欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

思考のメモ 現代人の文化と強い欲求

アウトプットの発信では、感じる、考える、言葉にする、これらの過程が必要か。まず言葉と思考が好きでないと始まらない。誰かが記した文章から刺激を受け、筋道を立てて考え、精緻な文章にまとめていく。

それを全自動で出来る人もいるだろうけれど、出来なければ磨くしかない。特に思考はそうだと思う。有益な情報を仕入れ、付加価値を付ける。それは独自の言語の錬成で、新たな情報の産出か。それは行動と思考がエッセンスになるはず。

 

勉強が好きなら勉強でマネタイズすれば良いのか。ただ、それには何の価値があるのか。知識を活かして学びを勧める?誰かの代わりに勉強をし、何かの利を得る。消費、勉強、行動。それによって得たものを誰かに与える。

とにかく何でも良いから、学んで得たものを言葉にすることか。意識的に感じ取り、「何故?」と内省して論理を展開する。それをどんどん公開すること。そこに何かの価値を感じてくれる人がいれば、そこで何かになるはず。それ試してみないと分からない。

 

「楽しい」という感情は、何かの上達を感じられた時に得られるのか。その時にしか感じないように思える。ゲームで得られるようなもので、レベルが上がる時に感じるもの。この楽しさを見つけ、何かが熟達したものとなった時、お金が得られるかもしれない。人の役に立つスキルを楽しく学べたら至高か。

 

自分が欲しいものを人に与える。ブロガー・アフィリエイターに向いているのは、ある情報を誰かに伝えたい人。その人はまず、日頃から情報を集めている。

自分が当たり前に熟知していることを、それについて詳しくない人へ伝える。だからまず、何かに熟知するのが良い。すると人へも伝えたくなる。それにあまり反応がないのならば、もっと当たり前のように身に付いている知識を伝える。現実で誰かに感謝されることや、言語化するなかで感謝されること。

 

エッセイストは自分の感情を熟知し、コラムニスとは教養と見識に富み、アフィリエイターは商品とその利用までに精通している。どうコンテンツ産出し、どのように広めていくか。

そしてどこで強い欲求・感情を満たしてあげるか。エッセイは感動欲、コラムは見識欲、アフィリエイトは問題解決欲か。この世の誰かの強い願望と、それに見合う与えられるもの。

 

価値があるというのは、誰かが強く欲しているということ。それを人間に当てはめると残酷になる。でも、誰かがそう思ってくれなくとも、自分の精神が生きたいと願い、それを叶えてくれる肉体を欲しているならば、その人の内側に価値があるとも思える。それすらなければ厳しいけれど。

 

もう資本主義のフロンティアは開拓し尽くされ、大量に生産しても大量に消費してもらえなくなった。だから誰でもぱっと思い付くような価値=需要で考えても儲からない。

すると「現代の文化に生きる人たちの独特な需要」を見つけないといけない。日本の貧しさというより、時代の需要を見誤れば貧しくなるのか?知恵の貧富が格差を生む。

現代文化を生きる誰かの強い欲求・感情を満たすものを売る。物品・サービス・コンテンツ。現代人はどんな悩み・趣味・娯楽を求めているか。その願望と与えられる何か。

 

「どのように人から感謝されたいか」と考えると、自分の得意が見えてきそう。ブログを記してどう感謝されたいのか?共感してあげたいのか、知識を与えたいのか、それらが浮かぶ。

「自分はこんな人を喜ばせられる!こんな風に人助けが出来る!」と見つけること。その「こんな人」を見つけるのが先か。それには自分の得意が付随する。

それは適当に考えて浮かぶものではないか。大量生産・大量消費の旧来価値とは違うそれを見つけること。より細かな現代人の文化と、そこにある欲求。

 

人助けをして喜ばせるか、誰かの欲しい物を持ってきて与えるか。そうやって物やサービスを循環させ、高度な生活のレベルを維持する。

現代の文化で個人は何を求めているか。既存の資本のフロンティアが開拓されたとしても、また新たなニーズが生まれるはず。それを見つけるアイディアが資本になる。

 

知識にまつわる価値として、「それによって問題を解決できる」というのがあるか。それは誰もが求めているもので、工夫すれば誰かの強い欲求を満たせる。それは仕事になるだろう。自分が抱えている問題を解決したりし、解決できそうな誰かの悩みを見つける。後はその人に解決のパーツを与えること。

 

「成果を出すこと」がインプット・アウトプットの目的か。だからその成果、つまり目標を明確にしなければならない。すると「何のためにイン・アウトプットをするか」が見えてくる。当たり前の話だけれど、そうしないと全く効率的でない。そこから逆算して相応しい行動を考える。

事前に綿密な思考をしないとほぼ無駄か。イン・アウトプットの前の段階でほぼ決まる。ひたすら何かの解決のために「どうやって?」「どのようにして?」と自問すること。何かを得るための案と、それを叶える効率の良い策略。そのパッケージがないとひたすら暗中模索。何の意味もない入出力になる。

成果の出るインプット・アウトプットを見つけたら無駄がない訳で、がむしゃらに頑張るよりも、事前の確固たる準備の方が重要。それが効率と結果を変える。正しい努力の仕方だ。「イン・アウトプットの仕方を見つけるためのイン・アウトプット」もありそう。「効率的な受験勉強をするための勉強」とか。

 

生き物としての強さがあれば、弱みを乗り越えることで強みになる。それは誰かの悩みを解決するだろう。生き物としてのそれがなくても、好きなことに費やしていれば、それについての上級者になる。するとその趣味の初心者に助言できる。後はその趣味・悩みにまつわる誰かの強い欲求を見つけること。もう感謝は近いはず。

スキルを身に付けたとしても、誰でもそのスキルを身に付けられるなら弱いか。スキルを買われるより、「この欲求なら自分が満たしてあげられる」と見つけること。誰かのコアな強い欲求を見つけ、それを簡単に満たしてあげられるなら強い。そうなると需要も供給も希少。誰もが優勝できるはず。

 

よく言われる話だろうけれど、初めの一歩が勉強だと効率が悪いか。取りあえずやるのが最も勉強になるし、教える側もそうやって知見を貯めてきた。勉強はショートカットだから、まず進んでいないと意味がない。教える立場になれば、「まず学びたい」という人に腹が立つのではないか。習うより慣れろ。

 

ブログはライフメモ、つまり人生のある部分の記録であり、そのログだろうか。自分が興味・関心を持っていることの知見をメモし、積み重ねる。それが自己紹介になったり、誰かにとって有益だったりする。それは副次的なもので、まずは時間やお金を使っていることのメモとして使う。有益さを工夫するのはその後。

 

「自分は何にお金を使っているか」と考えるのが良いか。すると費やしたことについて知見が貯まる。消費だと商品についてだし、勉強だと知識だろう。行動すると体験が加わる。それをメディアに乗せてコミュニケーション・プレゼンをしていく。アフィリエイターだとそれが仕事か。

 

参考文献