欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

思考の短文メモ コンテンツと意欲と自己実現

思考のメモ。

 

発信とはなんだろう。それは自己発信と言い換えれば良いか。大勢に自分のインプット(経験や知識)や内面情報を公開する。それに誰かが価値を感じてくれたら儲けもの。

それでいて、最初からその有益さを狙うのはどうだろう。意図して役に立つ情報を学び、それを得意にしていくのはある。とりあえず挑戦してみるのなら、言語化を習慣にして反応を見極めるのが良い。

そう考えると、ブログとは何なのだろう。ビジネス(人助け)でそれを記すなら、誰かの悩みを解決する情報を集めれば良いか。例えば何とか自分の悩みを解決してみる。そうやって代わりに勉強・行動・消費をし、似た悩みを持つ人へ情報を与える。集客とセールスをする仕事。

自分はそれに適わないと思っている。似た悩みを持つ人への表現ではあれ、自分がしているのは当事者研究。病状と認知、気付いたことや感じたことを記しているまでだ。それには何の価値があるだろう。あったとしても、コンテンツはどんなパッケージになる?それが定まっていないのがきつい。

 

考えられるのは書籍化だろうけれど、それが柱にはならないはず。それ以外だとアフィリエイトか、他に興味があるのは音声コンテンツ。前者は雑多なブログでも発生するかも知れない。あるいは割り切って選書をする。それをコラムやエッセイ、書評の形で表すのも良いか。

音声のコンテンツはよく聴いている。それは完成した思考(意見)を話すか、特別なファンへ向けた話をするかだろう。人へ思考を話したくあれば可能性に思える。

書籍化、ブログやコラムでのアフィリエイト・書籍の販促、音声配信。これらのコンテンツが想定に浮かぶ。それは知識を分かりやすく伝えるのが仕事か。

 

コラム・エッセイ系のコンテンツは、検索からの流入が見込めない。だから無料ソーシャルブログサービスでアクセスを伸ばすしかない。

エッセイならそこに読者がいる。コラム系なら、まずソーシャルメディアで自分の経験、意見、思考、知識を表現し、そこで当たったものをブログにまとめるのが良いか。

ソーシャルをして友達(顧客)と繋がり、魅力・価値のある表現をブログに格納していく。それでアクセスは集まり、タイトルを工夫すれば検索流入も見込めるはず。

そこから書評のアフィリエイト記事、気付き・行動・変化をまとめたコラム、選書サービス、有料の音声など、色々な方法で収益化できるはず。

 

お金を稼ぐためにコンテンツクリエイターになるのは厳しい。何かを伝えたい意欲がなければ、いつかコンテンツの産出が滞る。経験や知識、意見、芸術、娯楽、人格。これら何かの価値や魅力を形にする必要がある。いや、それを意識する必要はないか。ただ伝えたい意欲があれば何かしらあるはず。

発言を誰かに感謝されるインフルエンサーは、感謝されるために発言していないと思う。言語と思考が好きなはずで、常に学んだり考えている。だからそれを伝えたくなったり、まとめるためにメモをしたくなる。ただの言語化ではないから、それは誰かに感謝される中身を伴う。向かない人は向かない。

好きなことで稼ぐにしても、それでコンテンツビジネスをする場合、「好きなことを伝える」という作業が必須になる。コンテンツとは情報であり、「好きなことを分かりやすく伝える」という技術と意欲が必須。「○○が好き」というのは、「○○を伝えるのが好き」でないとコンテンツを作れない。

 

芸術は魂を表現すること。分かりやすく表現して伝える。でも、魂が震えることがないと何も始まらない。何らかの感動を味わい、それを内省し、それぞれの表現の技術を高める。そして同じ感動を想起させられた時、その作品に価値がつく。魂も一つの情報で、メディアに乗せてプレゼンする必要がある。

 

どんな人でも人助けは出来ると信じたい。でも、そのためには強さが必要か。弱みを乗り越えた強みや、人に何かを与えられるくらいの強さ。ただ誰かを笑顔にし、明るくしてあげるにも強さが必要。こう考えると、その強みを持てないから人助けできなくあるのか。

 

天職を見つけて自己実現するのは容易くない。ふと改めて思った。人生の前半にそれが見つかるなんてないだろう。だったら既存のシステムに組み込まれるしかない。能力も意欲も需要も、あらゆる要素が複雑すぎる。まずは既存の貨幣経済活動をし、それで得た原資と修練が噛み合わう時期を待つ。それが良いか。

ひたすらモチベーションがあって満足を得るためにいそしんでいるか、とにかく誰かを喜ばせるために励んでいるか、簡単に出来て喜んでもらえるものがあるか。これらどれかがないと天職は存在しないか。自分にはそれらのどれもない。

 

フィードバックの読書をし、収益を挙げるための仕事をして、余った時間に好きな読書をすれば良いか。前の二つが優先される。

でも、そこまでの余力は生まれる?それも発信のための勉強でもある。それに加えて表現もしないといけない。読書だけをしたいのだと思う。書きたくはあっても記したくない。

 

仮に生活に必要な収入が得られたとしても、知識を仕入れ、そこから思考したり、意見や内面情報を記すことは止めないか。そうなるのなら良い。

そうなれば、後はスタイルをどうするかということ。それすら解決できれば全て良くなるのではないか。学ぶ、考える、意見にする、表現する、記録する。

 

アートクリエイターやコンテンツクリエイターになるには、伝えたい意欲が必要で、かつ価値や魅力のある情報もあり、それを分かりやすく表現していく能力が必要。それをメディアに乗せてプレゼンしていく。これらは向き不向きがあり、向いていなければどうしようもない。金銭のためのクリエイトは不可。