欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

摂取の苦闘 豊かな日々

8月3日(水)

今朝の胃と歯の調子は良い。歯ぎしりは「イー、アー」と口回りの筋肉を伸ばすのが良いかも。それはほうれい線の対策でやるようなもの。ただ、張り切って力むと顎を脱臼しそう。肩も強く回してしまうし、その辺りは気を付けたい。

胃の調子はそれなり。夕べは少し食べすぎたものの、それをしっかり感じてスポーツドリンクで収めた。その良い結果があったはず。ほぼフラットで不快感は少ない。バナナがまた大きかったものの、腹に溜まったの感じてすぐ抑えた。その癖がつけば良い。

ただ、それでは普通の摂取にならない。健康ならそこからもっと摂れる。そのように摂らないと十分な活動はできない。次の食事までにがす切れを起こしてしまう。健康な人の胃は、食べ進めると腹の上部が膨れてくる。それで胃が膨らみ、気持ちよく普通に食べられる。それがないと一定の体重・体力まで落ち込んでしまう。

ドクターから教わったので言えば、胃は筋肉であり、それは袋のようなもの。風船を膨らませてみれば、最初はゴムが固くて伸びないものの、一定の空気を入れるとどんどん伸びていく。その原理と似たようなものがあるそう。

ただ、不定愁訴があるとそうはいかない。きつさがある時になるべく摂ろうとすると、その症状が悪化してしまう。だから正常な食欲がないといけない。その前提が狂っているのがネックだ。そこさえ回復してくれたら何とでもなる。

 

昼食ではぎりぎり満腹になったか。食欲がそれなりにあり、早期膨満がほぼなかったものの、また一膳を以前のように盛ってしまう。「これくらいは摂りたい」という気持ちがあったかなかったか。

そしてするすると食べられたため、なるべくよく摂ってしまった。食後の収まりは運が味方せず。落胆しつつ、気を取り直して安定のスポドリで収める。

 

今日の計測では昨日と変わりなし。大台から少し余裕があるものの、腰回りはえぐれていた。大台からプラス一kg増に達したいものの、なかなかそこに届かない。そうならないとかなり脆弱だし、体力も問題がある。

でも、夕食ではそれなりに食欲があった。一膳を摂ってもまだ余裕がある。昼食では満腹になったものの、その後の収め方で軌道補正できた。これは大きい。食前にしっかり内部信号を感受し、程よい満腹で箸を止め、無理をしてしまったらすぐ負債を払う。これを遂行できればかなり落ち着くはず。理想はそうだ。

 

たしか先月の診察で、ドクターから「摂取が上手くいく時のパターンも分かりますよね?」と確認されたはず。それには首肯できて、おおよその顛末は把握している。以前に比べたら格段にケアできているだろう。

後はコンプレックスが湧かなければ良いけれど、それが出来ていない。どうしても肥えたいし、今の日々を受け入れられない。それを何とかして乗り越えるには、身体に無理をさせる他ない。過去にそう学んでしまったし、今もそれ以外の解決策がない。

それでいて、豊かな日々が何なのか分からなくなった。パートナーはほしいけれど、単純にスキンシップさえ出来たら良いだけ。その渇望しかないだろう。それと年相応の思い出を作りたい。それ以外だと仕事、自然、音楽くらいだ。普通に自立し、生きている実感を得たい。衣食住の営みを出来れば良いだけだ。

 

今日も読書からアイディアが湧かなかったものの、少し著作権について調べた。これまでに色々とブックマークしている。知りたいのは引用と要約のマナーで、それをはっきり学べるページ・教材は見つけていない。

それでも大まかなルールはあるよう。転載ほどのことをせず、常識の範囲内で著作者へ配慮すること。そして大まかなルールは、Wikipediaの引用の項から把握する。それで良いと思う。その信憑性は少し疑念があるものの、記されていることはまともなはず。だからきちんとした引用・要約をして新たに創作しよう。引き続き学んでいきたい。

8月4日(木)

今朝の胃には負債があった。昨日の夕食は程よく収めたはずなのに、実は満腹に近くなっていた。腹が空いていたのに満腹の限度が低いのは何なのか。それが直近で発生している気がする。隠れ限度すら見極めないといけないのか?腹が空いてもっと食べたいと感じているのに。

