欠乏の機能性ブログ

日々の上腹部不定愁訴と気付き その思考

9月23~24日 結果の原因 意識の力

9月23日(金)

今日も計測ではようやく増えた。そのための努力はしていないものの、たまたま増えてくれた。やはり調子の歯車が噛み合ったのか?少しまともな摂取の感じが得られた。

 

今日は三食を通じて食欲があったか。朝は昨日と同じく不快感がなく、限度量の上限が上がっていた。パン一本を収めてもきつくなく、その後の一口をしっかりと吟味した結果、食べられる感じがした。

それでその後にきつくならない。それどころか早くに空腹になった。これも最近でなかった感触だ。これが以前の普通の調子ではある。昼までにも長く空腹の時間があり、それで良い調子で迎えられる。

 

昼と夕では少し満腹感があったものの、スポドリで収められる範囲内だろう。昼は実際にそうなり、夕方までに空腹になる。そして食欲もあった。

それで計測では二百グラムの増。確かな感触と確かな結果だ。ようやく上向いてくれたのか?ここで無理をしなければ軌道に乗るはず。

 

運動による効果が効いてきたのか、アコファイドが効いてきたのか。あるいはフローに入っているからか?ここ直近で始めたのは、読書での思考をノートにつけること。それによってするすると筋道が立っていく。そのポジティブな体験はあるか。

ある人は爪を整えるのにそんな体験をし、それで社会復帰にまで至ったそう*1。その没頭はスキルと課題のレベルが釣り合ったために生じたはず。そんな体験と仲間が重要らしく、それがある人は鬱や摂食障害様の症状を見せないよう*2

9月24日(土)

今日の計測では三百グラムも減る。これで大台から六百グラムの減。また最近で最も低く落ち込んだ。それでまた絶望的な言葉がよぎってはよぎる。

ただ、入浴の時に考えた。それは今朝にパンを余計に摂ったから。その自覚はある。それに加え、その朝食が不振になったのは、夕べに水分を摂りすぎたから。

夕べはよく摂れたのに加え、その後の収まりも良い。そこでヤクルトを飲みたくなる。それを飲んだのにも関わらず、まだ甘い口が残っていた。それでスポドリをわずかに飲む。そこで飲みすぎないように抑えたものの、それが仇となったのだと思う。

食欲不振は必ずその前の摂取による。これをもっと痛い思いをして学ばないといけないか。満腹がなければ腹は空く。腹に異常はないし、その内部信号を感じ取れない意識がおかしい。ただそれだけのことだ。

 

昼と夕にも不振があったのもそう。昼は朝が尾を引いていて、昼でも満腹になったのが夕に影響する。身体はおかしくなく、満腹の限度を超えるのが悪い。そもそも大半はそんな調子で、腹がきつくなってから五口は摂っている。それが全ての根元だろう。

親愛なる人と過ごせたら良いのか?それで全ては治まる?それで腹側迷走神経を働かせ、恐れなき稼働化・不動化に入り、消化と睡眠の質を上げる。それで神経伝達物質も出るか減るかするだろう。すると不定愁訴はなくなり、胃袋はフラットになる。風邪が治って調子が戻るのと同じ。胃袋の筋トレも可能になる。

 

体調コンプレックスは負と正の二つあり、負は「死にたくない」「家族に下手なケアをされたくない」というもの。それは誤った努力をしてしまうものだ。正も同じ誤ったもので、「まともに生きるために身体を底上げするしかない」と努めてしまう。

社会交流があれば正のコンプレックスはなくなるはず。ただ、負のコンプレックスも鎮まるかは分からない。不調時に飛び越えて社会交流できたらどうなる?

まず安全の欲求を満たさないといけない?それには肉体と精神の安心も含まれそう。そこで体力が満ちないと人へ会いたくならない。だとすれば、基礎的な体力による安全は、社会交流を得るまでに整えないといけない?それは意識の力で?

 

それが意識の力で何ともならないのが問題。死にたくなく、身体の余裕を持ちたい。親に干渉されたくなく、まともに生きていたい。すぐ死ぬことはないし、親もある程度は理解があり、在宅で生きると決めている。それが腹落ちしているはずでも、どうしても無理が治まらない。

またコンプレックスなりを捉え直す?それはトラウマ関連だろう。まだその開拓は終わっていない。お金さえあれば時間は費やせる。その根気もあるところ。

 

ドクターに「死ぬことはない」と言ってもらおうか。そうすれば真に腹落ちが得られ、無理しなくても良いと思える。内向直観による悪い癖もあるだろうし、それは事実から確かめたい。ただ、これは既に捉え直している。

まだ死ぬかもしれないと思っていて、親の目も離れなく、まともに生きていたいと思っている。これが核心といったところか。体重の恐怖、摂取量の把握、理想の日々。これが社会交流でも鎮まらない場合、自分は真の病人だ。それは生粋のもの。そうなればようやく運命を受け入れられる。

かといって、それで癒されるのなら何なのか。「社会交流に出られなかったのがこれほどの不可逆を生んだ」と自分に呪われ続ける。そうなるだけ良いけれど、何だか全てが報われない。

 

この病気・障害・無為に意味はあるのか?それが自己実現をもたらす?そのストレスが人生観を構築し、満足を浮き立たせ、その実現に迫る?それくらいが人生に実りをもたらす?

問いを立てて学ぶことが主義主張を叶え、得意なことによって人生が満たされる?それが真の幸福?没頭と満足のお裾分け?どんな物語も人物もこれを辿る?

 

参考文献

*1:『フロー体験入門』P56

*2:『フロー体験入門』P58