欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

9月2日~3日 復調の原点

9月2日(金)

今朝の目覚めは悪く、いつものように胃の状態も良くなかった。朝食は直近の摂り方を維持するも、その後の収まりが悪い。そして昼までに空腹にならず、昼食でも快く摂れない。

朝食ではアイスを食べたい感じがして、それで少ない量でも負担になったのだろう。それでいて一口をはやったため、間食もまた摂れない。どうしても摂取量を直視したくなく、もうストレスの理論など吹っ飛んでしまった。

 

それでいて、今日の計測でほんの少し増えた。一日の摂取は低調だったのものの、夕食はするすると摂れる。食欲が強かった訳ではないものの、間食でヤクルトを飲んだ後は空腹だった。

食前の漢方後もあまり爽快でなかったものの、早期膨満なく食べられる。それはゆっくりと食べたのが大きかったか?最初から大食をするつもりがなく、一膳も少なめに盛っていた。食欲もあっただろうけれど、少しずつゆっくり食べた体感はある。

 

色々と摂り方を認識してきたけれど、結局は体調によって吹っ飛んでしまう。「無理さえなければ」と捉え直したものの、食事を目にすれば全てが無効だ。

無理が完璧になくなれば体力は満ちるだろう。それで生存の確率を上げ、消化へエネルギーを使えるようにする。これでそれなりの体調になるはずだけれど、ここ何年もそうなってはいないか。やはり社会交流なのか?風邪の病み上がりのようには回復しない。

 

これから秋だから、少しずつ散歩へ出た方が良いか。そうしないと冬の間も体調が変わらない。もう歩くくらいしかストレスの低減方法が分からない。

原点に立ち戻れば、「身体は動けば動くほど楽になる」という言葉を信じて歩いたのが効いたのだった。一昨年と今年の春はそう調子を取り戻したはず。

 

ここからは余白。今は不定愁訴と自活のことしか考えていない。前者の解明と回復、それと後者の達成。

ただ、Amazonのリストには不定愁訴に関連するタイトルがない。『敏感すぎるあなたへ』かポリヴェーガル理論を復習すれば良いか。恐らくはストレス反応でしかないだろう。

自活はとにかく稼ぐ能力を身に付ければ良い。せめてまずその能力を身に付ける行動をしたい。

それとふと思ったのは、「天職を探すことが天職になったりしないか?」ということ。それを探すのが最も楽しいかもしれない。自分を仕事にする生き方。そのための知識は誰かも求めているはず。そのセンテンスや論理立てたものをまとめたら、それなりのコンテンツになるのでは?その発想が有りならば、インプットを高めるのは苦でない。後はそれをまとめるのが苦でないか否か。

9月3日(土)

今日の計測では壊滅状態。いよいよ本格的な体格になってしまう。直近までまだまだ脂肪があったのが分かる。

夕方に祖母宅でアクシデントがあり、ストレス反応状態で夕食を迎える。それでいつもより摂れない。そして計測で大台割り。四百グラムの減は痛すぎる。これから上向くしかないのに、全くすんなり変わっていかない。

朝食では調子が悪く、昼でよく食べられても満腹になり、偶然の出来事でかき回される。そろそろ何もしなくても辛くなりそう。それは明らかな胃の不調が続けばそうなる。すぐ回復はしそうでも、調子が調子だ。

 

また繰り返すけれど、もう体重のことなんて気にしたくない。それはコントロール出来ないもの。ひたすら無理を減らすしかないし、それで上向かないなら万事休す。

不定愁訴から直接の死があるわけでないし、もう執着を手放しても良い。どう推移するかはもう脳か神が決めること。自分は全く介入などしていない。全て偶然の流れ。必然であり偶然。意識がどう捉えるかのみ。

 

そして不運なことに、いよいよ疫禍が忍び寄ってきた。父親の職場で患者が発生。もう数日で発症を迎えるか否かのところ。それで命運が決まるだろう。何というタイミングなのか。

消耗すれば消耗する体力などない。衛生意識の低い人間には本当に腹が立つ。出来ることを完璧にしてから運で嘆け。対人距離!黙食!換気!人を笑うと人から笑われるぞ?責めを負われないことはない。それは普段の行いによるものだ。

 

賽は投げられた。不定愁訴で事切れるか、疫病でそうなるか。更新がなくなったらそういうこと。でも、誰も読んではいない。もう自分でも読み返さない。嗚呼、何なんだこれは。

ここから脳の土壌を肥えさせようというのに、ここで終わるのか。嗚呼、嗚呼、地獄を見て死にたくはない。地獄は死後になどない。残酷な生の最期にあるものだ。

 

今朝のメモ。「勉強するのが飽きてきた感」があるような、ないような。まだまだセルフフィードバックの知識は足りないものの、それなりには満ちてきてきた。後は不定愁訴を解明できれば良いだけ。それはほぼ解明しているけれど、改善が足りないところ。フィードバックと行動の結果が帰ってこない。

学びの刺激や楽しさが薄れた感じがした。それで「強く人助けをしたい」とか、「感謝されたい」という気持ちまではない。ただ、毎日欠かさず何万文字も読むのが飽きたか。

もっと別の刺激を求めたいところ。読むのはもっと遅く気楽で良い。あるいは再読を増やし、真の知識から論理や意見を生んだりする。それが良いと思う。