状態の見誤りがあり、入浴後にヤクルトを飲んで負債を抱える。明らかに気持ち悪く腹に溜まり、げっぷが出ない。横になると胃がきつかった。寝るまでに楽になったと感じたものの、明けて食前の漢方を飲むと雲行きが怪しい。

まだバナナも大きいし、その一本すら収められない。ヨーグルトを食べるのもぎりぎりだ。せっかくフリットに戻ったというのに、あらゆる展開から負債を抱えてしまう。規定量、はやる一口、水分、負債なき食欲不振。

不定愁訴がない日が珍しい。いや、そんな日はほとんどないか。単純に美味しく頂けない。一人前も収められないのだから、体力に影響してくる。仕事が出来るまで満ちなくても良いけれど、買い物くらいは自転車で行きたい。現時点でも乗り物で移動は出来るものの、もっと余裕が必要だ。

 

今日の計測では減少してしまった。夕食でも腹が空かず、今日は三食の全てで不快感があった。体力は落ちていないはずでも、腰回りの変化は確かだった。

昼食でのきつさは夕方に収まったものの、そこで一口の水を摂ったのが響いた。またこんな調子でどうしようもない。昨日のふとした判断でこうも狂った。以前ならそこまで影響しなかったはず。

 

大台を維持するので手一杯。そこに達するだけではどうにも危うい。少なくとももう一キログラムの余裕はほしい。それは普通の摂取が出来れば自然に達する。でも、それが最も遠い。ただ健全に腹が空けば良いというのに、それが出来ないと何も始まらない。

好調コンプレックスもあれど、やはり不調コンプレックスの方が強いか?体重を保ちたい情動が強くある。それはいかんとも制御しがたい。でも、少し調子が上向けば、今度はそれを維持しようと躍起になる。豊かに生きたいという気持ちの詳細は何か。最低限度の死にたくない生活か、それとも恋愛を出来るような生活か。

 

今日も思考はなし。ブログの種として考えれば、やりたいこと探しは有益なのか。そのために自己啓発系の書籍を読めば、何らかの気付と思考が生まれる。そうしている方が記すことは生まれる。その遠回りがあれば何かが伴うかもしれない。

嗚呼、とにかく金があれば良い。本と音楽を買えないのが嫌だ。それがなかったら本当に空虚。何で年金は貰えなかったのか。ただ、今月は誕生日があり、お祝いで手持ちのお金が生まれた。そしてポイント還元の手続きもしたため、多少のまとまった額がある。それなりの欲しいものを買えるだろう。それでどう使っていこうか考えている。でも、全ての欲しいものを挙げてみれば、額が足りなくなってしまう。

 

仕事とは何だろう。稼ぐとは何だろう。それは青臭い思考かもしれないけれど、大体の人はそれに生涯を左右される。であればまとまった観念を構築しておくのが良い。でも、そんなことを考えられるだけ幸福か。

世の中を様々に見渡すと、頑張らないといけない苦役のようなものにも見えるし、遊びの延長にあるようにも見える。それが得意な人もいれば、苦手な人もいる。人によって向いているものがあれば、向いていないものもある。

向いている仕事を誰かに啓示してほしいものの、それでは実力が伴わないのか。いや、そもそも仕事なんてものは人間に組み込まれていないはず。ただ狩猟と採集、雑事と集団生活をするのみ。そこに「高度な社会生活での仕事をする」という生き物の仕組みはない。現代で稼ぐことが出来る人とは、たまたま意欲が文化と融合したに過ぎないのでは?

学問のすすめ』にあるように、尊ばれる仕事をこなせるよう、実践的な学びをするしかないのか。意欲や志を重視しなくとも、それだけで稼ぎは大きくなる。他は肉体を用いるもの、誰でも出来るもの、それか意欲や満足感に付随するものか。このどれに向いているかが大きい。そのどれかに向いている人がそれぞれの観念を表している。稼ぎは役に立つ人助けか、意欲的な社会貢献か、創作や自己満足なのか。

自分はそれらのひとつも当てはまらない。もう困った。稼ぎたいと言うにも関わらず、実践的なものは学びたくない。かといって、学びを創作に繋げられない。解決したい問題もないし、遊びにも熱心でない。もうどうしようもない。

