欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

8月20日~22日 心身症と慢性疾患 一時の恥

8月20日(土)

今日の計測でも大台すれすれだった。ただ、測り方によっては増減したりする。少し肉が付いたような所見でも、腰をくびれさせるとえぐれたままだ。

確かに今日の摂取ではそうなるか。今朝の状態はそこまでで、朝食ではパンを規定量まで摂れたものの、その後の収まりが微妙。不快感はなかったものの、どうにも完全な空きっ腹でなかった。午前はげっぷが出ない感じがして、最良の経過とは違うのが分かる。

 

それで昼食は一膳を収めるのがぎりぎり。無理をしなくてもそれが限界で、その後はスポドリで収めるのが無難。昨日と全く同じだ。夕方には空腹になり、夕食は最良を摂れたものの、やはり腹の膨らみはいまいち。

どうにも栄養の吸収が気になってしまう。それは責任転嫁のようなものだけれど、壊滅的に食べられていない訳ではない。一膳を収められない時はあっても、その後には挽回している。全体的には本調子でないものの、そこまでではないか。もう五百グラムはあっても良い。それがこれまでだったと思う。

 

あばらの違和感はまだある。以前はそこまでなかったものか。あばらの斜め下辺り、脇腹の引き締まった感じが気持ち悪い。それは春頃に散歩へ出だした時も感じていた。それは確かな現実を示しているよう。

ただ、そこまで体力は落ちていない。何もしなくても辛くなれば大台を維持できない。そうはなっていないのは確固たるもの。車に揺られて出掛けは出来る。

ただ、歩いて買い物へ行けば消耗するだろう。その感じはある。元気ばりばりに活動はできない。家でじっとしているのなら平気。そうし続けているから落ち込んでいるのか?

 

明日が通院の前日で、それが最後の計測になる。そこまで気にしなくても良いけれど、大台は維持してほしい。ドクターに大台割りを伝えたくない。その時の反応は焼き付き、後にコンプレックスを刺激する。

 

余談として、今朝の新聞に「胃ガン手術後の食事」という内容の記事があった。そこで胃に負担をかけない摂り方として、「少量を少しずつゆっくり摂る」という記述を見つける。

それは負担を減らすものなのか。以前からそれどこか感じていて、大口で飲み込むときつさが強まったりした。その原因のようなものを認知でき、そこをケア出来ていないのだと分かった。

8月21日(日)

今朝の調子は少し悪めだった。まずいつもの時間に起きれない。そしてガスも溜まっている。そうなると大体調子が悪いもの。食前の漢方を飲むとわずかに胃酸が上がる。そして食欲と対極のむかつきがある。

朝食はぎりぎり規定量に届かず。食後は不快感がほぼなかったものの、またいつもの時間に空腹感にならなかった。以前はそれがきちんとあった。それはバナナ食の時でもそう。スポドリを飲む時に気持ち良く飲めない。ヨーグルトのげっぷが昼近くまで上がってきた。もう何なのか。

 

そして昼食まで微妙な感じが続き、昼食の量に影響してしまう。ここ何日間で全く同じ顛末。更に便通が来てしまい、腰回りは骨だけの感。Mサイズのズボンはぶかぶかで、なるべく気にしないようにしている。紐をきつく縛ったり、クッションで腹を押さえたり。

 

今日の計測ではほぼ大台割り。執拗に二回ずつ測り、二回で大台割り、もう二回で大台ぴったりだった。腰を触ると確かに肉はない。

流石に今日の摂取では肥えた感じがしない。それは理解できたところ。朝も微妙、昼は負債があり、間食はヤクルトのみ。夕食はよく摂れるのだけれど、それで到底カバー出来ない。でも、夕食の一口目を美味しさを感じた。それは久し振りだったと感じた。

体力が落ちた感じはないものの、明日の通院の行程はどうなるか。朝はゆっくり目覚めても余裕がある。というか、少し遅めに摂らないと昼まで持たない。目の前にある菓子パンの半分しか摂れない見込み。それなのにここ直近は胃残りがある現実。明日も溜まったらどうしよう。吐気が増幅される懸念がある。

 

『敏感すぎるあなたへ』を読んで思ったこと。心因性パニック発作が起こるのは、生存の危機を免れるため、身体が神経伝達物質を放出するから*1。では、慢性的なストレスによる慢性疾患はどうなのか?

