年でそれなりの形になり、もう更に数年で洗練されたものを生み出せそう。その頃には発信の踏ん切りがつけば良い。在宅で自活するならそれしかないだろう。それまでにコンテンツを成熟させる。

その時に羞恥心なりが消えれば良いけれど、いったいどうなるだろう。自活が成立するのなら、収入源について申告しないといけない。家族に恥ずかしくならないようにしたいけれど、そのためにはどうすれば良いか分からない。

昨日は普段通りに起床するも、どうにも食欲がなかった。げっぷが溜まって出ない感じで、何とも不快感がした。ここ直近の反省も活かし、朝食はかなり抑え目にした。

それで腹は楽だったものの、昼食までかなりの時間が空いた。帰宅まで消耗はしなかったものの、活動的には動けなかっただろう。ここ最近の雨模様がかえって好都合。

 

道中の車の中では、一時かなり吐き気が湧いた。体力が満ちていなかったのと、通院以外にほぼ出掛けていなかったからだろう。

どうにも店に行くのを遠慮してしまう。そもそも面倒だし、わざわざ親に連れて行ってもらうのが嫌だ。基本エクササイズはしておいたものの、またしてもげっぷが出ない感じの吐気があった。

 

診察は簡単な質問で終わったものの、極端な五分診察ではなかったか。それでも短かったけれど、不定愁訴について話せた。その内容はほぼ変わらないものの、摂取の塩梅の苦悩を話す。

最後のたった数口で左右され、一膳を軽く収められる持久力を得られない。腹八分と九分の境が曖昧で、抑え続けると胃の力がなくなる。かといって食欲はまちまちで、抑える必要があったりする。それを見極められたら良いものの、内部信号を感じ取れないのも仕方ない。

それに表情を曇らせて共感してもらえたものの、特に服薬の布陣は変わらなかった。もう選択肢はないのだろう。脳腸障害の専門医でもないし、自分は内視鏡を突っ込める体力がない。機能性ディスペプシアの治療薬はあっても、その検査をしないと服用できない。

 

改めて思ったのは、「精神の慢性疾患は自分で治すしかない」ということ。ドクターは今の医学の常道に則るしかなく、頼みは服薬くらいだ。必要な情動のケアなど、根本的なストレス対処については教えてもらえない。いや、そもそも教えてもらえる時間がない。

治療の全てを委ねるのではなく、自らで学んでいくより他ない。今の医学は化学的治療が主流。それは検査で分かる疾患にしか効かないだろう。自分の力で身体から神経化学物質を出すしかない。

そのためには学ぶ他ない。そういった自己努力をすべきで、そのフィードバックをしてもらうのが診察だ。治療の指揮を執るのは自分。まずその事を理解すべきだと思う。

コンテンツとは何かを伝えるものか。まず何かの伝えたい意欲が必要で、その上に知識や経験、感情や人格などが欠かせない。何を伝えて人助けをしたいかだ。それがある人に向いている。

アイディアが湧くのが一番。外側にある報酬なりを求めるといけない。例えて言うなら、画家に相応しいのは絵のアイディアが浮かぶ人であり、報酬のために志して頑張っても仕方ない。

とにかく表現し、反応を元に工夫していくか、興味のあることを学み、得意を作っていくか。何にせよ、行動しないと始まらないのはある。

 

たしか人間の集中力は、三時間程度が限界だったはず。スマホ脳にそう記されていたはずで、太古の狩猟に費した時間がそうだっただろう。現代人も真に頭が働くのはそのくらいか。

だから午前に勉強と表現をし、その後は遊び兼読書をしたい。そして夜は家庭の時間なりを送る。それが理想的だろう。仕事は数時間で、その後に遊びでインプットを高め、それ以降はリラックスをする。

でも、勉強と気付きをまとめるのが大変。まだ簡単にこなせる作業になっていない。学びを落としてまとめることと、思考と感情を常に言語化すること。それがなかなか難しい。

ただ、これが極まれば成果が出るはず。勉強の蓄積とその表現。まだその技能が高まっていない。もっと練習を重ねないと。

 

また明日。

 

参考文献: