欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

8月6日~9日 変わらぬ調子

8月6日(土)

今朝の諸々の調子は悪くなかった。直近で記していなかったけれど、歯ぎしりもほぼない。目覚めて感じる違和感はなし。口回りの筋肉を伸ばすのに効果がありそう。ただ、強くやると顎が外れそうだ。

朝食はまたかなり小さめのバナナ。流石に少ないと感じるものの、それとヨーグルトを収めたら満腹に近くなる。それでちょうど良いと思いつつ、少なすぎるとも思う。

今日の午前は力が満ちず、涼しかったけれど歩かなかった。乗り物で移動はできるだろうけれど、あまり良い状態ではないか。一食を増やすのは微妙でも、ヤクルトは飲んで良かったか。昼までの空腹感が長すぎた。

 

昼食ではまた理知が飛んでしまう。食欲がある時の罠で、勢いで満腹になってしまう。なるべく摂りたい気持ちは抑えられない。胃の弱さが恨めしいものの、規定量を押し付けた自分も悪い。

せっかくのフラットな状態にも関わらず、また気が付けば満腹になってしまう。これは病的なのだけれど、胃の弱さが気になった。以前ならスポドリで収められたような量でも、今ではかなり応えている。朝食の量も少なくなっているし、調子は落ちているか。

 

生活習慣が悪いのか、摂るものが悪いのか。胃の弱さもあれど、胃が弱い内は理知で補わないといけない。直近で痛みを味わったにも関わらず、いつまでも同じことを繰り返す。

もっと懲りないといけないのか?それが足りていなかった?何が原因なのだろう。その勉強を怠っているものの、やはりセロトニン?腹側迷走神経の機能不全?嗚呼、胃に力をつけるには時間がかかる。

 

計測では微減といったところか。いや、減らさないようにトイレを我慢していた。それが大きいだろう。そんなことで帳尻を合わせたくもなる。「それが存続に関わるのだ」と錯覚するのは誰も責められない。責めてくるなら正当防衛だ。まず自分が自分を守り続けること。自分で自分に何も言わないこと。

昼食での負債はあまりたたらなかったか。昼は不快感ずっとはあったものの、夕食前には空腹になっていた。漢方を飲んで爽快にならなかったものの、早期膨満なく摂ることが出来る。

何故かのそんな幸運がある。そんな時が常に来れば良いものの、昼食が収まったのがそれか。たしかに過度な無理ではなく、腹九部くらいに収めたつもりだった。それが今の胃の強さでは収められなかったものの、そこまで負債はたたらない程度だったか。

 

夕食中に奥歯が痛いような感じがしたものの、よく感じると顎の関節の辺りが痛んだ。それも動かすとそうなるから確定だろう。自覚はあるのだけれど、あの前日のストレッチが今たたるものか?

あるいは歯が痛んでいるのか。それなら好都合であれど、日中に顎へ負担をかけた自覚はない。今晩はストレッチ出来ないだろう。原因は何なのか分からない。歯医者なら治療したくあっても、整形外科に通うのは利点がない。安静治療しかないはずだから、激しく動かさないでおこう。

8月7日(日)

最近に引き続き、今朝の目覚めも良くなかったものの、心配した顎は治っていた。ややダメージがあるかと思っていたけれど、一晩で良くなったか。

ただ、気を抜いてあくびをした時に違和感を感じた。気を付けておこう。でも、口回りのストレッチをせずとも歯ぎしりはなかった。方や首の筋肉を伸ばしておけば良いか。

夕べも入浴後はスポドリで収め、胃に負債はなかったはず。また小さいバナナで収めたところ。皮が付いていてその感じだから、めくるとかなり小振りだ。流石にほんの少し大きいものを選ぼう。

 

昼食は最良量を摂れたものの、食欲が微妙で早期膨満もあった。無理な満腹によるきつさではなかったものの、早期膨満による胃の固さがあった。間食は控えたものの、スポドリで十分に収められる。まだ胃に持久力はないだろうし、夕食を上手く収められたら体重は増える。

久し振りに味噌汁をきちんとお椀に盛り、いつも摂っている量を確認した。少な目の一杯分は摂れていたはず。それと少な目のおかず、これまた小振りに盛った一膳。病的な摂取量ではないはずでも、普通の量には達していないか。不定愁訴があってそれだから、摂るべき量はもっとあるだろう。ただの少食でももっと摂らないといけない。

 

今日の計測では減少だったか。夕食はよく摂れ、腹もそれなりに膨らんだものの、予想を裏切られてしまう。でも、腰をくびれさせるとえぐれていた。肉が減っていた所見だ。

今日の摂取は悪くなかったはずでも、間食を何も摂れていない。それが影響してしまっているのか。最近の調子が反映されていそうで怖い。最近だとそうなってしまった。まだ回復途中だとしても、何とも堪らない。最低限の摂取を超えていけない。

 

今日も散歩へ出ることはなかった。歩きたくなる瞬間もあったものの、それは午後のみで祖母に阻まれる。午前も天気は悪くなかったものの、ミニバナナではどうにも力が満ちない。体力が満ちないから外へ出られないのか、外へ出ていないから体力が満ちないのか。

 

今日の思考。特に伝えたいことがある訳ではないけれど、ブログやコラムをまとめるのは面白そう。その意欲はあるかもしれない。noteのあるクリエイターや、著名な方のブログを見て思った。

単純に書きたいことを記すより、自分の知識や見識をまとめ、誰かを唸らせる。経験と知識を記して架空人格を構築し、誰かに感謝される。切れのある言語化はしてみたい。

記事単体に有益な情報・見識があるコラム系か、その人の文章が読みたいと思って読まれるエッセイか。自分はどちらに適しているだろう。「単純にどちらを選びたいか」と自問すると、そもそもその意欲がないという本末転倒。

