欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

摂取の鉄則 満腹の内部信号

7月28日(木)

今日も目覚めた時間は早かった。目覚めは悪いものの、ほぼ歯ぎしりの違和感もない。やはり適当なストレッチに効果があるのではないか。

ただ、母いわく、夜中に自分が大声で叫んでいたそう。それで隣家の飼い犬が鳴いていたという。ほぼ夢も見ていないというのに、何だというのか。

 

昼食後の収まりは微妙な感じか。食欲が薄かったものの、無理をしてはいない。ただ、その食欲が落ちたのは、朝食でこれまたバナナが大きかったから。それがたったの一口で影響してしまう。胃の状態が落ちればどうしようもない。とにかく食欲だ。

久し振りに味噌汁をお椀に盛ってみたところ、一杯分を収めることが出来なかった。こうしてみると客観的に認識できる。普通の七割ほどの摂取量だろうか。調子が悪い時なら、一膳と少量のおかずを収めるのできつくなる。その手前で雲行きがおかしくなってくる。とにかく一汁三菜はしっかり摂りたい。それを快く収められたら力は満ちる。

 

今日の計測では急減。昼食は不振だったものの、その後の収まりがそれなりで、間食を摂りたくなる。またその後の収まりは悪かったものの、夕方にまでは空腹になる。

夕食前の漢方を飲むと、それなりの調子にはなっていた。それで量も最良に近く摂れたけれど、腹があまり膨らまなかった。そして計測でかなり減っていた。

 

もう気楽に摂らせてくれ。朝食では些細な摂取が尾を引き、昼食と夕食に連鎖してしまう。体力は落ちていないものの、この身体は耐えられない。四肢が異様に細すぎる。今は願望にないけれど、普通に物を摂れるのなら、パートナーと出掛けたくもあるだろう。人生の全てが制限されている。このままだと一生このままだ。

とにかく社会交流が必要なのか。それは近所でないと無理だ。通い慣れたであろう病院もまだ緊張する。国に養ってもらいつつ、何とか移動して自立するかだ。自活が叶ったとしても、人と出会う場には出られない。身体に負荷が掛かるし、会いたい人に出会えるのか。

念のため付け加えると、人間と関わることを望んでいない訳ではない。自分の事は自分で説明する。そして既存のラベルに頼らないためには、自活をするしかない。どうしようもない不自由があるだけだ。それは今までで記してきた。環境次第では何とでもなる。買い物も会計も出来るし、相応しい人と出会えないだけ。これはいつか証明してやりたい。

 

今日は色々と読書をしたけれど、思考は生まれなかった。知識の種はあるだろうけれど、それを経験と絡めたり、まとまったコンテンツにする作業をしたくない。もう本当にそうだ。伝えたい意欲が全くない。自活の意欲があるだけで、とりあえず言語化の習慣をつけようとしているだけ。

もう限界なのか。『NATURE FIX』の学びも記せず、著作権についてもそう、脳腸障害の勉強と考察もしていない。真に意欲的に学べるものがあれば、自ずとそれを伝えたくなったり、まとめようとメモしたくなる。

コンテンツの更新はフローですれば良いから、アウトプットやその頻度を意識しなくても良い。だから朝から何の努力もしなくて良い。努力がきつくなるのは向いていないから。もっと簡単に続けられるものを見つければ良い。そうすれば自然に伝えたいことが湧くかもしれない。

7月29日(金)

昨日はよく考えると一汁一菜を食べていた。食前の調子が微妙でそれだった。食後はそれなりの収まりがしたのに、入浴後にヤクルトを飲むと僅かに気分が悪くなった。その時に既に翌朝の調子が思いやられ、何か物を摂れそうな気がしなかった。

今朝の胃にむかつきは少なかったものの、食前の漢方を飲むと胃酸が上がった。これといった不快感はないものの、どこか胃が受け付けてくれない。小さいバナナ一本も摂れなかった。

もう本当に堪らない。昨日の朝に一口余分を摂ってしまっただけだ。それが全ての尾を引いている。おまけに夕べは体重ががた落ち。今日はどうなるという。

せめて飲み物で収めれば良かったけれど、その判断は出来なかった。一晩で何とかなってくれよ。本当にやってられない。糞ったれだ。いや、糞も出てこない。

 