でも、自己啓発系の勉強をすれば、それが産出に繋がるのでは?やりたいこと探しでもがいていれば、その過程で何かが伴うのでは?いや、そのための原資がないのだ。その話だった。それでも、知識を得るために活字を読むのは簡単。それは延々と続けてきた。それと暗中模索のもがきに必然性があれば良い。何か向いているものはないのか?何でも良いから教えてくれ。

今朝の胃はほぼフラットだったはず。夕べは入浴後のヤクルトを控えようかと思ったものの、意外と食後の収まりが良かった。そこで朝食までの腹塩梅が浮かぶ。丁寧に内部信号を感じ取り、ためらわず飲むことにした。

それで負債はなかった。バナナはかなり小さめの物を買ってもらい、かなり余裕をもって朝食を収める。摂取量は心配になったものの、胃の持久力はまた落ちたところだ。まずはそれで良い。

食後は身体の軽さを感じた。前日とはかなり違い、前日の自分に同情したくなる。何故そんなに辛い選択してしまうのか。正負のコンプレックスも強いし、家族の目に対するコンプレックスもある。

一人暮らしをしたらどうなるのだろう。病気などでのリスクはあれど、ストレスが減るのではないか。いや、完全な個室があれば良いか。それと隣近所の居ない家に住みたい。

 

昼食の摂取は上手くいったのか否か。悪くはなかったけれど、かといって良くもない。食前の腹は不快でなかったものの、漢方を飲むと微妙になる。こういう時は何があるのか。水を飲みすぎるといけないのか?あるいは朝食が隠れ満腹だったのか。その食前の状態を感じてはいたものの、気分的に食欲はあって勢い良く食べてしまった。

間食は摂れそうになく、スポーツドリンクで収めた方が無難だった。その感覚がどこかであるというのは、その前の摂取が自然でなかったという事。

嗚呼、一食がかなり小振りだし、それでいて間食を摂れていない。長く不定愁訴に悩まされているとて、爽快な調子だった時もある。並みの一食分を収められたり、すぐに腹が減ったりもしていた。でも、その詳細を思い出せない。何か生活習慣に違いがあるのか?深く悩まなくても良い?

どうせ月が変わり、年も変われば薄れていくのか?悪い事もよい事も。今もそう考えてみれば、去年とはかなり違う苦しみがある。去年はまだマズローを学んでいたか。それは別人に近いものがあるかもしれない。となると来年はどうなる?何も執着しなくて良いのか?嗚呼、分からない。

 

計測では急増していた。やはり夕食を快く摂れると良い。夕方の腹は絞られ締まった感じがしたものの、摂取の良さで一気に腹が膨らんだ。

これが理想ではあるだろう。ただ、これは普通の摂取をしたにすぎない。これが平常でないと始まらない。それでも収穫を考えるとすれば、間食をはやらなかったことが良かった。冷静に食後の内部感覚を感じること。そして無理をしないこと。摂取の規定量を定めなくても、それに専心すれば結果は上向く。その癖をつけていきたい。

 

珍しく最高気温が夏日にならなかった今日。午前に歩こうかと思ったものの、力はそこまで満ちていなかった。午後も風に当たろうかと思ったものの、祖母の目が嫌でだった。外にすら出られない事情があるのです。

ひたすら活字を読んでいて、途中から頭が痛くなりだした。頭を使うのは数時間までか。太古の狩りの時間がそれくらいだったそう。つまり集中力はそれしか備わっていない。娯楽で頭を使うならば、疲れるのは体勢によるものくらいだろう。ただ、根を詰めて頭を使うバアイ、数時間で済ませないと身体に差し障る。仕事は半日まで。それ以降は遊びやリフレッシュだ。その余裕がないと創造は生まれない。

 

直近である方のノート術の書籍を読んでいる。読み進めると分量を多く感じ、あまり刺さらない部分が続いたものの、途中から面白く感じてきた。

そのノート術とは、意見を持つためのものだった。今日になってアウトプットの章に到達し、ようやく学びたい知識に当たった。かなり斬新な切り口もあり、習慣化したら面白くなりそう。

やはり興味があるものを学ぶのが良い。それはどこかで繋がるし、興味が湧くものからは何らかを得られる。それが体系化すると教養や見識に確立される。すると面白い表現を生めるようになる。それは上述のノート術に近いものがある。今の自分に最も適したものかもしれない。

 

参考文献