欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

学びと気付き 得意と表現

流石にこちらも梅雨が明けたか。昨日の夜は肌寒くもなく、明けた今朝はすっきりと晴れている。冷房のない貸家は少し暑さを感じた。でも、南と比べれば十度くらい差がある。今シーズン初めて祖母宅へ避暑に来た。

一昨日の計測ではまた微減。それは大台ぎりぎりまで落ちてしまった。前々回の通院の前よりもだ。その危機感は少し感じた。

その前の夕食で無理はなかったけれど、翌朝の食欲が全くなかった。取りあえず摂るのも厳しい感じで、水分だけにしようかと思ったくらい。それでいつもより摂れず、曇りだったけれど歩きに出られなかった。

昼食と夕食では不快感がなくなったけれど、どうにも腰回りの肉が削げている。ころっと数字が良くなったりもするけれど、そうならないのは摂取が落ちているからか。

認知が歪んでいるだけで、きっとそうなっているだろう。 衰弱ほどではないけれど、もちろん力が満ちている訳でもない。

 

ふと去年の夏も同じように記していたと思い出した。またすぐに上向くのだろうか。未だに快く摂取するこつが掴めない。無理をしてしまうのがネックでも、空きっ腹の時に食欲が湧かなかったりする。

生活習慣に問題があるだろうけれど、もっと軽く美味しく頂きたい。それが出来ればきちんと肥えるはず。ただそれだけの話だ。

『腸と脳』を読み終える。こちらも引き続き、こつこつ読み進めるだけで読破できた。学びが尽きることはないけれど、いつか大体は収集できるだろう。意外と学びの種が尽きるかもしれないし、読みたい書籍は焦らずまとめておこう。

書籍では様々な学びがあったけれど、それをまとめるのが大変だった。直接の捉え直しには至らないものが多く、気付きなどの主の部分がないと要約は出来ない。感想もあまり持てず、流し読みをしてしまう感じだった。

そうならないものは仕方ないか。学びは逐一落としていきたいけれど、なかなか難しい。ただ認知をまとめるのではなく、それに何を思ったか、独自の源泉から言葉を生まないといけない。その主ために従としての内容がある。

今はとにかく自活をしたい。そのための行動には意欲があるけれど、そのように人生を費やしたい訳ではない。ただ、かといって他に意欲や情熱がある訳でもない。

好きなことや意欲あることに費やし、人間のレベルを上げる。あるいは、獲得した強みと生来の得意を組み合わせる。その二つの戦略があるか。

鬱屈した感情やフラストレーションはなくなり、それを記したい意欲は減った。そして粗方の不調は解明でき、学びのペースも落ちている。仮に学びを強みにしようと思っても、それをまとめたりする意欲がない。だから何も始まらない。

 

自分の文章のスタイルが分からなくなっている。いや、記したい意欲がなくなっているのだから、もうどうしようもないのか。

今までの更新にどんな面白さ・価値があるか考えたけれど、中途半端で曖昧だ。感情表現か、情報か、コラムか、何なのだろう。ましてや意欲がないのだから、工夫のしようがない。

自分のためのメモなのか、誰かのためのキュレーションなのか。フラストレーションと苦痛を記し、学びを落としていく。それはコラムや書籍になるのか、何か誰かの物を売れるのか?

仮に意欲があるのなら、それに従って表現していけば良い。そこから価値の工夫に繋げられる。でも、それがないから難しい。

 

自分をレベルアップさせ、人助けをする。そのために興味のあることを学び、得意を作る。好きなことで生きている人は皆そうか。何かを表現するのが好きで、それを洗練させるための学びを欠かさない。それがいつかレベルアップに繋がる。遊び感覚でスコアを弾けたら良い。

感動か、情報か、見識か。感情を表す作家か、問題を解決させるセールスマンか、それとも博識な教養人か。

気楽に学びを落とし、それをまとめるのが一番楽そうだ。学びの深さと思考力。そして抱えている問題を解決すること。その発言力を高めていくか。

 

とにかく個人の価値を高めること。そうしないと頼みの柱が倒れたら自活できない。作品を生むか学びをまとめる。芸術か知性。

それを広く公開しておかないと、いざという時に現実の人間にしか助けを求められない。発言力があれば、有益な繋がりを得られるかもしれない。そのための人格を用意すること。

 

また明日。

 

参考文献