自分の場合、一人でいることが生存の危機となっているのだろう。それで消化や吸収どころでないと判断され、それらが滞ってしまう。

不安やパニックを解消し、社会交流をしないといけいないのか?ネガティブな思考が頭の回路となってしまうなら、「社会交流しなくても生存可能だ」と頭を回路付けるのも可能ではないか?

脳による厳重な警告を無視すれば、脳は神経伝達物質を使って危機から遠ざける。これは確かなストレス反応なのか、架空の予期不安による心身症なのか。その辺りが釈然としない。胃潰瘍も効果の範囲内とあったものの、自分にも効果があるのか分からない*2

8月22日(月)

一難あった通院を終え、昼からは落ち着いている。朝の不調と不安は転機をもたらすのか。結果的に機能性ディスペプシアの治療薬、アコファイドを服用することになった。それが吉と出るか何にもならないか。

 

今朝の目覚めは良かったものの、夜中に色々な夢を見た。間近で踏切事故を見て絶叫したり、とにかく変な夢見心地がする。それは寝る前の状態が反映されていたと思う。夕べはよく摂れたのだけれど、腰骨の浮き彫りが際だって不安になった。

そして目覚めると久し振りに歯の違和感がある。胃の状態は悪くなかった感じでも、食前の漢方を飲むと悪化した。まず胃の状態が悪くて食が進まず、少しでも無理をすると吐気を催さないか不安がある。

それでいつもの半分も摂れない。ただでさえ少ないのにそれだ。ただ、かなり冷静に抑えたため、その後にすぐ収まりが来た。まだ出発までに余裕があったため、何口か摂ろうかと思ったものの、これまた不安が上回った。そこでも理知的に収められたのか否か。

 

食べたら気分が悪くなっていたか?ストレスがあればまた収まるとは限らず、その声を聴いたのは効果的だったかも知れない。『敏感すぎるあなたへ』で学んだセンテンスが浮かんでいた。

それでも、便通は来なかったし、栄養不良で腰もすかすか。何だか身体が気持ち悪いなか出発する。親には何も伝えなかったものの、態度や表情で暗に伝えようとしてしまった。それは本当に悪い癖だ。真っ向から共有するか、明るく気丈に振る舞えば良い。それが大人だけれど、未だにそのようには出来ない。

 

車中では何も発することなく到着。不幸中の幸いなのか、待合室には誰も居ない。前の順番の人がすぐ終わり、いきなり診察。

診察では不調のあれこれを伝える。食欲の不振、不定愁訴の頻度、散歩の有無。全ては覚えていないけれど、最終的に薬の布陣を変えようということになり、自分がアコファイドを提案する。

それは「潰瘍などがないか内視鏡の検査が必要」との事だったけれど、ドクターは「何年も慢性だから機能性でしょう」と判断される。それで思いの外するっと服用が決まった。同じ効用のガスモチンとの交換。振り返ると「訊くは一時の恥」といったところか。でも、訊かないでいた時がかなり長かった。

 

そこから会計をしてもう終了。病院へ到着してから三十分足らず。体力を懸念していたけれど、帰りの車中ではすんと楽になった。それで店に寄ってから帰る。

身体の気持ち悪さは不安が生んだのか?それは発作のようなもの?通院のストレスを回避するために神経伝達物質が分泌されたのか。吐気で高ぶっている時は不安のトレーニングが何も出来なかった。その余裕は全くない。

 

帰路の車中では胃が爽快でなかったものの、昼食は不快感なく摂れた。朝食が少なかったのはあれど、久し振りの感触だった。今日の大台割れは回避できなくとも、ブーストやアコファイドの効果を期待したい。

でも、不安があるということは、生活にストレスがあるということ。その生活を変えるのは避けられない。何とかして変えないことがあるため、脳のコアからは絶えずメッセージが出ている。それを受け取らない限り、ストレスが和らぐことはない。それに対処するための伝達物質も収まらない。

 

計測ではわずかに増加していた。昼と夕はよく摂れたものの、やはり腰回りの脂肪は付いていない。今朝に便通がなかったのもあるし、明日の計測からが本番だろう。

計測で脱衣室に向かう時、何でここまで張り詰めているのかと思った。体重なんて気にせず、ひたすら楽観的に生きていたい。人生の何事も深く思い詰めずに生きたい。でも、そうはならないのが顛末。これは定められたもの。

 

参考文献

*1:敏感すぎるあなたへ P13より

*2:敏感すぎるあなたへ P46