ただ、思考と学びは常にしていること。それをまとめて格納するのは面白そう。このブログはフローメディアになっているはず。それも良いけれど、もっと完結した思考のパッケージを記したい。フローのソーシャルメディアでフックをかけ、ストックで全体の知見にアクセスしてもらう。アフィリエイト以外ならそのクリエイトがあるか。

でも、その経験や知識、知見がないと始まらない。ただ、それらは獲得可能でもあるはずで、それが一定の量に達すれば、思考がパッケージになると思う。そうなるとストックコンテンツを作れそう。それとプラットフォームも上手く駆使し、誰かを喜ばせる。それが上手く回転すれば面白そう。

インプットとアウトプットの連続。それを遊びの延長で出来たら良い。コンテンツクリエイターは枯れない意欲の源泉があり、とにかく伝えたいことがある。すると簡単に表現も出来るだろう。それに向いていない気もするけれど、それくらいしかないはず。興味があるなら何とかなると信じたい。

8月8日(月)

今朝は何だか身体が疲れていた。痛いような何なのか、とにかく嫌な感じがした。寝すぎたのか、それとも睡眠が悪かったのか。

おまけに胃も不快できつかった。でも、ぎりぎり内部信号は感じ取れていて、少し増やした規定量にこだわらなかった。絶妙なところで抑えられたはず。負債も抱えていないだろう。ヤクルトは飲めなさそうでも、スポドリで良い。

 

午前に散歩へ出たけれど、思ったりより消耗したか。朝食も万全でなく、力も満ちていなかったけれど、思ったより余裕がない。それを体感させられた。

これを毎日続ければ上向いてくるのか?調子が良い時というのは、通院の日の午後に歩いたりした。それくらい力が満ちていたのだろう。ドクターいわく「大台を切ると筋力が低下する」との事だった。単純に糖分不足といった感じでも、たんぱく質も同じく摂れなくなるか。

 

今日の計測では変わりなし。夕食で腹は膨らんだものの、また増えていなかった。腰回りはまだえぐれていた。客観的に摂取量を見たら当然なのだろう。不快感がない時の方が少ない。体重は真の実情を表す。夕食で早期膨満はなかったものの、まだ胃がフラットに戻った程度か。

昼食では多少の早期膨満があったものの、間食の時間に空腹になる。そこでどうするか迷ったものの、「ある程度は負荷をかけても良いだろう」と間食に踏み切る。それに負債はなかったものの、夕方は腹が減っていなかった。ただ、漢方を飲むと不快感が薄れた。

摂食の不良はあれど、たまたま運良く収められることが増えてほしい。何が原因で不定愁訴が出るか分からない。

 

またある方の発信を見ていた。その方は一日に二、三冊の本を読むそう。その読み方は分からなかったものの、自分と比べるとかなり矮小に思える。

学びにかなり励んでいたつもりでも、それは大したものでないのか。ましてや不定愁訴の考察もしていないのだし、もう何のために習慣に費やしているのか。もっと気楽に生きてみたい。

 

ふと考えた思考。現代でお金を稼げる人は、原始時代に生きれば役立たずだったのでは?人間に高度な文明・文化の社会で分業する性質なんてないはず。あるのは哺乳類として相手を喜ばせたいと思う性質のみ。この世界で高度な知的労働が出来たとしても、それは文化に求められているに過ぎない。文化が違えばその価値は失われる。だから人間の価値だなんて不明瞭。

何の背景による発言あるかと言えば、「お金を稼げる人は偉いのか?幸運に恵まれているだけではないのか?」ということ。その人たちの納税に支えられているのはあれど、自活できないのは自己責任なのか?「働けない」と認められた人に対し、最低限の扶助を与えても良いのではないか?長生きするようになれば、いつかは誰もが自活できなくなる。病気で働けない人だっている。公的扶助の間口を柔軟にしても良いのではないか?

8月9日(火)

今朝の体調は良かった。珍しく目覚めも良く、歯ぎしりもほぼなし。歯ぎしりは控えめなストレッチでも良いのか。胃も最近でもっとも良い状態だったか。

朝食での一口ぶん大きなバナナは、今日の調子でぎりぎり収められた。少しむかつきはあったものの、最良の調子に近い収まりがある。昼までに空腹になり、早く腹が空いた。

 

昼食ではぎりぎり満腹になったものの、その後の収まりが良かった。間食を摂れるまでではないけれど、夕方には空腹になる。

定量によって満腹になってしまったものの、その後の影響は少ない。これは胃の力がついてきたからではないか?

 

でも、今日の計測では減少。また大台すれすれとなってしまう。間食は摂れなかったものの、三食を通じて上々だった感じはある。食欲も摂取量も上向きつつあるけれど、夕食で腹は膨らまなかった。

昼に間食を摂れなかったため、腹や脇腹の空白感が強くあった。余計のものが削ぎ落とされていて、断崖絶壁のよう。ただ、一日でころっと変わったりするし、深く考えないでいたい。

 

深く考えたところで、それでかえってコンプレックスが増すのみ。意識が介在できる部分は少ない。摂取の仕方には工夫の余地あれど、食欲が出ないのはどうしようもない。体重もそうで、増えないものは仕方ない。

常にそう捉えていたい。悩みなんて一年後には忘れているはず。何も煩わされず生きられたらどれほど良いか。食事に執着せず、習慣も気にせず、誰の目も気にしない。全てに朗らかで、不機嫌にならない。自分を守る生き方。

それだと独居しないといけなさそうでも、心掛けてはみたい。規定の量を気にせず、時計の針にも縛られず、家族の目なんて尊大に扱わない。そうすれば楽になりそうだ。でも、考えれば考えるほど、近しい人が邪魔なだけに思える。