夕食はぎりぎり最低限の量を収められる。朝食では無理がなかったものの、その後に中サイズの乳酸菌飲料を飲んでしまい、また調子にブレーキが掛けてしまった。二口くらいなら良かったけれど、三口目が余計だった。ヤクルトなら問題なかったはず。それで昼食も負債ありで迎えてしまう。

昼食はいつもの半分ほどだった。ゆっくりとぎりぎりまで摂る。その後にアイスを摂りたくなり、どうしても収めたくなったものの、何とか堪えた。微妙に不快感があったためで、何とかスポーツドリンクで収める。ぎりぎりで理知的に制御できた。

その結果、夕方には胃が完全にフラットになっていた。それでいつもの八割くらいを摂れる。いつもなら腹が膨らんでいたはず。今もヤクルトを飲みたいものの、昨日の反省を活かしてスポドリにした。まだ少し不快感がある。

 

満腹の内部信号を受け取れなくなっていた。夕べと今朝にそれがあり、久し振りに調子が傾いた。食欲を感じられないのはまだ良い。ただ、きついのに胃に放り込んでしまえば、本格的に不調にはまる。長期で足を取られるのが一番のダメージ。

ただ、裏を返せばそれまで長く感じ取れていたか。摂取の大原則はすぐ見失う。それに無理がたたるとかなり傾く。かつてはそれを鎮める手立てがなかった。でも、今ならすぐに死ぬことはないと耐えられる。

それでも、とにかく痩せたくないと思ってしまう。前回の診察でも、ドクターは「大台を割ると筋力が減って体力も落ちますからね」と言っていた。それが気になったのもある。

 

町の広報で小・中学校の給食を見る。個人的な感覚として、最も快く摂れそうな量だった。規定量はそれくらいにすれば良いか。一膳が多いのかもしれない。一膳を軽くし、おかずと味噌汁をもっと摂る。それでちょうど良いのではないか。そこに余裕を持たせ、間食をしっかり摂る。

量ではなく、引き延ばして欠かさないこと。それで体力が落ちなければ良い。余裕が生まれてもっと摂りたくなるなら良い。ただ、調子が落ち着くと好調コンプレックスが湧いてしまう。それがネックだった。

7月30日(土)

今朝の調子は良かった。ただ、小さいバナナ一本でぎりぎりだったか。まだ本調子ではないだろう。体重が戻るには数日かかる。昼食でも食欲を見極め、程よく満腹になりたい。一膳はもっとコンパクトでも良いか。とにかく美味しく食事をするのを心がけたい。

計測では微増していて良かった。昼食後にアイスを摂ろうか迷ったものの、「迷うのならば駄目だ」と思い止まる。摂取の鉄則にも「一口をはやらない」とあったのだった。

それで夕方をフラットに迎えられたものの、今度は夕食で一口のそれがあった。それでほんの少し気分が悪くなったか。ただ、負債がたたる程ではない。

 

今日も特に思考がなく、言語化もなかった。『NATURE FIX』での認知もフィードバックにならないし、ただ読書をするのみだ。他は音楽と動画。これではつまらない。

午前は何か面白いことに費やしたい意欲が強かった。でも、本と画面の中にはそんなものがない。そんな調子であるし、やりたいこともなく、理想の日常も浮かばない。

やりたいことがある人は、生まれつき天から意欲を与えられているはず。それは恵まれていて、後天的にそれを見つけた人は、環境による利点があった。

生きる意欲はあるけれど、解決したい問題や趣味がない。弱みを強みにする努力をしているものの、その強みを誰かに伝えたくはならない。言語と思考は好きでも、完成した何かを伝えたくない。エッセイストやコラムニストでもなく、アフィリエイターにもなれない。

 

ただ、一からブログを作り直すのは面白そう。零から情報・セルフフィードバックメディアを作る。カテゴリーは思い付いていて、エッセイ・コラム、セルフフィードバック、書評、考察などが良いと思う。その大枠の中に「不定愁訴」や「ラベル」の小分けを作れたら良い。

上述の種類をごちゃ混ぜにするのではなく、誰かのための情報をまとめる。その種は今までの格納した記事が生む。それでアフィリエイト、有料コラム、選書、音声などのコンテンツを作るのが面白そう。 いや、商売するならそうやってコンテンツを作るしかない。

 

参考文献